第拾肆話 昌子の先手


「話を戻しましょう」


 侍女の件についてきっぱりと断ったれい彩月さいげつは、口調を改めて続ける。


黎家れいか泰家たいか、どちらの屋敷で暮らすかは琳瑶りんようが決める。

 そういうお約束だったはずです」

「だから琳瑶は父親わたしを選んだ。

 さっきもそう言ったはずだ」


 なぜ話がそこに戻るのかわからない昌子しょうしは、少し語気を荒らげる。

 だが彩月は気にすることなく淡々と続ける。


「以前はそうだったかもしれませんが、今回、琳瑶は薔薇様叔母上と暮らすことを選んだのです」

「なんの話だ?」

「叔母上への手紙で意思表明をしまして、本日、わたしが迎えを任された……というわけです」


 琳瑶から迎えはいらないと言われた薔薇だったが、どうしても一人で黎家の屋敷まで来させるのは心配だったため、彩月を迎えに遣ることにしたのである。

 いくら甥とはいえ彩月は成人しており、宮中に出仕しているはず。

 決して暇ではないはずだが、薔薇そうびは叔母の権限で気安く扱き使っているらしい。

 彩月の口ぶりにはそんな様子が見て取れる。


 一方の昌子は、彩月の口から知らされた琳瑶の決意に、内心で焦り冷汗をかきつつもこっそりと胸をなで下ろす。

 そして不敵な表情で彩月を見返すと、勝ち誇るように返す。


「どうやら無駄足を踏ませてしまったようで申し訳ない」


 今度は彩月が問う。


「どういうことですか?」

「実は蘭花の入宮に合わせて、琳瑶を蘭花の侍女として後宮について行かせることにしてね」

「なんですと?」

「わたしも色々と思うところがあってな、琳瑶には少し行儀を習わせようと考えていたところ、丁度蘭花の入宮が決まったので、一緒に後宮に行かせることにしたんだよ」


 意味を理解した彩月の表情が変わる。


「……今、琳瑶はどこに?」

「これからは侍女として働く身だからな、蘭花と同じ車に乗せるわけにはいかない。

 歩いて向かう他の侍女たちと一緒に、先に行かせたよ」

「つまり、あくまでも琳瑶のことは大事にしないんですね」

「とんでもない!

 大事だからこそ、後宮で行儀を見習わせることにしたんだ」

「なにを……」


 してやったりと得意気な昌子に言い返そうとする彩月だが、ぐっと堪えるとすぐに平静を取り戻す。


「……とにかく、琳瑶は黎家の屋敷で暮らすことを決めましたので、今日、これから琳瑶の荷物を全て引き取らせていただきます」

「この屋敷の主人あるじはわたしだ。

 勝手は許さん」

「勝手ではありません。

 先に確認したはずです、どちらの屋敷で暮らすかは琳瑶が決めると」

「その琳瑶がいないのに、お前の話が本当か嘘かもわからないだろう」

「それはいずれ、琳瑶に確認すればよろしいのではありませんか?

 その機会があれば、ですが」

「あれは後宮に遣ったんだ。

 三年も経てば、自分が言ったことも覚えていないだろう」


 だからまた自分の屋敷に戻ってくると言う昌子だが、彩月は気にすることなく連れてきた従者たちに指示を出す。

 先に琳瑶の部屋に行って荷造りを始めるようにと。

 言われるまま琳瑶の部屋に向かう従者たちの背中を見送りながらも、彩月は昌子の言葉に引っかかりを覚える。


(三年?)


 その数字がどこから来たのか引っ掛かったのだが、昌子には悟られないように改めて話を続ける。


「琳瑶の荷物を回収するよう指示したのは叔母上です。

 文句があるようでしたら叔母上とお話しください。

 どうせ琳瑶の不在中、碌に部屋の掃除もしないのでしょう?

 物が痛まないようにするためにも、叔母上に預けておくのが賢明です。

 あとで琳瑶が、やっぱりこちらの屋敷で暮らすと言えば、叔母上もおとなしく返すでしょうから問題ありません。

 あなたと違って、叔母上は琳瑶を困らせるようなことは絶対にしませんのでご心配なく」


 万が一にも琳瑶が泰家の屋敷に戻りたいと言ったなら、薔薇は今琳瑶が使っている物よりも高価な物を揃えて送り返すだろう。

 そう話した彩月は、最後に 「では」 と素っ気なく言って踵を返す。

 もちろん向かったのは琳瑶の部屋である。


 先に向かった従者たちは、琳瑶の部屋にある物を手際よく片付ける。

 そこに遅れて彩月が現われると、彼らの作業を監視するように立っていた若い男が駆け寄ってくる。


「若!」


 歳も背丈も変わらない男を見て彩月は 「英成えいせい」 と呼び返す。


「琳瑶はどうした?」

「それが、わたしにもよくわからないのですが……」


 そう切り出したそう英成えいせいは、少し前に会った琳瑶との一幕を話す。

 彩月には琳瑶が一人で屋敷を抜け出したら確保するように言われていたが、実際に屋敷を抜け出した琳瑶は一人ではなかった。

 お揃いの衣装に身を包んだ侍女とおぼしき女たち数人に、守られるように連れられていたのである。

 一人ではないのなら大丈夫かと思って様子を見ていたのだが、突然助けを求められて驚いたこと。

 そして渡された髪飾りを見せる。


「間違いなく琳瑶の物だ、いつもつけていた」


 先日会った時も、それ以前に黎家の庭で開かれた宴の席などで見掛けた時にもつけていたことを思い出す彩月に、英成は困惑も露わに問い掛ける。


「いったいどういうことでしょうか?」

「昌子殿にしてやられた」


 そう言って、今度は彩月が先程のことを英成に話して聞かせる。

 聞き終えた英成はとんでもない失敗をしてしまったことに気がつき、顔色を青くする。


「……つまり、わたしが会った時に琳瑶様を保護しておけば……」


 とか


「折角若が配慮しておられたのに……」


 などという英成の呟きをとなりで聞いていた彩月も、受け取った琳瑶の髪飾りを見ながら呟く。


「とりあえず、戻ってすぐ兄上たちに相談する」

「ですが……」

「わかってる。

 後宮となれば父上にご相談するしかないが、まずは戻って兄上たちに相談だ」

「薔薇様には……」

「……それも兄上たちにご相談してからだ」

「わかりました」

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