第拾参話 黎家の迎え

 昨夜は蘭花らんかの入宮を祝い、親族が集まって宴会が開かれた。

 祝い酒の飲み過ぎなどでそのまま泊まった客も多く、使用人たちも大忙しである。

 翌朝は朝食の準備だけでなく使った部屋の片付けにも忙しいが、皇帝の使者にその慌ただしさを見られるわけにはいかない。

 だが宿泊客が蘭花の出立を見送るためには、そのあいだに朝食や身支度を済ませる必要がある。

 自分の身支度だけでなく、蘭花や艶麗えんれいの支度に皇帝の使者を出迎えるための準備、そのための采配に泊まり客の対応など、初めてのことに主人あるじたい昌子しょうしは朝早くから大わらわだった。


 しかも宴会には艶麗の実家である茶家さかからも親族が招かれており、その中に江流こうりゅう文刀ぶんとうがいたことがなによりも厄介だった。

 艶麗の実父と実弟で、蘭花にとっても祖父であり叔父である二人を招かないわけにはいかなかったのだが、昌子の本心を言えば招きたくなかった。

 二人は昌子の顔を見れば同じことを言うのである。


「今日は琳瑶りんようを出さないのか?」


 二人が血縁のない琳瑶を気に掛けるのにはもちろん目的がある。

 文刀の息子と琳瑶をめあわせ、黎家れいかとつながりを持ちたいのである。

 艶麗が薔薇そうびにしたことを考えれば黎家が認めるとは思えないが、なにを企むかわからないのが茶家である。

 かつてまんまと艶麗に騙された昌子としては、琳瑶まで奪われるわけにはいかない。

 蘭花が入宮する以上、琳瑶は弟昌美しょうびの息子晶春しょうしゅんに嫁がせなければならないからである。

 そのための手もすでに打ってあるのだが、それでも油断がならないのがこの茶親子である。


 今回も皇帝の使者と挨拶をする場に同席させろとしつこく迫ってきた。

 昌子の予定では、自分たちの他には弟の昌美とその妻子の七人だけで挨拶をするつもりだったのだが、話を聞いた艶麗までが同席に賛成してしまい、押し切られてしまう。

 さすがに茶親子も、皇帝の使者の前で余計なことはしなかったが……。

 無事に挨拶を終えたあと、入宮する蘭花を乗せた車が出立するのを、駆け付けた親族や客たちと一緒に見送る。

 そのまま他の親族と一緒に帰ってくれたらよかったのだが、おそらく帰らないだろう。

 いつものように適当なことを言って居座ろうとするに違いない。

 それをどうやって追い払おうかと考える昌子に、使用人が来客を知らせてきた。


 丁度いいタイミングだと内心で喜んだ昌子だが、使用人の様子がおかしい。

 客人たちの見送りを艶麗に任せて席を外した昌子は、落ち着かない様子の使用人から話を聞いてみる。


「旦那様、黎家から遣いの方がお見えでございます」

「黎家?

 なぜ黎家の遣いが?」


 表の客人たちを気にして声を潜める使用人に、昌子は眉をひそめる。

 蘭花の入宮を口上のみの祝いで済ませた黎家が、いまさらなんの用があるのだろう。

 しかもこんなめでたい日に、である。

 昨夜の宴席にも呼ばれていない黎家から遣いがやって来た……となれば使用人も落ち着かないだろう。

 その使用人の案内に従った昌子は、通された部屋で待っていた黎家の遣いと会ってさらに驚く。


 黎家の遣いはいつも若い男だったが、だいたいいつも違う顔である。

 この日訪れたのもいつものように若い男だったが、その顔はつい先日見たばかりである。

 求めた蘭花の入宮祝いを 「遠慮する」 なんて遠回しな言葉で断ってきた黎家の当主、東雲とううんの言葉を伝えてきたあの男である。


 誰を遣るかを決めるのは黎家だからともかく、いつもは数個の行李を運ぶため二~四人程度の従者を連れているのだが、今日は十数人の従者を連れていたため、何事か? ……と驚く昌子に、遣いの男は軽く頭を下げて挨拶を述べる。


「泰大人たいじんにおかれましては、一の媛の入宮、おめでとうございます。

 このおめでたきに日にお邪魔してしまい、申し訳ございません」

「まったくだ」


 状況が理解出来ず落ち着かない昌子だが、自分より遥かに若い遣いを前に、上辺を取り繕って尊大に振る舞ってみせる。


「なんの用かは知らんが、今日のところはお引き取りを」

「お忙しいのは重々承知しておりますが、残念ながらそうは参りません。

 わたしも役目というものがございますので」

「遣い風情が大口を叩くな。

 この屋敷の主人あるじであるわたしが帰れと言っているのだ、帰れ」


 取り次いだ使用人に視線で 「追い返せ」 と合図する昌子だが、多勢に無勢である。

 戸惑いながらも他の使用人を呼びに行くために席を外すが、そのあいだも昌子と遣いの男の話は続く。


「用事が済めばすぐに帰りますよ」

「用事?」

「本日は琳瑶を迎えに参りました」

「琳瑶?」


 尊大な態度をとりながらも、やはりまだ落ち着いていないらしい昌子は遣いの言葉を繰り返すだけ。

 その様子を見て、遣いの男は笑顔で昌子の思考が追いつくのを待つ。


「……どういうことだ?

 あれがなにかの招待を受けているとはきいていないが?」

「招待ではございません。

 琳瑶は、これから薔薇様と一緒に黎家の屋敷で暮らすことになりました。

 今日はそのお迎えに参りました」

「どういうことだ?」


 やはりまだ状況を理解出来ないらしい昌子は同じ言葉を繰り返す。

 しかもその表情には焦りが見える。


「覚えておられますか、薔薇様と離縁された時のお約束を」

「約束?」


 やはりまだ思考が追いついていない昌子は遣いの言葉を繰り返す。

 対して遣いの男は辛抱強く付き合うように話す。


「そう、お約束です。

 父君と母君、琳瑶は望むほうの屋敷で暮らすことが出来る……というお約束です」

「その約束ならばもちろん覚えている。

 琳瑶は父親わたしを選んだ。

 だからこの屋敷で暮らしているのではないか」


 すると遣いの男は 「それはどうでしょうね」 と苦笑いを浮かべる。


「策を弄して無理にとどめたと聞いておりますが……」

「黙れ、遣い風情が!」


 黎家と泰家の格差は誰が見ても明らかだが、使用人ごときにまで格上の態度をとられるのは昌子の矜持プライドが許さない。

 遣いの男の言葉途中で声を荒らげて遮る。

 だが男はひるまず、まっすぐに昌子を見て返す。


「そういえばご挨拶が遅れました。

 わたしは黎家の当主、れい東雲とううんの三番目の息子、れい彩月さいげつと申します」

「黎大人たいじんの息子?

 なぜ黎大人たいじんの息子が遣いなど……」


 遣いの男の思わぬ正体に、昌子は驚きを隠せない。


薔薇様叔母上に頼まれて、琳瑶の様子を見に来ていたのです。

 毎回毎回、屋敷の中とはいえ、十歳とおそこらの子どもを侍女もつけずに一人で歩かせ、挙げ句には重い荷物まで運ばせる始末。

 叔母上でなくても呆れるでしょう」

「なんのことだ?

 あれには侍女をつけてある」

「叔母上がつけていた侍女が追い出されたあと、わたしは琳瑶が侍女を伴う姿を一度も見ていません。

 他の遣いの者も。

 ちゃんと琳瑶の世話がされているか叔母上も酷く心配しておられたので、新たにどのような侍女がつけられたのか、わたしたちも気にして見ていたのです。

 ところがただの一度も、顔すら見られませんでしたよ」


 艶麗と蘭花が、黎家がつけていた琳瑶の侍女を追い出したことは昌子も知っていた。

 だがさすがに後任の侍女のことまでは知らなかったし、いつも食事に琳瑶が一人で現われるのも、侍女が一人しかいないから手が足りていないのだろうと思っていた。

 先日、黎彩月が訪れた時も、呼びにやらせた使用人がいたから琳瑶は一人で来たのだと思っていたのだが……。


「……それは……知らなかった。

 侍女にはよく注意しておこう」

「その必要はございません」


 黎彩月はきっぱりと言い切った。

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