第弐話 お駄賃

 


 元々琳瑶りんようは後宮で知られた存在である。

 もちろんいい意味ではない、年齢を詐称しているという悪い意味でである。

 それについて回っていた尾ひれはひれの一つが 「元はいいとこのお嬢さん」 で、真偽はともかく、その尾ひれはひれのおかげか、琳瑶が文字を書けると聞いてもほとんどの下女は疑わなかったらしい。


 特に琳瑶自身が喧伝したわけでもないのに、気がつくと、同じ大部屋で寝起きしている下女だけでなく、東側以外の建物で仕事をしている下女たちにも広まっていた。

 すると面倒ごとになった時を考え、それまで遠巻きにしていた下女たちの何人かが、仕事の合間に時間を見つけて琳瑶を訪ねてくるようになった。

 手紙の代筆をしてもらうためである。


 下女が手紙を出すために使える紙は端切れのような物で、質も悪い。

 墨も官女や宦官たちが業務に使った残りで少なく、筆も使い古しで毛先はバサバサ。

 琳瑶はカミソリを使って毛先を整えてみたがうまくいかず、余計に酷くなったということはないけれど、あまり綺麗な字は書けなかった。

 それでも言われるままに文章を綴ると喜ばれた。


 やはり下女が手紙に使える紙は一度に一枚きりで、書き損じてもそのまま。

 だからせめて、あらかじめ文章は考えておいてくれるようにお願いしておいた。

 時間の問題もある。

 頼みに来る下女と琳瑶の休憩タイミングが必ず合うとは限らない。

 むしろほとんど合わない。

 そういう時は琳瑶が合わせることになるため仕事を抜けることになる。


 琳瑶はいつもかまってくれる先輩下女三人と一緒に仕事をしているわけではなく、あの三人とは一緒になる機会が多いというだけ。

 あの三人もいつも一緒ではない。

 だから琳瑶が代筆を頼まれて仕事を抜ける時、一緒に仕事をしている尚寝しょうしんの下女はいい顔をしないことが多かったけれど、自分も代筆を頼むかもしれないと考えるのだろう。

 仕方なさそうな顔をしながらも抜けさせてくれる。


 だがやはり面白くないのだろう。

 誰かが告げ口したらしく、一度、尚寝の梨葉りようにそのことで呼び出されて注意を受けることになった。


「字が書けるのなら、下女ではなく官女になればよかったのに」


 琳瑶を注意しながらも梨葉はそんなことも言っていた。

 当然下女よりも官女のほうが給金はいいけれど、官女になるためには試験がある。

 しかも礼儀や作法などを見るために面接もあるというから、さすがに年齢詐称を指摘されて受験資格がないことがバレてしまうだろう……とも彼女は苦笑いしていたけれど。


 面倒を嫌う宮官長の機嫌を損ねたくない琳瑶だが、代筆を引き受ける下女は他にも何人かいる。

 だからそういう意味では琳瑶一人が特別に目立つことはなかった。

 下女たちにしても、同じ下女の噂より側室や侍女、官女、宦官たちの噂のほうが娯楽として楽しいのだろう。

 相変わらず泰嬪たいひんこと異母姉の蘭花らんかも色々とやらかしているらしく、話題に事欠かないこともあり、琳瑶のことが尹宮官長の耳まで届くことはなかった。


 後宮に入ってから目立たないように気をつけていた琳瑶が、それでも代筆を続けていたのにはもちろん理由がある。

 小遣い稼ぎである。

 宦官のようにぼったくれば不満に思った下女たちの反感を買い、たちまちのうちに目立ってしまう。

 それに金銭の授受が関わってくると、おそらく宮官長が出張ってくるだろう。

 だから一回の駄賃は微々たるもの。

 しかも時に、歯の欠けた櫛や壊れた簪などの物で支払われることもあったからなかなか貯まらなかったけれど、少しずつ、少しずつ、駄賃を貯め込んでいく。


 先輩下女たちの話では、半年経てば下女でも後宮の外に手紙を出すことが出来る。

 それを待ってもよかったのだが、少しでも早く薔薇そうびに手紙を出したかったのである。

 あわよくば返事が届くかもしれない……と思うといても立ってもいられず、我慢出来なかったのである。


 薔薇の匂い


 会うことは出来なくても、返事が届けば薔薇のこうを嗅ぐことが出来る。

 そう思うとどうしても我慢出来なかったのである。

 本来の目的である薔薇と連絡を取り合うことを忘れてしまうぐらい、返事が欲しくなってしまったのである。

 そのために話したこともないのはもちろん、顔も知らないような下女の頼みも引き受けて代筆を続けた。


 そしてある程度駄賃が貯まったところで、頼まれた代筆をするついでにこっそりと自分の手紙を書いた。

 尚寝の官女は箒の一本、雑巾の一枚まで道具を管理しており、手紙に使う紙も一回に一枚切り。

 書き損じもそのまま使うと徹底しているのに、枚数の管理はゆるかった。


 紙は大きくなく、筆先も悪く細かい文字を書くのは難しい。

 そこであらかじめ伝えたいことを要約した文章を考えておき、誰かに代筆を頼まれるタイミングを待った。

 そして頼まれた代筆を終えたあと、依頼主の下女を先に部屋から出し、道具を片付けるのに手間取っている振りをして自分の手紙を書き上げたのである。


 だが問題はここから。

 辛抱強く頑張った甲斐あって思ったより早く駄賃は貯まったけれど……おそらくこれは、以前にいた文字の書ける下女が年季明けで辞めてしまったためだろう。

 全く伝手のない下女より、入ったばかりでそもそも伝手もなにもない新人のほうが頼みやすかったのかもしれない。

 おかげで思っていたよりも早く駄賃を貯めることが出来たのである。


 だが問題はここから。

 先輩下女の話では、年季奉公に入ったばかりの琳瑶が半年を待たずに手紙を出すなら、ぼったくり駄賃を払って宦官に頼むしかない。

 人生初のぼったくりに遭う覚悟を決めたのはよかったけれど、どんなに泰家たいかの屋敷でぞんざいに扱われていても琳瑶は貴族のお嬢様育ち。

 ぼったくりの意味は先輩下女が教えてくれたけれど、宦官のぼったくりがどれくらいなのか見当もつかない。

 しかも先輩下女は、信用のおける宦官に頼まないと、ぼったくられるだけで手紙を届けてもらえないかもしれないとも教えてくれた。


(信用のおける宦官、ねぇ……)


 豊衣ほうい以外にも何人か、挨拶を交わす程度に顔見知りになった宦官は出来た。

 だが信用出来るか? ……といわれると疑問である。

 本当に挨拶を交わす程度の顔見知りだったり、琳瑶をからかって暇潰しをしているだけだったり。

 改めて信用出来るかを考えると 「わからない」 である。


 わからない ≠ 信用出来る


 少し時間はかかったものの、折角ここまで準備出来たのに……。

 もちろん駄賃を貯めるなど準備をしながらも信用出来る宦官を探したし、先輩下女たちにも色々と訊いてみたが 「このひとなら」 と思える宦官はいなかったのである。


 官女に頼むことも考えたけれど、それはやめたほうがいいと先輩下女に止められた。

 梨葉の目が光っていて、なかなか厳しいのだという。

 意外な抜け道として側室の侍女という手段もあるというのだが、残念ながら、忙しい侍女が下女のためにわざわざ時間を割いたり手間をかけたりはしない。

 だから官女に頼むより難しいという。


 どうしたらいいのだろう?


 お勤めの最中だというのに、そんなことを考えてぼんやりしていると、あの時のように豊衣が声を掛けてきた。


「そんなところでなにをしているの?」


 場所こそ違うけれど、しん貴人きじんの侍女に意地悪をされて困っていたあの時のように、全く同じ言葉を掛けてきたのである。

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