第伍話 母の手紙

「お母様の匂い……」


 届いた行李の一つに、衣装と一緒に入っていた薔薇そうびからの手紙を見つけた琳瑶りんようは、両手で取り出してそっと抱きしめる。

 そして料紙りょうしに焚きしめられた薔薇のこうを、じっくりと存分に堪能する。

 誰にも邪魔されない一人の時間である。

 だがタイミングが悪いところに戻ってくるのが安子あんしである。

 年に一回しか会うことの出来ない母親の温もりの代わりに香で慰めていた琳瑶を見て、いつものように無神経なことを言ってくる。


「いつも思うんですよ、お嬢様。

 それってちょっと変態っぽいからやめたほうがいいですよ」

「誰が変態よっ?」

「誰が見たって変態ですって。

 母君から届いた手紙を全部取り置いてるのだって、意味わかんないです。

 あんなの捨てちゃってよくないですか?」


 琳瑶が大事にしている母親からの手紙まで安子はゴミと言う。

 そもそも安子は文字が読めない。

 だから手紙を書くこともなければもらうこともない。

 そんな彼女には手紙とゴミの区別がないのだろう。

 十八歳の安子は働きに出るまでずっと家族と暮らしていたから、わずか五歳で母親から引き離された琳瑶の淋しさもわからないのだろう。


 ただ安子が琳瑶を 「変態っぽい」 というのは別の理由である。

 母親から手紙が届くたび、琳瑶が料紙を鼻につけて焚きしめられた香を嗅ぐからである。

 そして恍惚の表情を浮かべる様は、それが十二歳の少女であっても多くの人は変態属性を想像するだろう。


 もちろん琳瑶にも言い分はある。

 料紙に焚きしめられた香は時間が経つと薄れてしまう。

 やがてほとんどわからなくなってしまうので、届いた時に存分に嗅いでおきたいのである。

 当然匂いが消えても、琳瑶にとって母親から届いた手紙は全て宝物。

 捨てられるはずがなく文箱にとっておいている。

 その文箱もそろそろ一杯になってきたが、新しい文箱を買ってもらえないのが今の悩みである。


 だがそんなことを安子に話せば、間違いなく 「捨てたらいいじゃないですか」 と返ってくる。

 彼女にとってはゴミでしかないのだから無理もない話だが……。


「それよりどこ行ってたの?」

「え?」


 唐突に話を切り替える琳瑶に、安子は露骨に狼狽える。


「どこって、その……」

「最近多いけど、どこでなにをしてるの?」


 琳瑶は曖昧な笑みを浮かべて視線を泳がせる安子を追及する。

 ところが安子は泳がせた視線の先に、床に置かれた行李を見つけて矛先を代えようと試みてくる。


「そういえば今回はなにが届いたんですか?」

「衣装」


 折角薔薇が色々と高価な物を送ってくれても、艶麗えんれい蘭花らんかの横取りによって琳瑶には届かない。

 だからもう送らなくてもいいと琳瑶が薔薇にいったのだが、安子はその経緯を知らない。

 彼女は泰家に勤めてまだ一年ほどなので無理もないが、そのため、たまにはなにかいい物が入っているのではないかと考えるらしい。

 そのことも合わせて、琳瑶は率直な答えで彼女の甘い考えをへし折っておく。


「え~またですか?

 この前だって衣装だけだったじゃないですかぁ~。

 櫛だって歯が欠けてるし、このあいだ手鏡も割れちゃって……あれ、まだ使うんですか?

 結構バキバキですよ」

「誰が割ったのよっ?」

「わざとじゃないですよ、手が滑ったんです。

 それにあのくらいで割れると思わなかったしぃ~」


 十二歳の主人を相手に口を尖らせる十八歳の侍女。

 まるで割れた鏡が悪いと言いたげな安子に、琳瑶は今日も呆れてしまう。


「鏡ってそういう物でしょ?

 扱いに気をつけて頂戴」

「はぁ~い」


 やはり不満そうな顔をする安子はうまく琳瑶の追及をかわせたと思ったのか、拗ねた振りをして背を向け、簞笥の前に屈む。

 衣装を入れ替える準備でもするのだろう。


 それを見て琳瑶も、母親の手紙が入っていた行李の中をこっそりと探る。

 すると衣装の中に固い物が指先に触れたので、そっと取り出して懐にしまい込む。

 実は黎家からは最近また、衣装に紛れて色々な物が届けられるようになっていた。


 そろそろ櫛が痛む頃だろう


 鏡が曇る頃だろう


 似合いそうな髪飾りを見つけた


 いつもそんな短い言葉が添えられている。

 だが見つからないように隠されているため、いつも一品か二品くらい。

 それも小物ばかりなのは仕方がない。

 それこそ安子に見つかればすぐ艶麗や蘭花の耳に入り、以前のように横取りされてしまうだろう。


 だからいつもはまずは母親の手紙を探し、隠された小物を回収する。

 それから手紙の匂いを堪能するのだが、今日は部屋に戻った時に安子がいなかったため、ついうっかり先に料紙の匂いを嗅いでしまったのである。

 しかもそのタイミングで安子が戻ってきてしまったため、小物を回収するタイミングを見計らっていたのである。

 だから話題を変えたかった安子の話にも乗ったのである。


「そういえばお嬢様の母君も変わった方ですよね。

 着なくなった衣装を送り返せなんて、ちょっとケチじゃないですか?」


 安子が侍女になる前は年配の侍女が二人、琳瑶に付いていた。

 蘭花の嫌がらせで追い出されたが、そもそも彼女たちは薔薇の輿入れに付いてきた黎家の使用人である。

 おそらく泰家を追い出されたあと黎家に戻っているはず。

 その二人がいた頃からなので琳瑶はそれが当たり前だと思っていたのだが、安子は 「変だ」 とか 「ケチ」 などと言う。

 挙げ句には……


「まぁお嬢様は背が低いし痩せっぽちですから、お古をもらっても着られないし嬉しくないですけどね」


 琳瑶の体格にまでケチをつける。

 琳瑶は琳瑶で背が低いことは気にしているが、痩せているとは少しも思っていないから安子の基準がおかしいと思っている。


(安子の基準はお姉様だからそう思うのよ)


 でもそれを口に出せばまた言い合いになるのはわかっている。

 だから黙っていたが、結局安子は箪笥を整理する振りだけをして、厨房の手伝いを頼まれたからと行ってしまい、新しい衣装を片付けたのは琳瑶である。

 もちろん再び一人になったのをいいことに、存分に母の温もりならぬ香りを嗅いでから……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る