第肆話 黎家の遣い


 蘭花らんかの入宮が決まり、泰家たいかは俄に慌ただしくなる。

 安子あんしが蘭花の侍女から聞いたように、蘭花は衣装だけでなく身の回りの物まで新調するらしく、商人や仕立屋などの出入りが特に激しい。

 そのためかどうかわからないけれど、今まで以上に安子が部屋を開けるようになり、一人で過ごす時間が増えた琳瑶りんようは屋敷の中で取り残されてしまう。


 父親から、邪魔になるからあまり部屋から出ないように言われていたこともある。

 その父親も、泰家にとって最初の関門である帝の使者を迎える日に備えてずいぶんとピリピリしていたから、面倒を避けるためにも琳瑶は一人、部屋でおとなしく過ごしていた。

 そんなところに使用人が来客を知らせにくる。


「琳瑶お嬢様、れい様から遣いの方がお見えです」


 琳瑶の実母、薔薇そうびの実家から人が来たというのである。

 琳瑶の客人が通される部屋はいつも決まっていたから、忙しい使用人を下がらせた琳瑶は簡単に衣装を直し、ついでに手鏡を覗いて髪を直そうとするが、鏡面に走る無数のひびを見て溜息を吐く。

 数日前に安子が落として割ったのである。

 その少し前には、やはり安子が落として櫛の歯が欠けてしまった。

 今は商人の出入りがあるけれど、琳瑶が言っても父も母も新しい手鏡も櫛も買ってくれることはない。

 あくまでも蘭花のために呼んでいるので、買うのは蘭花の嫁入り道具だけ。


「いっそお嬢様も輿入れしませんかぁ~?

 そうしたらお古は全部わたしにくださいね」


 安子はそんなことを言っていたけれど、もし琳瑶の嫁入りが決まっても両親が満足な支度をしてくれるとは思えず、これまでの衣装を持って嫁ぐことになるだろう。

 それこそ歯が欠けた櫛やひび割れた手鏡を持っていくことになる。

 両親の姉妹差別を知っているくせに、安子も浅はかなことを望むものである。


 遣いが待っていることを思い出した琳瑶は手櫛で髪を整えると、最後にお気に入りの髪飾りをつけて部屋を出る。

 黎家の遣いは一人だが、向かった部屋には三人の男が待っていた。

 一人で部屋に入ってくる琳瑶を見て遣いの男は怪訝な顔をするが、すぐに平静を装うと、両腕を胸の前で組んで頭を下げる。

 そのうしろでは二人の従者が、床に置いたいくつかの行李を前に跪き、同じように胸の前で腕を組んで頭を下げる。


「お待たせしました」

「お久しぶりでございます、琳瑶様。

 なにやらお屋敷の様子がいつもとは違うようでございますが……」


 遣いはまだ若い男である。

 もちろん黎家の使用人だが、いつも同じ男が来るわけではない。

 だがいつも若い男である。


「あの……その、ちょっとありまして……」


 すでに内示は出ており、蘭花の入宮は決定である。

 だが帝の使者による正式な宣下はまだ……となると、家人以外に話していいものか悩んだ琳瑶は言葉を濁す。

 遣いの男も琳瑶を困らせる意図はなかったらしく、即座に 「左様でございますか」 とだけ言って引き下がる。

 そして本題に入る。


「琳瑶様にもお忙しいところをお呼び立てしてしまい、申し訳ございません。

 本日は黎本家より、薔薇様から荷をお届けするよう言いつかって参りました」


 そう言って遣いの男は少し体をずらし、背後で跪く二人の従者の前に置かれた行李に視線をやる。

 同じように行李を見た琳瑶だが、すぐに視線を遣いの男に戻す。


「ありがとうございます。

 あの、お母様はお元気ですか?」

「はい。

 わたくしどもは滅多にお目にかかることはございませんが、遣いを言いつかりました折に直接お会いいたしましたところ、とてもお元気そうでございました」

「そうですか、よかった」

「ところで琳瑶様、今日お一人でございますか?

 侍女の姿が見えませんが?」

「ちょっと忙しくて……」


 安子がどこでなにをしているのか琳瑶は知らない。

 そんな自分の不甲斐なさが恥ずかしくて言い淀むと、遣いの男はしばらく琳瑶の様子をじっと見ていたが、やがて 「そうですか」 と答える。


「では、こちらはわたくしどもでお部屋に運ばせて頂きます」

「大丈夫、自分で運べます」

「とんでもございません。

 黎家の媛にそのようなことをおさせするわけには参りません」


 行李の数こそ少ないけれど、どれも決して軽くはないだろう。

 それを部屋まで運ぶ侍女がいないのなら自分で運ぶしかない。

 そう思う琳瑶だが、いつも遣いの男は琳瑶の部屋まで運んでくれる。

 遣いはいつも同じ男とは限らないのだが、いつも運んでくれるのである。


「では三日後に行李の回収に参りますので、薔薇様にお届けする物などがございましたらそれまでにご用意ください。

 お手紙などもその時にお預かりいたします。

 必要な物なども、申し付けくださいましたら後日、改めてお届けに参ります」


 そう言い残して遣いは従者とともに帰っていった。

 再び自分の部屋で一人になった琳瑶は、床に屈んで行李を一つ一つ開けて改める。

 中には新しい衣装が綺麗にたたまれて入っていた。


 薔薇は季節ごとに新しい衣装や身の回りの物の他に菓子などを琳瑶に送り、添えた手紙で近況を尋ねてくる。

 琳瑶も着られなくなった衣装を、薔薇に言われるままに行李に入れて送り返す時にお礼の手紙を添えていたのだが、実は薔薇から送られたほとんどの物は琳瑶に届いていなかった。


 もちろん蘭花と艶麗えんれいの仕業である。

 体の大きさが違いすぎて着られない衣装はともかく、身の周りの物や菓子などは全て二人に横取りされていたのである。

 少し大きくなってそのことに気がついた琳瑶は、理由とともに衣装以外は要らないと薔薇に手紙を書いて以来、衣装だけが送られてくるようになり、届けられる行李の数も減った。


 泰家もそれなりの貴族だが、黎家れいかとは比べるべくもない。

 当然日常的に手に入る物も全然違っているから、それこそ驚くくらい高級品を横取りという形で手に入れていた艶麗と蘭花は、ある時からぱったりと届かなくなったことに酷くがっかりした。

 以前は検閲よろしく薔薇からの荷を先に改めていた二人も、それからは黎家の遣いを出迎えることもしなくなった。

 しかも逆恨みをして 「親に見捨てられた」 などと言って琳瑶を蔑む始末。

 みっともないことこの上ない母子である。


 だが琳瑶は気にしなかった。

 いや、気にしない振りをした。

 泰家の屋敷では、姉に比べてぞんざいな扱いを受けていることはわかっていたけれど、衣食住は確保されている。

 それも貴族というだけで、平民と比べれば十分すぎるほど恵まれた生活が出来ている。

 母の再婚の邪魔になるという父の話も全くの嘘ではない。

 だから今は泰家の屋敷で暮らしているだけ。

 そのために二人の嫌がらせも気にしない振りをしなければならないのである。


「琳瑶や、大きくなったら母と暮らしましょう」


 あの日、薔薇が言った約束の日が来るまで。


 でも心の中では、そんな日は来ないかもしれないと怯えていた。

 七年前のあの日、幼くなにもわからないまま父に言いくるめられて泰家に残ることを選んだ琳瑶を、薔薇はもう必要としていないかもしれない。

 季節ごとに衣装を送ってくれるのだって母親として体裁を取り繕っているだけで、本当は面倒に思っているかもしれない。

 だから琳瑶から一緒に暮らしたいと言っても薔薇に拒否されるかもしれない。

 そんな不安が頭をよぎり、約束を言い出すことが出来ない。


 もし言って薔薇に拒否されたら、泰家で暮らしてゆくことすら辛くなってしまうかもしれない。

 それなら永遠に来ない約束の日にしがみついていたほうが耐えられる。

 しかももうすぐ蘭花が屋敷からいなくなる。

 後宮に入ってしまえば、琳瑶から会いに行かなければ二度と会うことはないだろう。


 それに今でも年に一回だけ、黎家が催す花見の宴で薔薇と会うことが出来る。

 琳瑶さえ我慢していれば、一回だけ、必ず毎年会うことが出来るのである。

 だから二度と会えなくなるなら、せめて今のままでいたかった。

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