第拾参話 禁断症状

「そこの菓子を包んで持たせてあげなさい。

 一人で食べてもいいけれど、見つからないようにするのよ」


 蘇妃そひと同じく、しん貴人きじんも話の終わりに甘い菓子を包んで持たせてくれた。

 でも他の下女に見つからないように食べるよう言った蘇妃とは違い、辛貴人の言葉は意味深だった。


 一人で食べてもいいけれど


 その先に続く言葉が 「見つからないようにするのよ」 だったけれど、本当は有意義に使ってもいいというものだったはず。

 実際に仕事に戻った琳瑶りんようは、いつもかまってくれる先輩下女たちと分けて食べることにした。


 琳瑶が宦官の豊衣ほういに連れて行かれたことは彼女たちも知っていたから、やはり心配してくれていて、辛貴人の侍女に連れられて戻ってくる姿を見てすぐに駆け付けてくれた。

 みんなには先日の侍女の意地悪のこと、その時に助けくれたのが豊衣だったことは話してある。

 今日、辛貴人に呼ばれたのはその謝罪だったと話したら、一様に驚いていた。

 そしてちょっとした休憩の時、物陰に隠れてもらった菓子を分けて食べたのである。


「あんたは小さいから、菓子ばかりもらうんだね」

「わたしらまで分けてもらって、悪いね」


 こっそりと菓子を食べながら先輩下女たちがそんなことを話していたから、もう少し詳しく聞いてみると、側室本人と下女が直接話すことはないけれど、侍女を経由して頼まれごとなどをすると、お礼に歯の欠けた櫛などをくれるのだという。

 他にも側室にとってはいらない物だが、売れば小遣い稼ぎになるのだという。

 素材によっては結構な高値で売れたりするから、特に年季明けが近い下女にはありがたいのだという。

 それでも菓子を食べながら


「甘い物もいいよね」

「いつも分けてくれてありがとうね」


 そんなことを言って嬉しそうにしていたから、琳瑶も菓子の食べ方はこれで合っているのだと思った。

 だから全く不満はなかった。

 それにこの日は辛貴人の口から、泰嬪たいひんこと異母姉の蘭花らんか薔薇そうびの実の娘でないことをほとんどの側室たちが知っているのだとわかり、安堵もした。

 安堵したはずなのに眠れなかった。


 眠れない


 泰家たいかの屋敷では、こんな夜は寝台を抜け出して例の文箱に顔を突っ込むのである。

 そしてわずかに残る母のこうを嗅いで心を落ち着ける。

 日が経つごとに文に焚きしめられた香の匂いは薄れてしまうけれど、定期的に薔薇から手紙が届くため完全に消えることはない。

 けれど日が経つごとに薄くなり、墨や料紙の臭いと混ざって変わっていってしまう。

 それでも残り香のようなものに琳瑶は母を感じることが出来た。

 残り香のようなものを嗅ぐことで心を落ち着けることが出来た。


 文箱はない


 安子あんしと蘭花のバリキャリ侍女たちによって無理矢理後宮に連れて来られたあの日、琳瑶は黎家れいかの屋敷に行くつもりで支度をしていた。

 琳瑶の部屋にある物のほとんどは薔薇が用意してくれたもので愛着があったけれど、全部を持っていくことは出来ない。


 だから諦めた


 けれどあの文箱だけはどうしても諦められず、重いけれど自分の手で抱えて持っていこうと決めて支度をしていたのである。

 それなのにあんな形で屋敷から連れ出され、置いていくことになってしまったのである。


 あの日、ほとんど出ることのない屋敷の外に一人で出る覚悟を決めるため、女々しくもあと少し……あと少し……と未練がましく嗅ぎ続けていたのが、意外にも嗅ぎ溜めになったのだろうか。

 それとも異母姉の蘭花が 「薔薇の娘」 と噂を流されていることで余計に薔薇を意識してしまったのか、どうしようもないくらい母が恋しくなってしまった。


 でもここに文箱はない。

 それが余計に辛くて悲しくて淋しくて、あんなにも腹が立って、もう二度と絶対に戻らないと決めた泰家の屋敷に戻りたいとさえ思ってしまう。

 もう部屋も片付けられてしまい、あの文箱も残っていないかもしれない。

 そう考えると恐ろしさにも襲われ、涙を堪えることが出来なかった。


 下女が寝起きするのは大部屋である。

 他の下女に気づかれないように、嗚咽が漏れないように、こっそりと蒲団の中で泣いているといつのまにか眠っていたらしく、朝になって先輩下女に起こされた時、枕がぐっしょりと濡れていた。


「すっかり目が腫れちゃってるよ」

「まずは顔を洗って、それから朝餉だね」


 声を殺して気づかれないようにしていたつもりだった琳瑶だが、ばっちり気づかれていたらしい。

 声を掛けて一緒に井戸まで行ってくれる下女もいれば、顔見知りの尚服しょうふくの下女に頼んで、洗濯物と一緒に濡れた枕を干してくれるよう頼んでくれたりと世話を焼いてくれる。


 しかもこの日もまた、朝餉を終えて勤めに出向こうとした時に官女が呼びに来た。

 今日は誰の呼び出しかと思ったら……


尚寝しょうしんがお呼びです」


 尚寝は琳瑶が属する局の名称であり、その責任者の役職名でもある。

 ここで官女が言う尚寝は責任者の梨葉りようのことで、琳瑶はいつも梨葉がいる部屋に連れて行かれる。

 梨葉と初めて会ったあの部屋である。


 年季が明けるまで辞めさせられることはないけれど、どこかよその仕事に移されるのだろうか?

 それとも昨夜のことで、同室の下女たちからうるさかったなどといったクレームがあったのだろうか?

 そのことで叱られるのだろうか?

 そんなことを考えながら梨葉の前に立つと、琳瑶を見た梨葉は一瞬目を見張り、それから小さく息を吐く。

 水鏡でははっきり見えなかったけれど、琳瑶の瞼は自分で思っている以上に腫れていたのである。


「……お前ぐらいの歳だと、仕方がないと思うけれど……」


 やはり昨夜のことで同室の下女からクレームがあったのだろう。

 叱られると思って小さくなっていたが、意外にも梨葉は、困った顔をしてはいたけれど琳瑶を叱らなかった。


「少しは落ち着いたかい?」


 困り顔に笑みを浮かべながら尋ねられ、琳瑶は小さく頷く。

 すると梨葉は 「そうかい」 と答え、控えていた官女に声を掛ける。


「昨日、いただいた菓子があっただろう?」


 すると官女は心得たように、隣の部屋から箱に入った菓子を持ってくる。

 そこから幾つか持っていきなさいと言われた琳瑶は、少し多いかもしれないと思いつつ、四つ、包んでもらった。

 いつも世話を焼いてくれる三人の先輩下女と琳瑶の分で四つである。

 それを持って仕事に戻ると、昨日のように仕事の合間、ちょっとした休憩の時間に先輩下女たちと一つずつ分ける。


「あんたはまた菓子をもらって」

「尚寝に呼ばれたっていうからよそに移動されるのかと思ったけど、まさか菓子をもらいに行ってたなんてね」

「少しは落ち着いたかい?」


 菓子を食べながら先輩下女たちが口々に話し掛けてくる。

 昨夜泣いていたことはもうバレているとわかっていたけれど、やはり改めて言われると恥ずかしいもの。

 梨葉に聞かれた時は黙って頷くだけに留めたけれど、ここはなにか言わなければと思った琳瑶の口から出て来たのは……


「歳をとると涙もろくなるって本当ですね」


 次の瞬間、それまで美味しそうに菓子を食べていた先輩下女たちの口や手が止まる。

 一人は、呆気にとられるあまり折角の菓子を危うく落としそうになったほど、12歳の子どもが口にするには不似合いな言葉である。

 明らかに使い方を、あるいは意味を取り間違えているのだが、気づいていない琳瑶はしみじみとしている。


「あんたの歳でなに言ってるんだい?」

「そりゃみんなに比べたら全然子どもですけど……」


 先輩下女の一人に尋ねられた琳瑶は拗ねるように口を尖らせ、ますます先輩下女たちを呆れさせた。

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