第14話 消せない疑念

「……ス……ユス、聞いていますか?」

「えっ、あっ、な、なに?」

「何じゃありませんよ。今日はいつもにも増して上の空ですね」


 まったく進んでいない課題の教本をとんとんと指で叩かれ、ユスティーナは慌ててガラスペンを握り直した。


「ちょっと精神統一してただけよ」


 教本を近くに引き寄せ、真っ白なノートに書き写していく。

 ユスティーナが手を動かし出すと、それ以上小言を言うこともなくシルヴェステルは再び読みかけの本に目を落とした。

 その端正な顔をそっと横目で盗み見る。

 こんな授業風景はユスティーナにとって日常のことだ。だがシルヴェステルに不信感を持ってしまった今、これまでのように普通に過ごすことができなくなってしまった。


(魔力封印の禁呪……)


 何をしていてもそのことばかりを考えてしまう。

 夢で閉じ込めてくる壁。シルヴェステルが創る光る模様。

 そのどちらも同じ形をしていて、それは魔力を封印する呪いの魔術だった。

 ユスティーナにかけられた禁呪は、本当にシルヴェステルの手によるものなのだろうか。


(だとしたらなぜ?)


 シルヴェステルとは幼いころからずっと共にいた。

 亡き母の温もりすら記憶になくて、王である父には数えるほどしか会ったことがなくて。

 そんなユスティーナにとって、シルヴェステルはもはやただの家庭教師などではなかった。

 時に教師として、時に臣下として、時に父のように、兄のように、そして時には母親代わりとして。

 家族からもないがしろにされ続けるユスティーナを、シルヴェステルはいつでもそばで支えてくれた。


(でも内心ではわたくしを笑っていたの……?)


 微弱な魔力しか持たないせいで、これまでユスティーナがどれだけ苦しい思いをしてきたことか。

 誰よりもそれを知っているのはシルヴェステルのはずだった。


「ユス?」


 本から顔を上げたシルヴェステルが、じっとユスティーナを見つめている。

 そこからは何も読み取ることができなくて、ユスティーナの瞳に透明な液体がせり上がった。


「ユスティーナ」


 はっとなったシルヴェステルが指を伸ばしてくる。

 反射的にその手を払いのけた。


「なんでもないわ、目にゴミが入っただけっ」


 そっぽを向いて目をこすった。

 情緒不安定な自分をコントロールできない。これ以上シルヴェステルに言葉をかけられたくなくて、ユスティーナは必死に背中で拒絶を示した。


「泣くほど痛いのですか? わたしに見せてみなさい」

「もう大丈夫だから、放っておいて!」


 語気を強め距離を取る。

 それでもシルヴェステルは、ユスティーナの肩を掴んで顔を自分の方に向けさせてきた。


「そんなわけにはいかないでしょう?」


 こんなときはいつだってシルヴェステルの思い通りだ。

 ユスティーナに選択権はなくて、結局はいいように扱われてしまう。


「わたくしは王女なのよ……?」

「ええ、ですから傷ひとつつけてはならないのですよ」


 そっと瞼を押し下げられる。

 両方の目を確認すると、シルヴェステルの顔がほっとやわらいだ。


「傷がついたりはしていなそうですね」

「だから大丈夫って言ったじゃない」


 唇を尖らせシルヴェステルの腕から離れた。

 今までどんな態度でいたのだろうか。自然に振る舞うことができなくて、ユスティーナは再びシルヴェステルに背を向けた。

 そのとき扉が軽快に叩かれた。


「クラウスです。書物をお預かりしにやって参りました」


 今日は王立図書館で借りた本を返却する期日だ。

 これ幸いとユスティーナは率先して扉を開けた。


「クラウス、ありがとう。今取ってくるわ」

「ああ、それでしたらわたしがお持ちしますので」


 奥に引っ込んでいったシルヴェステルを目で追って、ユスティーナは無意識に安堵の息をついた。


「授業中でしたか。そんなときにすみません」

「いいのよ、退屈過ぎてあくびが止まらなかったところだから」

「それはナイスタイミングでしたね」


 軽く微笑んで、クラウスは茶目っ気たっぷりにウィンクをしてきた。

 泣いたあとのようなユスティーナを見ても、何も言わずにスルーしてくれたようだ。


「……ねぇ、クラウス」

「はい、なんでしょうか?」

「魔力封印の魔術……って聞いたことある?」

「魔力封印ですか? まぁ、話くらいは。言っても、おとぎ話レベルで現実味のない魔術って感じですけどね」

「おとぎ話……」


 なぜそんなことを聞くのかと問い返すこともなく、記憶を手繰り寄せるようにクラウスは少し考えるそぶりをした。


「あ、そういえば!」


 パッと顔を上げ、クラウスはぽんとこぶしで手のひらを打った。


「昔読んだ歴史書にそんな記述があったように思います。政敵を貶めるために編み出された呪いの魔術だとかで、即禁止されたんじゃなかったかな? その時はなんとも恐ろしいことを考える人間がいるもんだと、知人と一緒になって驚いたことを思い出しましたよ」


 当時の思いにひたっているのか、クラウスはうんうんと頷いている。


「そう……やっぱり呪いの魔術なのね」

「え? やっぱり?」

「い、いいえ、なんでもないの。その魔術はそんなに古いものなの? 今でも使われる可能性はあったりしない?」

「大昔に禁呪扱いになっているくらいですからね……もし秘密裏に術式が残されていたとしても、相当難易度が高いのでは?」

「……なら、誰だったら扱えると思う?」


 どんな突拍子もないことを聞いても、クラウスは真面目に答えてくれる。

 それをいいことにユスティーナはさらに質問を重ねてみた。


「そうですね……そんな高度な魔術を扱えるのは、それこそアレクサンドラ様くらいのものじゃないでしょうか」


 母の名を出され、ユスティーナは意味もなく落胆してしまった。

 シルヴェステルの想い人はアレクサンドラだ。その亡き母にユスティーナが敵う日は永遠に来ることはない。


「お待たせしました。ユスティーナ様、この三冊でよかったですよね?」

「え、ええ、それでいいわ、シルヴェステル」


 シルヴェステルの声にユスティーナは我に返った。


(シルヴェステルが誰を想っていようと、わたくしには関係ないことだわ)


 それでなくともユスティーナは今、シルヴェステルに対して疑念を抱いているのだ。

 死んだ母親と張り合って、一体何の意味があるというのか。

 それでも胸のもやもやは払われない。


 クラウスが帰って行って、再びシルヴェステルとふたりきりの部屋に残される。

 その後仏頂面のまま、始終無言で過ごしたユスティーナだった。

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