第参話 蘭花と琳瑶
「お嬢様、聞きました?
どうやら
「それであちらの侍女に聞いたんですけど、ご衣装なんかは全部新しく仕立て直すとかで、今あるご衣装は侍女たちに分けてくれるんですって。
わたしももらえないかなぁ~」
「無理だから」
思わず言ってしまう琳瑶に、安子はさらに声を上げて言い返してくる。
「どうしてですかっ?」
「どうしてって、あんた……」
安子があまりにも我が身を省みなさすぎて琳瑶は呆れるけれど、本当に安子はわからないらしい。
「だってわたし、元々は蘭花お嬢様の侍女なんですよ!」
そんなことを言い返してくる。
そう、安子は元々蘭花の侍女である。
だから蘭花の侍女と交流があってもおかしくはない。
今日も蘭花が不在の時間にあちらの部屋に顔を出し、蘭花の輿入れの話題で向こうの侍女たちと盛り上がったのだろう。
そして蘭花が戻ってきて追い出されたから琳瑶の部屋に戻ってきた。
ここまでがセットである。
琳瑶には安子一人しか侍女がいないから、話し相手が欲しいという安子の気持ちもわからないでもない。
だから仕事さえちゃんとしてくれれば問題ないと琳瑶も目をつぶってきたのだが……。
しかも安子はちゃんと仕事が出来ていると勘違いしているから困ったものである。
安子は蘭花の侍女をしていた頃から変わらず、それこそ琳瑶のだけでなく蘭花の洗顔用の
だが安価な木製の盥に代えられた琳瑶と違い、蘭花には美しい花が描かれた新しい陶器製の盥が用意されたのは、いわゆる姉妹差別なので安子は関係ない。
それでも安子が高価な盥を二つも割ったことは事実で、まるで反省がないのも事実で、蘭花の侍女だった頃から着替えの手伝いも、髪を結うのも下手なままで上達しない。
安子本人は出来ているつもりだから上達しないわけだが、他にも色々と粗相を繰り返した挙げ句、蘭花の堪忍袋の緒が切れて
それなのになぜ今も、安子が
「あんたに最後のチャンスをあげる。
屋敷を追い出されないように、せいぜい頑張りなさい」
安子は蘭花にそんなことを言われて部屋を追い出されたらしい。
だがそれを琳瑶に話してしまうところにも、安子の教養のなさが窺われる。
さらには琳瑶の侍女になったことを 「貧乏くじを引いた」 などと言って自分の境遇を嘆くけれど、実際に貧乏くじを引かされたのは琳瑶であり、今も解雇されず屋敷にいられるのも琳瑶のおかげのはず。
いわば恩人
だが安子は全く琳瑶に恩を感じていないらしい。
それどころか、一人で琳瑶の世話をしなければならないことに文句ばかり言うのである。
「わたし一人でこんなに仕事頑張ってるんですから、ご褒美があってもいいと思うんです。
前からいいなぁ~と思ってた衣装があるんですよね。
あれ、もらえないかなぁ~」
「絶対無理」
あまりにも安子が、この泰家で琳瑶と同じくらい蘭花に嫌われている自覚がなさすぎて、思わず琳瑶も言い返してしまう。
「なんでそんなこと言うんですかっ?
お嬢様、酷くないですかっ?
わたし、こんなに頑張ってるんですよ!
そろそろ蘭花お嬢様のお部屋に戻してくれたっていいじゃないですかっ?」
「それも絶対無理」
「どうしてそんなこと言うんですかっ?
自分の侍女がいなくなるからですか?
それはお嬢様が悪いんじゃないですか!」
「わたしのせいじゃない」
琳瑶にそんなことを言われるのかわからないのも問題だが、琳瑶のせいにするのは明らかにお門違いである。
あるいは蘭花が、安子の数々の所業を忘れていればおこぼれくらいには
だから今日だって、部屋に戻ってきた蘭花にすぐ追い出されたのである。
それこそどう頑張っても蘭花の侍女には戻れず、琳瑶にまで嫌われたら間違いなく暇を出されてしまうという現実も見えていないらしい。
「いっそお嬢様も輿入れしませんかぁ~?
そうしたらお古は全部わたしにくださいね」
琳瑶の侍女は自分しかいないのだから当然よね! ……などと言って琳瑶をほとほと呆れさせる。
着付けが面倒な盛装でなければ琳瑶も一人で着替えられるようになったし、いっそ安子に暇を出してしまおうかと思ってしまったほどである。
安子が聞いてきたところによれば、蘭花は輿入れにあたって衣装以外に身の回りの物もほとんど新調するらしく、お気に入りの物以外は全て自分の侍女たちに分けてやることにしたらしい。
蘭花に限らず、嫁入り道具として身の回りの物を新調すること自体は珍しくないが、これを聞いた琳瑶は、あの姉にしてはずいぶん太っ腹な大盤振る舞いだと思った。
普通ならこの大盤振る舞いに妹の琳瑶が入っていてもおかしくはないはずだが、入っていないのは蘭花と琳瑶の姉妹仲がよろしくないからである。
不仲
はっきりそう言ってもいいほど二人は仲が悪い。
だから蘭花から琳瑶に 「分けてあげる」 とか 「好きな物を持っていってもいいわよ」 なんて優しい言葉を掛けてくることもなく、琳瑶も欲しいと思わない。
むしろ琳瑶は関わりたくないのだが、そういうところも蘭花は面白くないのかもしれない。
安子にもその場だけ話を合わせて欲しがってみせればよかったのかもしれないが、その話が安子から侍女経由で蘭花の耳に入れば面倒になることは間違いない。
だから思ってもいない嘘を吐かず、少しばかり安子と言い合うことになってしまった。
そもそもなぜ姉妹仲がよくないかといえば、もちろん理由がある。
でもそれは蘭花が悪いわけでもなく、琳瑶が悪いわけでもない。
両親の姉妹差別に原因がある。
もっといえば母親の
蘭花と琳瑶
二人は十七歳と十二歳の、五歳違いの姉妹である。
珍しくない歳の差だし、異母姉妹というのも貴族では珍しくない。
そう、性格も容姿も似ても似つかないこの二人は異母姉妹なのである。
そもそもの不仲はここに原因があると言ってもいい。
もちろん世間には仲のいい異母兄弟姉妹もいるけれど、
だが異母姉妹であることは、当然二人に非のあることではない。
だから二人が悪いというわけではない。
この屋敷の主人
正妻の
薔薇が琳瑶の母親で艶麗が蘭花の母親なのだが、いくら姉とはいえ、どうして側室の子である蘭花がやりたい放題しているのかといえば、今の正妻が艶麗だからである。
ではどうしてそうなったのかといえば、今から七年ほど前のこと。
蘭花が十歳、琳瑶が五歳のある日、艶麗が夫である昌子に妊娠を告げたことに始まる。
しかもただの妊娠ではなく、
昌子には
このまま昌子に男子が生まれなければ弟の昌美の子、晶春が家を継ぐことになる。
それを良しと思わない昌子は心から跡取り男子の誕生を望んでおり、艶麗の要求をあっさりと承諾してしまったのである。
そしてその話を聞いて怒った正妻の薔薇は昌子と離縁し、さっさと実家に帰ってしまったのである。
この時に薔薇は実子である琳瑶も連れて帰ろうとしたけれど、父親である昌子が承知しなかった。
五歳だった当時の琳瑶はなにも知らなかったが、少し大きくなってから父に、母の再婚の邪魔になるから引き取ったと聞かされることになる。
「泰家のためとはいえ、薔薇には本当に申し訳ないことをした。
せめてもの罪滅ぼしに……」
そんな殊勝なこと言って琳瑶を泰家に
現に琳瑶を手許に留め置いたことが功を奏したのか、あれから七年ほど経った今も泰家は
薔薇の実家黎家は、泰家など足下にも及ばない名門中の名門貴族である。
そんな黎家出身の薔薇が昌子に嫁いだ理由が理由だったから、これ以上黎家を怒らせるわけにはいかない昌子はさぞかし困ったにちがいない。
それでもどうしても跡取りを諦められなかったのである。
先にも話したとおりこれは七年ほど前、琳瑶が五歳の頃の話である。
だから琳瑶には六歳、七歳になる弟がいるはずだが、泰昌子の子どもは蘭花と琳瑶の二人だけ。
実は艶麗が正妻の座を昌子に迫った男子懐妊は真っ赤な嘘だったのである。
それどころか懐妊すらしていなかったのである。
「お父様ったら本当に馬鹿よね。
いくら跡取りが欲しいからって、そんな嘘にころっと騙されて。
男かどうかなんて、生まれてみなければわからないのに」
「お嬢様、父君をそんな風に言うものではありません」
ある時、安子と話していてその話題が出た時、父の愚かさを呆れる琳瑶に、珍しく歳上の侍女らしいことを安子が言い出した。
けれど安子は安子だった。
「だいたいお嬢様だって子どもを産んだことなんてないじゃないですか。
だったらそんな風に言っちゃいけませんよ」
その時の琳瑶は、子どもを産んだことがなくてもわかる程度のことに、いい歳をした父親が騙されたことに呆れていたのだが、安子はそんな琳瑶に鼻息荒く意味不明な説教をしたのである。
(安子はお父様と同類ね。
うん、わかっていたけどね)
わかっていたから琳瑶もあえて言い返さなかった。
泰家の主人・泰昌子は跡取りとなる男子欲しさに側室だった茶艶麗に騙され、正室であった黎薔薇と離縁した。
薔薇の実家である黎家は誰もが知るような名門中の名門貴族だったから、その報復を恐れた昌子は、牽制するために薔薇の実子である琳瑶を人質として手許に留め置くことにした。
これが功を奏して、昌子と薔薇が離縁して七年が経った今も泰家は健在である。
だがこれは昌子が考えた策だろうか?
なにしろ彼は跡取り欲しさのあまり、あからさまに嘘だとわかっている艶麗の男子懐妊にころっと騙されている。
そのことを考えると頭が良いのか悪いのか疑問になるわけだが、ひょっとしたら艶麗の入れ知恵だったのかもしれない。
艶麗は昌子の性格や男子を切望していることをうまく利用し、まんまと正妻の座を手に入れている。
艶麗、あるいはその親兄弟が考えた策だった可能性は十分にある。
そんな艶麗を含めた
さすがに黎家とは比べるべくもないが、泰家もそれなりの家柄である。
その証拠に蘭花は、皇帝の数いる妃の一人となるべく後宮に入ることが決まった。
後宮に入るとなれば、支度はもちろん挨拶など色々とあるから今日明日に入宮とはならないが、それでも入宮自体は決定事項である。
つまりじきに蘭花はこの屋敷からいなくなる。
それだけが琳瑶は嬉しかった。
それこそ蘭花の鬱陶しい嫌がらせが終わるまで約二ヶ月の我慢である。
(頑張れ、わたし!)
蘭花の入宮を知った琳瑶は人知れず心の中で気合いを入れたのだが、その考えが甘かったことをのちに知ることになる。
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