第参話 手紙の行方 ー豊衣

「そんなところでなにをしているの?」


 心ここにあらずで箒を握っていた琳瑶りんようは、突然掛けられる声になにが起こったのかわからず。

 一瞬遅れて振り返り、すぐそばの廊下を歩いていたらしい豊衣ほういにようやく気付く。


「……豊衣様?」

「お勤めご苦労様です」


 穏やかに声を掛けてくる豊衣に、なぜかうまく頭を切り換えられない琳瑶は、ぼんやりとした視線を返しながらぼんやりと答える。

 すぐさま琳瑶と一緒に掃除をしていた他下女たちがきゃーっと黄色い声をあげる。

 その甲高さが耳にキンと響き、ようやく琳瑶も我に返る。


「ああ、みなさんもご苦労様。

 騒ぐと叱られてしまいますよ」


 少し困ったように下女たちの黄色い声に応えた豊衣は、改めて琳瑶を見る。


「このあいだの庭院にわを覚えていますか?」


 他の下女たちを気にして琳瑶は黙って頷く。

 すると豊衣は、やはり困ったような笑みを浮かべて 「ではあそこで」 というと、下女たちの黄色い声から逃げるようにそそくさと立ち去る。

 あまりにも興奮してキャーキャー騒いでいた下女たちは、自分たちの声で琳瑶と豊衣の会話を聞き逃してくれたらしい。


 豊衣が琳瑶と初めて会った場所を指定したのは、この日、琳瑶が他の下女たちと掃除をしていた庭院にわからそう遠くなかったからかもしれない。

 休憩の時間を見計らって、琳瑶は箒を持ったまま記憶にある庭院にわに行ってみる。

 日ごとに増える落ち葉を掃き集めながらもお喋りに夢中になっていた他の下女たちは気づかなかったらしく、ついて来られる心配はなかった。


「豊衣様?」


 あの庭院にわに続く洞門どうもんから、覗きこむように声を掛けてみる。

 すると先に来ていた豊衣はあの木の下に立っていた。

 誰も見ていないと思って、あの日の翠琅すいろうの言葉を確かめるように、箒が引っ掛けられた枝に手を伸ばしているところだった。


「……なにをしているのですか?」

「いえ、ちょっと……」


 洞門から入ってくる琳瑶を見た豊衣は恥ずかしそうに慌てて手を下ろす。


「その、やはりわたしでは手が届かなかったなと思いまして。

 それより、代筆業を始めたそうですね。

 なにか困ったことでもあったのですか?」

「あ、いえ、そうではなくて……」


 頼むかどうかはともかく、気に掛けてくれたばかりか、わざわざ時間を作って話を聞いてくれようとしたのである。

 琳瑶は、下女が手紙が出せるようになるまで半年もかかることを豊衣に話し、嘆く。

 豊衣も宦官になってまだ間がないこともあって、後宮のそういうシステムを知らなかったらしい。

 何気なく宦官にもそういうルールがあるのかと尋ねる琳瑶だが、なぜか豊衣は視線を泳がせる。


「あー……いえ、その、わたしたちは後宮の外に出られるので」


 たとえそんなルールがあったとしても、外に出られるのなら宦官は自力で手紙を出すことが出来る。

 つまりそんな制限は掛けられない。

 だから宦官にそういうルールはないだろうと話す豊衣に、琳瑶は先輩下女たちから聞いた話を思い出す。

 だから宦官に頼めばいい、そう彼女たちは言っていた。


 ついでに彼女たちは宦官と二人きりにならないようにとも忠告していたが、今日の琳瑶は彼女たちと一緒ではなかった。

 三人も今日はバラバラの場所で仕事をしており、少しだけなら……と思って一人で来てしまったのである。

 一応洞門近くを離れず、なにかあればすぐ逃げられるようにはしている。

 そんな琳瑶に、豊衣は気まずさを誤魔化すように提案してくる。


「そうだ!

 手紙を出したいのならわたしが請け負いましょう。

 そうしたら半年も待たずに済みますよ」

「いいんですか!」


 思いもよらない豊衣の申し出に、琳瑶は先輩下女たちの忠告をうっかり忘れて喜んでしまう。

 満面に喜びの笑みを浮かべて喜ぶ琳瑶に、豊衣はなにかをうまく誤魔化せたと思ったのか、小さくホッと息を吐く。


「いいですよ。

 手紙が書けたら……」

「あります!」


 琳瑶はすでに用意してあった手紙を隠していた仕事着の胸元から取り出すと、両手に持って豊衣の眼前に突きつける。


「ここに!」

「あ……ああ、もう書いてあるんですね」


 喜び勇む琳瑶の勢いにすっかり気圧されている豊衣は、少し背を逸らし気味にその手紙を受け取る。


「あの、これを黎家れいかに……!」

「黎家?」


 すっかり浮かれてしまった琳瑶は、調子に乗って 「黎家にいるお母様に届けて欲しい」 と言い掛けてようやく我に返る。

 今の琳瑶はリンという名前の下女であって、正体を知られるわけにはいかないのである。

 焦るあまり慌てて口を閉じるが、もう遅い。

 豊衣の耳にははっきりと 「黎家」 という言葉が聞こえていた。

 だがなぜか、受け取った手紙と琳瑶の顔を見比べる豊衣の様子もどこかおかしい。


「えっと、この手紙を黎家に届ける?」

「あの……あの……あの……」

「えーっと……その……」


 焦るあまりまともに話すことの出来ない琳瑶と、様子のおかしい豊衣。

 琳瑶に比べてまだ落ち着いている豊衣だが、それだって上辺だけで、内心では琳瑶と同じくらい焦っていたのかもしれない。


 焦りと困惑


 それに加え、歳上の豊衣はこの状況にどう収拾をつけるかも合わせて考える。

 そしてとっておきの言い訳・・・を思いつく。


「あ! ああ、そういうこと。

 お母さんが黎家で働いているんだね?」

「え? そうぎゃ……あ……あ、はい、そうなんです!」


 とっさのことで動揺や困惑を隠しきれていない豊衣だが、それは琳瑶も同じこと。

 豊衣の言葉を 「そうじゃない」 と否定しかけるが、一瞬遅れて話を合わせることを思いつき、焦るあまり噛みつつも肯定する。


「なるほど、そういうことですね。

 わかりました。

 ではわたしが責任を持って届けさせましょう」


 これで話は一件落着……でもあるのだが、うっかり忘れてしまうところだった駄賃のことを思い出す。

 慌てて胸元に手を突っ込んだ琳瑶は、今度は財布代わりの巾着を取り出して豊衣に押しつける。


「全然足りてないんですが、残りはすぐ稼ぐので」


 折角の機会を逃したくない琳瑶は、先輩下女たちに注意された 「ぼったくり」 を警戒するどころかみずから 「ぼったくられる」 方向へと話を持っていってしまうが背に腹は変えられない。

 なんとしてもこの機会を物にしたい。

 その一心で豊衣に頼み込んだが、彼は駄賃を受け取らなかった。

 近く自分も手紙を出す予定があったので、一緒に手配してくれるというのである。


「でも、出来たら代筆は続けてあげてください。

 文字の読み書きが出来る下女は少ないので、皆さん助かると思います」

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