第拾壱話 お喋りな側室 ー辛花烏 壱


 琳瑶りんようを連れて、南側に部屋を持つ側室しん貴人きじんの部屋に向かっていた宦官のじょう豊衣ほういは、辛貴人の部屋が近づくにつれて表情は陰鬱に、溜め息が大きくなってゆく。

 やがて黙っていることに我慢出来なくなったのか、歩きながら話し出す。


「その……辛貴人は少しお喋りな方で少し驚くかもしれませんが、その、色々お話しされるかもしれませんが……」

「わたしは下女ですから、側室様のお話に口を挟んだりいたしません」


 豊衣が言わんとすることはわからないが、とりあえず琳瑶がそういうと、豊衣は 「そう?」 と少し安堵した顔を見せる。


「そうしてもらえると助かります。

 ついでに、その、辛貴人がなにを話されても外には漏らさないでください」

「わかりました」

「辛貴人と泰嬪たいひんは突然なにを言い出すかわからなくて……」


 琳瑶の素直な答えを聞いてホッとしたのか、豊衣はうっかり本音を漏らしてしまう。

 途中で気がついて慌てて口を押さえていたけれど、言いたいことはだいたい琳瑶にも伝わった。

 そもそも泰嬪こと蘭花らんかは異母姉なので、豊衣に聞くまでもなく彼女の横暴さはよく知っている。

 例の憶測で辛貴人が油断ならない人物であることも。


「辛貴人、お呼びの下女を連れて参りました」


 取り次ぎをしてくれた侍女の案内で、豊衣と琳瑶が通されたのはずいぶんと物の多い部屋だった。

 琳瑶の記憶が正しければ、辛貴人は蘭花と同時期に入宮したはず。

 つまり入宮してひと月も経っていないのだが、随分と物が多い。

 琳瑶の異母姉・蘭花の実家の部屋も物が多く雑然としていたが、同じ物が多くても辛貴人の部屋は整然と片付けられていた。


 それもただ片付けられているだけではなく、飾られた陶器などはピカピカに磨かれ、位置を選んで置かれているのがわかる。

 花瓶には季節の花を。

 同じく季節に合わせた掛け軸も飾られ、それらの調度に衣装を合わせる。


 いや、逆だ


 衣装に合わせて調度品を選んだのだろう。

 当然床も床を磨き上げるなど掃除も行き届いている。

 下女と会うためだけにわざわざここまで部屋を整えることはないはずだから、これから客があるのだろうか。

 あるいは辛貴人の部屋はいつもこのくらい整えられているのだろうか。

 そんなことを考えつつも豊衣の後ろに立つ琳瑶は、正面で堂々と椅子にすわっている若い女に礼をとる。


しん貴人きじん花烏かう様です」


 脇に控える侍女にそう紹介された辛貴人は、蘭花と同じような年齢だから17歳、18歳くらい。

 すわっているから背丈はわからないけれど、特に小柄というわけでもなければ大柄というわけでもない。

 煌びやかな衣装に合わせるためか、盛装の時に比べれば幾分ましだが、髪は高く結い上げて飾りを多めに。

 化粧も濃いめである。


「ご苦労でした、豊衣殿。

 下がっていただいてよろしいですよ」

「いえ、わたくしも立ち会わせていただきます」

「心配には及びません」


 すわったままの辛貴人は、紅を差した艶やかな唇でゆっくりと豊衣に話し掛ける。

 その向かいに、会話に不自由しない程度に距離を置いて立つ豊衣は、遠慮がちながらも同席を希望する。

 それを辛貴人はぴしゃりと断ったのである。

 彼女なりに宮官長お気に入りの宦官に気を遣って言葉や態度は選んでいるが、豊衣の同席を拒否したい意思は隠さない。


「ですが……」


 豊衣も皇帝の側室を相手にごり押しは出来ない。

 もともと強気な性格でもない。

 だからどうしても遠慮がちになるが、それでも頑張って食下がるけれど辛貴人も負けてはいない。

 曖昧ながらも言葉を継ごうとする豊衣の先手を打って口を開く。


「大丈夫だと申しているのです。

 もちろん豊衣殿が心配する気持ちもわからないでもありません。

 あんな噂を流されてしまっては……ねぇ……」


 辛貴人のつややかな唇が不穏な気配を含み、あでやかな化粧に彩られた目元が意味深に笑む。

 泰嬪こと蘭花の性格を知っていて陥れようとした黒幕の正体に関して、後宮で密やかに流れている 「憶測」 を彼女は揶揄しているのだろう。

 実際にそのことをで辛貴人を警戒してた豊衣は図星を指されて狼狽える。


「いえ、そんなことは……噂とは一体どのような……」

「隠しごとが下手でいらっしゃること」


 そう言って辛貴人が笑うと、その両側に控える侍女たちもクスクスと笑う。

 並んだその中に昨日琳瑶に意地悪をした侍女の顔はないが。彼女たちのお揃いの衣装は間違いなく昨日の侍女が着ていたものと同じである。


 下女たちが着る仕事着や宦官の官服は支給品だが、側室たちに仕える侍女のお仕着せはそれぞれの実家で用意されるもの。

 つまりそれぞれの側室で仕える侍女は違う物を着ているのだが、この後宮に暮らす側室は何十人といる。

 それなのに昨日、あの意地悪な侍女を見掛けて、衣装から辛貴人の侍女だとわかった豊衣の記憶力はたいしたものである。

 その豊衣は辛貴人に図星を指されて黙り込む。


「そういうところを宮官長はお気に召したのかしら?」

「きゅ? 宮官長?

 えっと、いま宮官長は関係ないかと……」


 すっかりペースを乱された豊衣がしどろもどろになると、辛貴人は平静を取り戻させまいと畳みかける。


「そのうちに宮官長のご機嫌の取り方を教えていただきたいものです」

「あの、わたくしは決して取り入るとかそういうことは……」

「ええ、ええ、存じておりましてよ。

 ですがわりと気の短い感情的な御方と聞いております。

 わたくしもね、二度も三度も同じことをして宮官長の機嫌を損ねるつもりはございませんの。

 折角後宮に入ったんですもの、冷宮に送られてはたまりませんわ」

「冷宮?」


(冷宮?)


 あまりにも豊衣とタイミングが合ったものだから、琳瑶は自分の心中が口から漏れてしまったのかと焦る。

 違うとわかってホッとしたのも束の間、あることに気づく。


(豊衣様も冷宮を知らない?)


 そう考えて思い出したのは、豊衣も後宮に入ってそれほど経っていないということ。

 だから知らないのかもしれない……と思ったが、辛貴人も同じ頃に入宮している。

 だが彼女は知っているらしい。


 冷宮


 それは一体どんなところなのか?

 気になる琳瑶だが、今は辛貴人と豊衣のやり取りの真っ最中である。

 豊衣同様……いや、豊衣とのやりとりを聞いてますます辛貴人が油断ならない人物だと気づいた琳瑶は、豊衣の厚意に甘えて同席を願いたいところ。

 豊衣を追い払いたがっているということは、辛貴人にとって豊衣の同席は都合が悪いのかもしれない。

 ならば豊衣が同席していれば、辛貴人は早々に用件を済ませて琳瑶を解放するかもしれないと思ったのである。


 だが甘かった。

 あまりにも豊衣が優柔不断すぎて、あまりにも辛貴人の押しが強かったのである。


「この部屋だって、折角整えましたのよ」


 辛貴人は両手で室内を示しつつ話し続ける。


「色々と足りない物があって、追加で実家から運ばせたりしてようやくここまでくつろげる部屋にしましたの。

 これらが全て台無しになるなんて……ねぇ……」

「はぁ……それは、まぁ……」

「先程も申し上げましたけれど、好んで宮官長の機嫌を損ねるような愚か者ではないつもりでしてよ」

「それはもちろんです。

 むしろ辛貴人は……」


 頭が良いと言い掛けたのか、あるいは腹黒いとでも言い掛けたのか。

 いずれにせよ話の流れ的にどちらを選んでも聞こえが悪い。

 そう思ってばつが悪そうに黙り込む豊衣に、辛貴人はにっこりと笑う。


「豊衣殿には他にもお仕事がございましょう?」

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