参章

第壱話 手紙 ー代筆

 琳瑶りんようが後宮に年季奉公に入ったのは夏の終わり頃で、まだ暑い日もあったけれど、盛夏の頃に比べればずいぶんましだった。

 そして日ごとに涼しくなり、この日は天気も悪く肌寒かった。

 昨夜は特に寒いとは感じなかった琳瑶だが、先輩下女の一人が朝からくしゃみをしている。

 今も派手に一つ。

 すると先輩下女の一人が、くしゃみをした下女を見て言う。


「ちょいと、あっち向いてやってくれ。

 折角掃き集めたってのに、飛んでくじゃないか」


 てっきり風邪がうつると文句をつけるのかと思ったら、くしゃみで掃き集めた落ち葉が飛び散って仕事が終わらないというのである。

 するともう一人の先輩下女も言う。


「まぁた腹出して寝てたんだろ?

 あんた、この時期になるといつもくしゃみするんだから」


 下女の部屋は大部屋だが、三人と琳瑶は寝る場所が違う。

 新入りは入り口近くで、年季明けが近いほど奥になる。

 だからじきに一人、また一人と年季が明ける三人の寝床は部屋の奥の方にある。


「あんたらは、ひとをどんな寝相だと思ってるんだよ。

 隣の奴があたしの蒲団をとるんだよ。

 あいつ、寒がりだから」

「あぁ、あの子ねぇ」

「年季が明けるまで、もう少し辛抱するんだね」


 三人だけで通じ合っている会話を、琳瑶は少し離れたところで落ち葉を掃き集めながら聞いていた。


「そういや、年季が明けたあとの仕事は決まったのかい?」

「目星はついてるけど、雇ってもらえるかどうかはまだ」

「このあいだ手紙を書くって言ってなかったっけ?」


 年季が明けたあとの働き先を探している、それももう目星を付けている。

 そんな話になっているということは、一人は年季が明けるまでそれほど間がないのだろう。

 ひと月ふた月ということはないだろうが、み月から半年ぐらい先のことかもしれない。

 いずれにせよ琳瑶の年季が明けるよりずっと早い。

 続いて二人目、三人目と年季が明け、やがて琳瑶は一人になる。

 でも淋しいなんて感傷に浸っているわけにはいかない。


(手紙っ?!)


 思わず手を止めてしまう琳瑶だが、すでに手を止めて話に夢中になっている先輩下女たちは琳瑶の様子に気づかず話し続けている。


「まだ出せてないんだよ」

「なんでだい?」

「折角話がつきそうなのに、このままだと流れちまうんじゃないか?」

「それがさ、前に手紙を書いてもらった子が辞めちまっただろ?」


 他の二人の先輩下女はこの意味がわかるらしく 「ああ」 とか 「そういえばそうだったね」 と納得した様子である。

 琳瑶にも、その下女は年季が明けて後宮勤めを辞めたのだろうということはわかるけれど、そのことと手紙が出せないことの関連がわからない。

 どういうことか訊いてみようとしたが、進む会話が答えを教えてくれる。


「他に字が書ける知り合いに心当たりがなくてさ」

「誰か聞いてごらんよ」

「早くしないと、折角見つかった仕事が駄目になるんじゃないか?」

「最悪官女か宦官の誰かにお願いするしかないかなとは思ってるんだけど……」


 つまり三人は文字の読み書きが出来ないのである。

 薔薇そうびの手紙に書かれていたところによると、科挙ほど難しいものではないけれど、官女になるには試験があるという。

 だから最低限文字の読み書きは必須で、簡単な計算が出来れば尚よしとのこと。


 だが三人がはじめから官女をあてにしたくないのは、おそらく手間賃を取られるから。

 下女の多くは給金のほとんどを実家に仕送りしているため、自分の手許にはわずかばかりの小遣いしかない。

 けれど官女たちも忙しい仕事の合間に、わざわざ時間を取って代筆をしてやるのだから小遣い程度は欲しいのだろう。


(そういうことね)


 なるほど……と納得した琳瑶は、三人に近づいて話し掛ける。


「あの、後宮の外に手紙を出せるんですか?」


 すぐに一人が 「ああ」 と答えると、他の二人も口々に答える。


「出せるよ」

「あんまり長いのは駄目だけどね」


 黎家れいかとの連絡手段が意外なくらいあっさりと見つかって喜ぶ琳瑶だが、ふとあることに気がついた先輩下女の一人が表情を曇らせる。

 そして申し訳なさそうに琳瑶に話し掛ける。


「だけどね、手紙を出せるようになるのは入ってから半年が経ってからなんだよ。

 あんたはまだひと月も経っていないだろう?」

「半年っ?!」


 そんなにも我慢しなければならないのかと驚きを隠せない琳瑶に、夜泣きの件で琳瑶が家族を恋しがっていることを知っている三人は申し訳なさそうに、それでいて憐れむように琳瑶を見る。


「こればっかりは決まりだから……」

「……半年……そんな、先……」


 目に見えてショックを受けている琳瑶に三人は困り果てるが、一人がなにかを思いついたように 「でも……」 と曖昧に口を開く。

 すると言わんとしていることに気づいたらしい別の下女が言う。


「それは……」

「わかってるよ。

 でもそういう方法があるってことを教えておいてやるくらいいいんじゃないか?」

「おすすめじゃないけどね」


 そんな前置きをして三人が教えてくれた方法とは、宦官に届けてもらうことである。

 もちろん宦官自身が届けに行くわけではない。

 官女と同じく後宮の外に出られる彼らに届け手を手配してもらうのである。

 但しこれは内密にお願いする方法なので、見つかると叱られるだけでなくなにかしら罰を受けるかもしれない。

 しかも三人が 「おすすめじゃない」 と言った理由は他にもある。


「官女と違って宦官はがめついから」

「手間賃が高いんだよ」

「ぼってくるからねぇ」

「……そうなんですね」


 琳瑶もその理由に納得する。

 もし宦官に頼むとしたら、足下を見られないように先輩下女たちの協力を仰いだほうがいいかもしれない。

 どう考えても琳瑶が直接お願いしたら足下を見られ、ぼったくりどころかあるだけ持っていかれるだろう。


 だが一筋の光明は見えた。

 宦官に頼むならコツコツ小遣い稼ぎをしなければならないが、最低でも半年後には薔薇に居場所を知らせることが出来る。

 また母が恋しくなって泣いてしまうかもしれないが、それでも半年ならなんとか持ちこたえられそうな気がしてきたのである。


(よし!)


 心の中で気合いを入れた琳瑶は先輩下女に切り出す。


「あの、代筆、しましょうか?」

「あんた、文字が書けるのかい?」

「書けます」


 ここでは世話になりっぱなしの琳瑶は、初めて三人の役に立てると思って自信たっぷりに答える。

 するとなにかに気づいて三人は顔を見合わせる。


「そういやあんたは……」

「そうだったね」


 そんなことを言ってまた憐れみの目を琳瑶に向ける。

 年齢詐称のことばかり気にしている琳瑶はすっかり忘れていたが、他にも 「ちょっといいところのお嬢さんが家計のため奉公に出された」 ということにもなっているのである。

 そのことを思い出して反応に困る琳瑶に先輩下女の一人が言う。


「じゃあ頼もうかな。

 お礼に去年、年季が明けた下女からもらった綿入れをあげるよ。

 あんたには少し大きいだろうけど、冬は寒いからね」


 この下女は数ヶ月後には年季が明け、後宮の外で冬を迎える。

 琳瑶が手紙を代筆してくれたら年季明けの仕事が決まるので


「この冬の支度は新しいご主人にしてもらえるからね」


 そう言って笑った。

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