第陸話 再会


 安子あんしに騙され、蘭花らんか付きのバリキャリ侍女たちに無理矢理後宮に連れて来られたあの日。

 あとで来る蘭花を迎えるため、部屋に先回りするバリキャリ侍女たちと別れた安子と琳瑶りんようだが、案内の官女に連れて行かれた場所で、言われたことを言われたとおりにするという試験のようなものを受けさせられ、琳瑶は安子とも別れることになった。

 そのあと安子がどこに行ったのか琳瑶は知らなかったのだが、実は後宮の片隅にある建物に連れて行かれ、最低限の作法を叩き込まれていたのだという。


「どうしてわたしがいまさらこんなことを? って感じでしたよ」


 久々に聞く安子の愚痴だが、琳瑶は懐かしさもなにも感じなかった。

 相変わらず仕事が出来るつもりでいるところや、不思議なくらい高い自己肯定感も、微塵も懐かしくなかった。

 それどころか苛立ちを覚える。


 あの日、ずっと望んでいた蘭花の侍女復帰と引き替えに、琳瑶を騙して部屋から連れ出した安子。

 やっと母親と一緒に暮らせると、念願叶うと思っていたのに、父親や継母、異母姉と一緒になって邪魔をした安子を許すことなんて絶対に出来るはずがない。

 許そうとも思わないし、許せと言われても許せない。


 結局安子も蘭花に騙されていて、琳瑶と一緒に年季奉公に出されることになったのだが、微塵も同情はなかった。

 琳瑶が安子に騙されたことと安子が蘭花に騙されたことは別で、騙した相手を許せるはずがないし、同情の余地もあるはずがない。

 さらに言えば安子の反省の色が全く見えないことにも腹が立つ。

 今も琳瑶の怒りになどお構いもなく、自分の言いたいことを言いたいように話している。


「だいたい官女なんて、取り澄ましてるだけで仕事しないし。

 そのくせいい給金もらってるとか、許せない。

 偉そうだし」


 相変わらず話にまとまりがなく、思ったことを思ったように垂れ流しているだけ。

 泰家(たいか)の屋敷で鍛えた辛抱強さで後宮での下女生活を耐えてきた琳瑶だが、なぜか安子の愚痴の垂れ流しを聞き続けることが出来なかった。


「……安子、なんの用?

 どうしてここにいるの?」

「どうしてって……」


 不意に話を切られた安子は不満げに琳瑶を見る。

 着ている仕事着は琳瑶と同じもの。

 それに箒を持っている。

 つまり……


尚寝しょうしんに配属されたの?」

「そうなんですよ、掃除なんてわたしの仕事じゃないっての」

「それで? 仕事をさぼってこんなところまで来て、なんの用?」


 まさかわざわざ琳瑶に愚痴をこぼしに来たというわけではないだろう。

 警戒も露わな琳瑶に、安子はようやく思い出したように言う。


「琳瑶お嬢様の顔を見たら忘れるところでした。

 尚寝が呼んでます」


 安子がいう尚寝は梨葉りようのことだろう。

 どうしてそれを、官女ではなく安子が伝えに来たのだろう?

 そこは気になるところだったが、とりあえず安子には 「わかった」 とだけ素っ気なく答えると、一緒に掃除をしていた他の下女に梨葉に呼ばれていることを話し、箒を預け、一人で梨葉の部屋に向かう。


 もし安子が嘘を吐いていたら戻ってくるだけである。

 もちろんその時には、梨葉に安子が嘘を吐いたことを正直に話す。

 安子を庇って代わりに叱られるつもりなど毛頭無いし、当然のことだろう。

 そう思って梨葉の部屋に向かったのだが、なぜか安子がついてくる。


 しかもいつのまにか持っていたはずの箒がない。

 どこに置いてきたのか知らないけれど、きっとあとで官女に叱られるから……と思いながら梨葉の部屋に向かって歩いていたのだが、不意に曲がり角から出て来た人影とぶつかりそうになる。

 とっさに避けようとした琳瑶だったが、避けきれなかったのは琳瑶の反応が遅かっただけではない。

 琳瑶が避けたほうに向こうからぶつかってきたのである。


 さらに驚く琳瑶だが、突然のことで気づくのが遅れてしまう。

 曲がり角から出て来た人影は一人ではなかった。

 しかも見知った顔だったのである。


「あんたたち、どうして……」


 蘭花付きのバリキャリ侍女たちである。

 だがおかしい。

 蘭花は宮官長に言われて部屋移りをしなければならないが、蘭花が気に入っている取り巻きの侍女たちは仕事をしない。

 だからその分も日頃から実務を担っているバリキャリ侍女たちが働かなければならないわけで、今頃は部屋の片付けなどに忙しいはず。

 そのバリキャリ侍女たちがなぜこんなところにいるのだろう?


 異母姉の蘭花が部屋移りを申し付けられた正確な日付はわからない。

 だが今回は悪い意味での部屋移りである。

 側室としての立場こそ 「ひん」 のままらしいが、実質的な降格の扱いである。

 薔薇そうびの手紙には 「嬪」 は最大六名が選ばれるというが、この一件で、今後の蘭花はその六名の中で最下位の扱いを受けることになる。


 そしてこういう場合は宮官長から移動する日を指定される。

 指定された日より遅いのは言うまでもないが、早くても駄目。

 その日に移動しなければならないから、蘭花の身の回りの実務を負っているバリキャリ侍女たちに油を売っている暇などないはず。

 そんな彼女たちがどうしてこんなところにいるのか?


 琳瑶と顔を合わせた侍女たちは、思い詰めた表情で琳瑶を見る。

 そして掛けられた声に一人が応える。


「……申し訳ございません、泰嬪たいひんがお呼びでございます」

「行きません」


 琳瑶に迷いはなかった。

 ここで蘭花の呼び出しに応じてもろくなことにならないのはわかっている。

 もちろん下女の立場では断れないが、おそらくこの呼び出しは内々のもの。

 つまり下女としての琳瑶に用があるのではなく、異母妹としての琳瑶に用があるのだ。

 だから迷わず断った。

 けれど彼女たちは、こんな短い時間にどうやってそこまで調べたのか、疑問に思うくらい広い後宮内を、人目に付かない廊下を選んで琳瑶を引き摺る。


「放しなさい!」

「お静かに願います」

「どうか、後生です」

「口塞いじゃえば?」


 今度こそ蘭花の侍女に戻してもらえると喜ぶ安子も一緒に、バリキャリ侍女が琳瑶を連れてきたのは泰嬪こと異母姉・蘭花の部屋である。

 片付けの真っ最中に琳瑶を呼びにやらせたらしく、酷く散らかった部屋の中、蘭花はお気に入りの侍女たちを怒鳴りつけていた。


「早くしてよ、グズ!

 全部よ、全部。

 一つも残さず持って帰るんだから」

「お嬢様、お静かに」

「誰かに聞かれでもしたら……」


 普段やらない部屋の片付けや慣れない荷造りに戸惑うお気に入りの侍女たちは、癇癪を起こして喚き散らす蘭花を不穏な言葉で宥めようとする。

 そんな中に琳瑶は連れて行かれた。


「帰る?

 ……お姉様、なにを企んでるの?」


 久々に琳瑶と対面した蘭花は見慣れた意地の悪い笑みを浮かべる。

 そして何気なく琳瑶が口にした言葉に答える。


「もちろん家に。

 決まってるでしょ?」

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