第玖話 本音と婚姻
いつもなら二日、三日程度で届けられる
届けに来た遣いの男が
「歳の割に落ち着いていると思ったが、まだまだ子どもだな。
母親の手紙を喜ぶなんて」
琳瑶の様子を見て遣いの男はそんなことを言っていたが、本当のことを知ったら
遣いの男にそう思われるのは全然かまわないけれど、薔薇にまでそう思われるのは絶対に嫌である。
嫌われるのはもっと嫌。
だからさっき、万が一にも遣いの男に気づかれていたら口封じを……なんて十二歳の女の子にしては物騒なことを考えたほどである。
「またわからないことがあればいつでも尋ねるといい。
黎家で駄賃を払うから、こちらの使用人を遣いに出しなさい」
そう言い残して遣いの男が帰って行くと、琳瑶はそそくさと、それこそ小走りに部屋に戻り存分に薔薇の香を堪能する。
安子がいなかったおかげで、誰にも邪魔をされることなく堪能することが出来た。
肝心の内容に触れたのはそれからである。
最初に書かれていたのは、
遣いの男が話していた以上に踏み込んだことが書かれていたのだが、琳瑶はまだ十二歳の子どもである。
裏側の事情や難しい話ではなく、薔薇の本音に踏み込んだ内容である。
そもそも
やはり琳瑶に詳しいことはわからないけれど、宮中において、黎家はそういったことを知ることが出来る立場なのだろう。
だから薔薇も、琳瑶から手紙が届く前から蘭花の入宮を知っていたが、祝いを贈るつもりは毛頭無かったという。
遣いに持たせた薔薇の、
なにかそれらしい言葉を……ということで考えたらしい。
肝心な薔薇の本音はといえば……
『厚かましい』
その一言に尽きるらしい。
ただ薔薇だって鬼ではないし、
だから
つまり蘭花は日頃の行いでチャンスを潰してしまったのである。
(お姉様ってそういう人よね)
それこそ自業自得……と思いながら手紙を読み進めると、琳瑶が尋ねた後宮について書かれていた。
薔薇は琳瑶の返事を読んで、まずは後宮について書かれた書物を探そうとしたという。
だがこれが見つからない。
あるにはあるのだが、子どもの琳瑶にはまだ早い内容や難しい物ばかりだったのである。
そこで作戦を変更したのだが、これに時間がかかったというのである。
昌子と離縁して実家に帰った薔薇は、現在は長兄が家長を務める黎本家の屋敷で暮らしている。
そこには当然家長である
東雲には正妻と三人の息子があるのだが、薔薇には他にも兄が二人いる。
そしてそれぞれに息子がおり、成人後は皆出仕している。
薔薇は三人の兄や甥たちに、後宮について知っていることを話してもらい、紙に記したというから時間がかかって当然だろう。
だがその甲斐あって、読み応えのある返事が琳瑶に届いたのである。
そしてその中には、遣いの男が話していたマウント合戦についても書かれていた。
上級貴族や高貴な方から高価な物を贈っていただく。
後宮ではその贈り物がどんな些細な物であっても、身分の高い人から物を贈ってもらえるということそのものがステータスになるというのである。
「きっと他にすることがないんでしょうね」
遣いの男が言っていた言葉の意味が改めてわかる話である。
入宮に際しては、どれだけの人から祝ってもらえたかというのもやはり自慢になるというから、おそらく昌子たちは、薔薇から祝いの品を受け取って、それを黎家から贈られたことにするつもりだったのだろう。
そう考えるとあのしつこさも納得出来るし、遣いの男もそんなことを話していた。
琳瑶も年に一回だけ、父とともに花見の宴に招かれて黎家の本屋敷を訪ねるが、屋敷の立派さは泰家など比べるべくもない。
屋敷はもちろんだが、庭も。
招待される客についてはわからないけれど、毎年多くの人で賑わっている。
それに昌子たちの執着ぶりからみても、黎家はかなりの家柄なのだろう。
だからその黎家の名を使って蘭花の入宮に箔をつけたかったらしい。
(だったらお母様と離縁しなければよかったのに)
そうすれば琳瑶だって薔薇と引き離されずに済んだのである。
まったくもって恨めしい話である。
薔薇だって、娘だった蘭花の輿入れに華を添えてくれただろう。
本人もそう手紙にしたためている。
まったくもって艶麗・蘭花母子は馬鹿なことをしたものである。
そもそもどうしてそんなに高い家柄の薔薇が、そこそこの家柄の泰家に嫁いだのか?
そこが琳瑶には疑問だったが、実はこれはある人物の失敗が原因で、それこそ末代までの恥とまで言われている。
だから琳瑶にも明かされていないのだが、このままなにもなければ一生明かされなかったかもしれない。
だが今回の蘭花の入宮にはその人物が関わっていたため、宣下の前に入宮の話を黎家が知ることになったのである。
もちろん薔薇の手紙にそんな大人の事情は書かれていない。
琳瑶が知り得ない後宮独特の変わったルールや価値観の他に、実際にあった珍事などが書かれていた。
それらを読み進めるうちに、琳瑶は後宮がなんのための場所かわからなくなってくる。
遣いの男は 「もちろん帝の寵愛争奪戦も熾烈ですが」 と言っていたが、薔薇の手紙にはそういったことが全くと言っていいほど書かれていなかったからである。
まだ十二歳という琳瑶の年齢を考えて、薔薇がそういった話題を避けたのかもしれない。
醜い嫉妬や焦りなどから来る妃同士の嫌がらせの数々は沢山書かれていたが、妃としての勤め……もっと具体的に言えば閨でのことなどはほとんど書かれていなかったのである。
薔薇から、手紙に書いて琳瑶に送ってやると聞いて、情報を提供した兄や甥たちがそういった話題を避けたのかもしれない。
あるいは薔薇が母親として取捨選択したのかのかもしれない。
わからないが、そういった話題はほぼ皆無だったのである。
だが十二歳という年齢は、まだ子どもではあるが決して結婚と無縁ではない。
それこそ一桁の頃から縁談が持ち上がることもあり、婚約だって珍しくはない。
ただ琳瑶自身は、両親は自分に興味がないからそういった話も持ち込まれないだろうと思っていた。
生涯独り身かもしれないとさえ思っていたほどである。
実際は逆である。
実は蘭花には、今回の入宮の前に別の縁談が持ち上がりかけていたのである。
相手は父昌子の弟
現在泰家の家長は兄の昌子だが、彼には跡取りとなる男子がいない。
そこで昌子の娘である蘭花と昌美の息子を
ただ昌子と昌美の兄弟仲があまりよくないためになかなか具体的な話が進まず、そのうちに今回の蘭花の入宮が決まり、必然的に従兄弟との縁談は立ち消えとなった。
だが泰家の後継者問題が解決したわけではない。
このままでは昌美の息子が跡を継ぐことは避けられないが、もし昌子が自分の血筋を残しておきたいと考えるならもう一人の娘と
つまり琳瑶にお鉢が回ってくるのである。
しかも昌美にしてみれば、琳瑶と息子が結婚すれば直接黎家とつながりを持つことが出来、兄を出し抜くことが出来る。
生まれる順番が違っただけで弟の地位に甘んじていた昌美にとっては千載一遇のチャンスである。
こんないい話を逃しはしないだろう。
それこそ蘭花が無事に入宮すれば、すぐにでも琳瑶と息子の縁談を進めるかもしれない。
それどころか兄に反対される可能性も考慮し、実力行使に出る可能性だって十分にある。
そんなことを黎家が見越していたかどうかはわからないが、薔薇から琳瑶に届いた長い長い手紙の最後にはこんなことが書かれていた。
『琳瑶や、そろそろ母と暮らしませんか?』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます