第捌話 遣いの話

「片付けなど使用人にやらせなさい」

「え? ……あ、はい」


 部屋を出ていく父親の背中をぼんやりと見送っていた琳瑶りんようは、掛けられる遣いの声でハッとする。

 そして遣いの様子に違和感を覚える。

 なにが……とは言えないが、違和感を覚えたのである。


「どうかされましたか?」


 窺い見るような琳瑶の視線に気づいていたはずだが、遣いの男はなんでもない風を装って尋ねてくる。

 それが琳瑶には余計に奇妙だったが、折角なので先程のやり取りについて訊いてみる。


「あの……訊いてもいいですか?」

「わたくしにわかることでしたら」


 おずおずと尋ねる琳瑶に、遣いの男は柔らかな笑みを浮かべて返す。


「さっきのお話ですが、お父様やえんれ……継母お母様黎家れいかのお祝いにこだわっているように見えたんですが、なにかあるんですか?」


 黎家は蘭花らんかの入宮を祝うけれど、特に祝いの品などは贈らない。

 その理由を遣いの男は


「すでにたい大人たいじんとは離縁されておられるわけですから、薔薇様と一の媛とも縁が切れております。

 離縁の理由も理由でございますし、なにより泰夫人のご実家、茶家さかのお立場もございますので遠慮したいとのことでございます」


 そう話していた。

 泰家の一の媛とはもちろん蘭花のことである。

 そのことは琳瑶もわかったけれど、そのあとの話がよくわからなかった。

 けれど今になって考えてみれば、蘭花の実母は艶麗えんれいである。

 となれば祝いの主体は泰家と艶麗の実家である茶家のはず。

 そこに両家よりも遥かに格上の黎家が割り込めば、両家の祝いが霞んでしまう。

 だから遠慮したい……という意味だとわかるし、もっともな話だとも思う。


 だが艶麗や蘭花は、以前、琳瑶宛に送られてきたような高価な物をもらえると思っていたのかもしれない。

 そのあてがはずれてがっかりするのもわかるし、思うようにならないことに癇癪を起こすのはいつものことである。

 そういう性格だから。


 だが父親の昌子しょうしまでが二人と同じように黎家の祝いにこだわった。

 そこが琳瑶には不思議だった。


「なにか……ですか」


 琳瑶の問いに、遣いの男は思案しながら呟く。

 そして思案しながら答える。


「おそらくですが、黎家の祝いというより高価な物が欲しかったのでしょう」

「お姉様も継母お母様も、沢山持ってるはずです」


 それこそかつて、琳瑶宛てに黎家から届けられていた品々を彼女たちは持っているはず。

 だが遣いの男は言う。


「使い古した物では駄目なのです」

「でもそれなら……お姉様は衣装や身の回りの物を全部新しくするって言ってました。

 それで毎日仕立屋とかお店の人とかが来てて……」

「琳瑶様も一枚くらい仕立てていただけましたか?」


 遣いの男が言うには、嫁ぐ蘭花が衣装を新調するのはもちろんだが、家族も真新しい衣装で華々しく着飾って皇帝の使者を迎えるもの。

 その時に琳瑶がどんな衣装を着たのか薔薇そうびが知りたがっていると遣いの男は言うが、琳瑶は正直に同席させてもらえなかったことを話す。


「では琳瑶様は新しい衣装を仕立てていないということですか。

 まったく……どこまで薔薇様を怒らせれば気が済むんだ、昌子殿は」

「お母様、怒ってるんですか?」

「勘違いしないように。

 薔薇様がお怒りになっているのは昌子殿や泰夫人に対してです。

 あなたにではない」


 薔薇が自分に怒っているのではないとわかりホッとする琳瑶だが、やはり遣いの男の言葉には違和感がある。


「話を戻しますが、そもそも黎家と泰家では商人が持ってくる品物が違います」

「どういうことですか?」

「簡単なことです。

 物を見る目が肥えている相手に安物を売りつけることは出来ませんが、かといって代金を踏み倒されては商売になりません。

 客が店や品物を選ぶように、商人も客や品物を選ぶのです。

 客に見合う物を、ね」


 客それぞれに見合う品物を売り込む、それを決めるのが商人の才覚であり商売というもの。

 つまり黎家は名門中の名門貴族だが、おそらく泰家とは商人の信用も違うのだろう。

 客の前ではいつも愛想のいい商人もそのへんはシビアだとも遣いの男は話す。


「下世話な話ですが、泰家では手に入れられないほど高価な物を黎家から入手して、蘭花殿の入宮に箔をつけたかったのでしょう」

「はく?」

「それこそ黎家から高価な物を祝いに贈られたというのは、後宮では立派な自慢になりますからね」

「後宮ってそういうところなんですか?」

「そういうところです。

 華やかな女の園といえば聞こえもいいですが、内実は日々マウント合戦です。

 より華やかに、より美しく、より高価な物を飾り立てて自慢する。

 もちろん帝の寵愛争奪戦も熾烈ですが、きっと他にすることがないんでしょうね」


 そう言って遣いの男は肩をすくめてみせる。

 だが今回のことにはもっと大きな裏があり、昌子たちは蘭花の入宮を薔薇が祝ったという名目が欲しかったのである。

 それも黎家にはそうと気づかれないように。

 そのために琳瑶から薔薇に祝いを物で催促させてみたのだが、そもそも艶麗や昌子が薔薇にした仕打ちを考えれば厚かましいにもほどがある。

 断られるのは当然だろう。


 しかも薔薇は、艶麗の実家である茶家に遠慮して……などと遠回しな言葉を使って気を回しているのに、艶麗は思い通りに事が運ばないからと癇癪を起こし、よりによって黎家の遣いに湯飲みを投げつける始末。

 大人げないにもほどがある。


 琳瑶がこの裏話を知っているはずはないが、遣いの男の話には 「そうなんですね」 と納得する。


「琳瑶様は後宮について興味を持たれたそうですが、他のことも含めて、詳しいことはおそらくこちらに書かれているでしょう。

 どうぞ、ご自身の目でご覧ください」


 そう言って、遣いの男はいつもより分厚い薔薇の手紙を琳瑶に手渡す。

 ずっしりとした重みのある料紙からはいつもより濃厚に母親の香りが漂ってきて、危うく遣いの男が目の前にいることを忘れて匂いを嗅ぎそうになる。


「歳の割に落ち着いていると思ったが、まだまだ子どもだな。

 母親の手紙を喜ぶなんて」


 寸前で気がついて思い留まった琳瑶が、チラリと遣いを見ればそんなことを言っていたからおそらく気づかれていない。

 心の中でホッと胸をなで下ろしていると、遣いの男はさらに言う。


「またわからないことがあればいつでも尋ねるといい。

 黎家で駄賃を払うから、こちらの使用人を遣いに出しなさい」


 そう言い残して帰って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る