第漆話 珍しいこと

 いつもなら二日、三日で届く薔薇そうびの返事が十日もかかったのには訳があった。

 実際に手紙を受け取って読めばわかるのだが、やはり待つ身としては辛い。

 しかもそんなことはあまりにも珍しかったから、なにか母親の気に障ることを手紙に書いてしまったのではないかと心配になったほどである。

 しかし琳瑶りんようには返事を催促する勇気はなく、気を揉みながらもおとなしく到着を待つしか出来なかった。


 ようやく返事が届き、いつものように使用人が黎家の遣いが来たことを琳瑶に知らせに来たのだが、珍しいことは続くらしい。

 いつものように忙しい使用人は仕事に戻らせ、不在の安子あんしを放って一人でいつもの部屋に行こうとしたのだが、どうも使用人の様子がおかしい。

 下がろうとしないのである。


「旦那様から、お嬢様をお連れするように言われておりますので……」


 歯切れ悪くそんなことを言い、琳瑶の身支度が出来るのを待っている。

 いつもとは違うことに琳瑶も (どうしてお父様が?) と思ったけれど、黎家の遣いを待たせるわけにはいかない。

 簡単に衣装や髪を手直しすると、使用人の案内で遣いが待っている部屋へと向かう。


 だがそこはいつもの質素な部屋ではなかった。

 それどころか黎家の遣いと思われる若い男の他に父親の昌子しょうしがいて、さらには艶麗えんれい蘭花らんかまでが顔を揃えていたのである。

 これはただならぬ事態である。


(この状況はなに?)


 そんな言葉では済まされない状況に、驚いた琳瑶は部屋の入り口で立ち止まってしまう。

 口止めされていたわけではないだろうが、案内してくる最中も無言だった使用人は、案内を終えると早々に立ち去ってしまう。

 他にも仕事があることはわかっているが、あまりにも無情である。

 取り残された琳瑶はどうしていいかわからず、部屋の入り口で立ち尽くす。


「……琳瑶様、どうかなさいましたか?」

「いえ、別に……」


 昌子と対面する形で立っていた遣いの男は少しのあいだ琳瑶の様子を見ていたが、気を遣うように声を掛けてくる。

 それに少し慌てたように琳瑶が答えると、ようやくのことで昌子が口を開く。


「そんなところに突っ立ってなにをしている?

 ちゃんとご挨拶しなさい」


 言われるまま部屋に入った琳瑶は、チラリと艶麗と蘭花を見る。

 だが二人は琳瑶を一瞥することもなく遣いの男だけを見ている。

 ある意味これはいつもどおりなので気にならないが、やはり同席している理由が気になる。


継母お母様やお姉様まで、どうしているの?)


 ここに黎家の遣いがいなければ訊いてもよかったのだが、やはり家族以外の人間がいる前では言うべきではないだろう。

 昌子や艶麗、蘭花の機嫌を損ねるのもよくないと思った。

 なによりも遣いが預かってきているはずの、薔薇からの手紙を受け取れなくなるのは嫌だったから、少なくとも手紙を受け取るまではおとなしくしておこうと思ったのである。

 だから部屋に入っても蘭花の横には並ばず、戸口で小さくなっていた。

 そこから遣いにも挨拶をする。


「お待たせいたしました」

「いえ、こちらこそお呼び立てしてしまい申し訳ございません」


 琳瑶の挨拶に穏やかに応えた遣いの男だったが、昌子を向き直ったとたんに口調が改まる。


「それでは琳瑶様もいらしたことですし、本題に入らせていただきます。

 まずは主人あるじれい東雲とううんからたい大人たいじんへの言伝をお伝えいたします。

 一の媛の入宮、真にお慶び申し上げます。

 泰家の益々のご発展に繋がることと存じます。

 一の媛におかれましても、お勤めに励まれますように……とのことでございます」


 淀みなく述べられる遣いの口上はごく短いものであっという間に終わってしまい、琳瑶にはなんの話かわからなかった。

 蘭花もよくわからなかったようだが、自分の入宮に対するお祝いを言っていることだけはわかったらしく、遣いの言葉に合わせて軽く頭を下げている。


 だが昌子と艶麗は納得がいかなかったらしい。

 蘭花を含めて三人は横一列に椅子を並べてすわっていたのだが、その前に立つ黎家の遣いを不満げにじっと見ている。

 そして艶麗が昌子に耳打ちをすると、昌子は軽く咳払いをしてから遣いの男に話し掛ける。


れい大人たいじんからはそれだけか?」

「はい、わたくしが主人あるじより承ったのは以上でございます」

「後日、別に遣いが来るのか?」

「そのようなことは伺っておりませんが」

「では、黎家からは先程の口上だけが祝いだというのか?」

「そうなりますね」


 昌子の口調が、言葉を重ねるごとに少しずつ変わってゆく。

 なにかを堪えるように、低く、重く。

 だが遣いの男は意に介さず、昌子が掛ける問いに澄ました顔で答えるだけ。

 そのやり取りも短いものだったが、聞いていて琳瑶にもようやく意味がわかった。


(そういうこと)


 おそらく昌子が堪えているのは怒りや不満。

 それを刺激しないように琳瑶がこっそりと小さく息を吐くと、一番近くに立っている遣いの男は気づいたらしい。

 チラリと琳瑶を見てわずかに口の端を上げる。

 だがなにも言わない。


「……黎大人たいじんはそれでよいかもしれんが、薔薇殿はどうなのだ?

 仮にも娘が入宮するのだぞ。

 祝いの一つも寄越さないのはおかしいだろう。

 あまりにも不義理ではないか」

「薔薇さんは蘭花が可愛そうだと思わないのですか?」


 ついには艶麗までが言い出すと、遣いの男は少し困ったような顔をする。

 だがおそらく黎家は、昌子や艶麗が納得しないことを予想していたのだろう。

 遣いの男もそのことを知っていたらしく、芝居がかったわざとらしさがある。


「お言葉ではございますが、薔薇様のお子はこちらにいらっしゃいます琳瑶様お一人。

 すでに泰大人たいじんとは離縁されておられるわけですから、薔薇様と一の媛とも縁が切れております。

 離縁の理由も理由でございますし、なにより泰夫人のご実家、茶家さかのお立場もございますので遠慮したいとのことでございます」


 若いがずいぶんと弁の立つ男である。

 年齢的に見ても、おそらく七年前の薔薇と昌子が離縁した経緯も知っているのだろう。

 黎家の当主や薔薇に言い含められただけとは思えない物言いである。


 だがその落ち着き払った様子に艶麗が切れる。

 手にしていた小さな湯飲みを遣いの男に投げつけたのである。


「艶麗!」


 さすがにやり過ぎだと昌子も慌てるが、遣いの男は腕で軽く払いのけて無傷である。

 しかも湯飲みに茶は残っていなかったらしく、袖が濡れることもなかった。

 呆れた表情で、床に落ちて割れた湯飲みを見て 「おやおや」 などと呟いている。

 だが艶麗はそれさえも気に入らなかったらしく、勢いよく立ち上がると蘭花を連れて部屋を出て行ってしまう。


「蘭花、来なさい!」

「お母様、どう……っ?」

「いいから、来るのよ!」


 戸惑う蘭花の腕をつかんで無理矢理立たせると、そのまま引っ張るように部屋を出て行く艶麗だが、行きがけの駄賃とばかりに、戸口に立っていた琳瑶を突き飛ばすことを忘れないのは余計である。


 尻餅をついた琳瑶は、しばらく艶麗が荒れるだろうことを想像してうんざりする。

 おそらくこのあと艶麗から説明を受けて蘭花も荒れるだろうから、さらにうんざりしながら立ち上がろうとしたところに、いつのまにか遣いの男が前に立っており、手を差し伸べてくれる。


「お怪我は?」

「大丈夫です」

「それはよかった」


 差し出された手をつかんで立ち上がった琳瑶は、お礼を言ってから遣いの男を気遣う。


「ありがとうございます。

 あの、大丈夫でしたか?」

「大丈夫?」


 不思議そうな顔で呟いた遣いの男は、不意に視線を床に落として割れた湯飲みの破片を見ると、合点がいったように 「ああ」 と続ける。


「わたくしは平気でございます。

 どうぞ、お気になさらずに」


 そう言って琳瑶ににっこりと笑いかけると、改めて昌子を向き直る。

 そして言う。


「もう少し、あなた方が琳瑶様を大切にしてくだされば、あるいは薔薇様もお祝いの品の一つや二つ、贈られたかもしれませんがね」


 だがたったいま目の前であったことが現実である。

 遣いの言葉に昌子がなにを思ったのかはわからないが、話しながらゆっくりと立ち上がる。


「薔薇殿に伝えてくだされ、茶家に遠慮は無用だと」

「確かに、承りました」


 遣いの返事を聞いた昌子は、琳瑶に割れた湯飲みを片付けておくように言って部屋を出て行ってしまい、後には琳瑶と遣いの男だけが残された。

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