第肆話 背伸びをしたい灰かぶり媛

「本当に15になれば綺麗な子になるわ」


 今の琳瑶りんようには、蘇妃そひの言っていた言葉を気にする余裕はない。

 もちろん実母薔薇そうびのような美人になれるかどうかは気になるところである。

 むしろ母似の美人になれたら嬉しいし、なりたいとも思っている。

 それこそどうやったら薔薇のような美人になれるのか、誰でもいいので教えて欲しいくらいだが、あくまでも薔薇に似たいのであって美人になりたいわけではない。

 そのぐらい気にしているのだが、今は気にしている時ではないし、気にしたところで今の琳瑶に出来ることはない。

 誰かに美人になる方法を教えてもらう前に、この後宮では薔薇の娘であることを隠さなければならなかった。


 異母姉の蘭花らんかが薔薇の娘として鳴り物入りで入宮したのは琳瑶にとって腹立たしいことだが、薔薇が父のたい昌子しょうしと離縁するまでは、側室の子だった蘭花も薔薇の娘として扱われていた。

 泰家たいかの屋敷内では薔薇の実子は琳瑶一人で、蘭花の実母は側室だった艶麗えんれい

 当然琳瑶の中でもそうなのだが、対外的には蘭花も薔薇の娘とされていたのである。

 だから噂は全くの嘘というわけではない。


 だが薔薇と昌子が離縁して側室だった艶麗が正妻となってからは、泰家の屋敷内では変わらないが、対外的には琳瑶が艶麗の娘ということになった。

 但し前妻の娘という 「但し書き」 が付く。

 どうやらこのあたりの事情が、「薔薇の娘」イコール「凄い美人」 というネームバリューに掻き消されてしまったらしい。

 ここが後宮で、女の園であることも影響していると思われる。

 そうして蘭花は薔薇の娘として、鳴り物入りで入宮することに成功したのだろう。


 蘭花の入宮が決まって、実際に入宮するまで約二ヶ月。

 内示や宣下があってから入宮するまで半年以上かかる場合もあるので、蘭花の二ヶ月は極めて短いといえるが、噂が後宮中に広まるには十分な時間だった。


 実際に入宮した蘭花を見ての感想は現在進行形で拡散中である。

 皇后との挨拶を終えた蘭花は、側室たちとの挨拶を兼ねたお茶会に忙しくしている最中なので、実際に会った側室たちから次々に拡散されてゆくはずである。


 それに今回は蘭花の入宮と数日を前後してもう一人、新しい側室が入宮していた。

 蘇妃と侍女の会話に出て来た 「しん貴人きじん」 である。

「薔薇の娘」 とか 「凄い美人」 などといった前評判が高かった蘭花のせいで少しばかり存在感が薄かったのだが、側室同士の挨拶合戦が始まると、その存在感を徐々にではあるが大きくしているらしい。


 蘇妃が話していたように、皇帝はもちろん皇后や他の皇族の姿はおろか、側室たちの姿すら、琳瑶たち下女が見掛けることはほとんどない。

 だが用事を言いつかる侍女の姿はよく見掛ける。

 その侍女たちがとにかくお喋りで、庭掃除をしている琳瑶の耳にもその会話がよく聞こえてくる。


 一緒に耳をそばだてている他の下女が話してくれたところによると、蘭花と辛貴人が入宮してきて以来、後宮中が二人の噂で持ちきりになっているという。

 また他の下女が話してくれたところによると、新しい側室が入宮してくるといつもこんな感じだが、ほぼ同時期に二人が入宮するというのも珍しいが、側室が入宮すること自体が久々で余計に後宮中が浮ついているのだという。


「あんたの心配してることはわかってるよ」


 一番最初に面倒をみてくれた年長の下女は、色々と話を聞き出そうとする琳瑶を見て少し苦笑を浮かべる。

 彼女はもうすぐ年季が明けるというから、すでに三年近くこの後宮にいることになる。

 だから着ている仕事着も古くなり、他の下女たちよりも色々なこと知っている。

 それに尚寝しょうしん梨葉りようからも信頼されているらしく、足りない官女の代わりをして琳瑶の案内などもしていたのである。


「蘇妃に呼ばれたって聞いた時はびっくりしたけど、あんたみたいに小さい子が来るのは初めてのことじゃないから。

 なにしろ人手が足りないからねぇ」


 だから誰も、あえて琳瑶の歳のことを言い出すことはないだろうと話す。

 それこそ年季が明けて辞めるのは仕方がないけれど、年齢が足りなくても働けるのなら働いて欲しい。

 そのくらい今の後宮は人手が足りていないという。


 12歳の子どもが15歳の振りをするのはかなり無理がある。

 それは琳瑶もわかっていたことだが、まさか働きに出された初日から……いや、働かされる前からバレていたのは予想外である。

 今はみんなが琳瑶に同情して見ない振りをしてくれているけれど、宮官長には見つからないようにと口々に言われている。

 それこそ尚寝の梨葉にも言われている。


 宮官長


 後宮の主人あるじは皇帝であり女主人おんなあるじは皇后だが、管理の面で頂点にいるのは宦官の宮官長、薫永くんえいである。

 皇帝や皇后はもちろん、皇族や上級妃には米つきバッタだが、中級妃以下は実家の権勢次第で態度を変える。

 そんな性格だから当然宦官や下女には厳しく、目を付けられると年季が明けるまで地獄のような日々を送ることになるという。

 しかも年季奉公は三年という期間があるが、宦官はもっと地獄である。

 なかなかなり手がないため下女よりもさらに人数が少なく人手不足は深刻なはずだが、後宮を辞しても行き場がないのをいいことに、気に入らなければとことんいじめ抜かれるというのである。


 噂では、そんな尹宮官長のせいで下女も宦官も慢性的な人手不足になってしまい、皇后が頭を痛めているとかいないとか。

 その皇后自身も、現皇太子の実母たん貴妃きひと、皇后の座を巡って緊張関係にあるとかないとか。

 基本的に女所帯の後宮はとにかく噂が多い場所だが、上級妃以上の噂はきな臭いものが多い。

 それこそ一見たわいない内容に聞こえて、油断をすると炎上案件だったりすることも少なくないという。


「まぁあたしらが皇后様のお姿を見ることなんてないけど、噂はどこから流れてくるかわからないからね。

 耳にしても絶対口にはしないように」

「はい」


 それが一番の安全策だという先輩下女は唇に一本指を立ててみせると、琳瑶の返事を聞いて桶に汲んだ湯を勢いよく頭から被る。

 石けんの泡を立て、撫でるように自分の体を洗っていた琳瑶は、ふと隣で屈んでいる下女の体に視線を移す。

 もともと背が低いことを気にしていた琳瑶だが、歳が違うとはいえ、下女の体と比べて色々と違うことに気づいたのである。


 特に胸元


 豊かに膨らんだ下女の双丘を見て、琳瑶は見下ろした自分の胸と比べてみる。

 続いて広い浴場内、湯煙の中に佇む他の下女たちを見渡してみる。

 中には慎ましやかな双丘もあるけれど、真っ平らな琳瑶とは比べるべくもない。

 どうしたらそんなに大きくなるのかと考えたところで、胸が大きくなれば少しは大人っぽく見えるかもしれないと考え、湯から上がって仕事着に着替えると、手ぬぐいを丸めてこっそりと胸元に詰めてみる。

 だがただ詰めるだけでは胸を大きく見せることは出来なかった。

 もう少し上を膨らませるにはどうしたらいいか考えていたら、隣で着替えていた先輩下女が、考え込んでいる琳瑶に気がついて苦笑いを浮かべる。


「随分な垂れ乳だね」

「もう少し上にしたいんだけど……」


 考えながら試行錯誤する琳瑶を見て、苦笑を浮かべる先輩下女は無造作に琳瑶の胸元に手を突っ込むと、詰め物代わりの手ぬぐいを取り出す。


「背伸びをしたい年頃なのはわかるけどさ、無駄なことはやめておきな」

「でも……」


 少しでも胸を大きく見せれば、1歳2歳くらい誤魔化せるのではないかと考えた琳瑶だったが、先輩下女にはあっさりと 「無駄」 と断言されてしまった。


「だってあんた、顔が幼いんだ。

 体だってこんな細っこくて……そんなことしたって誤魔化せやしないだろう」


 そう言われ、手ぬぐいを返される。

 むしろおかしなことをしたら余計な噂になって注目を集めてしまうと注意されてしまう。

 だが諦めきられない琳瑶は、受け取った手ぬぐいを握りしめて食下がる。


「あ、あの、じゃ、じゃあ教えて。

 どうやったら大きく出来る?」

「大きくって、胸を、かい?」


 まさかそんな質問をされるとは思っていなかった先輩下女は、面食らったように言葉に詰まる。

 だが琳瑶の真剣な様子を見て諦めたのか、思案しながら独り言のように呟き出す。


「胸を、ねぇ……男に揉んでもらうのがいいって聞くけど……」


 そこまでを言うと、天井に泳がせていた視線を琳瑶に戻す。

 もちろんその視線の先には琳瑶の絶壁がある。


「……あんたにはまだ早いよねぇ」

「揉む? 揉むんですか?」


 小さく息を吐きながら言われ、琳瑶も自分の胸を見る。

 何気なく服の上から両手を当ててみると、下女はさらに言う。


「それだとまるで洗濯じゃないか」

「洗濯?

 男の人が洗濯するの?」


 先輩下女の中では思考が繋がっているのだが、その口から出てくる言葉は断片的で琳瑶には理解出来ない。

 しきりに首を傾げながら聞いていたが、別の策も考えてみる。

 そして訊いてみる。


「その胸、分けて欲しい……」

「どうやって?」


 ついには吹き出す先輩下女に、琳瑶はなおも食下がる。


「お菓子、分けてあげたじゃない」


 蘇妃にもらったお菓子のことである。

 代わりに胸を分けてとねだる琳瑶に、下女は笑いを堪えながらも 「それは内緒だろ?」 と唇に一本指を立てて見せた。

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