第10話 シルヴェステルの想い人

「リュリュ様が失礼をいたしました。急なことで怖い思いをされませんでしたか?」

「いいえ、ちっとも。空を飛ぶ魔術は昔からシルヴェステルにやってもらってるの。慣れてるから大丈夫よ」

「あのシルヴェステル様がですか?」

「ええ、最近は忙しくって昔ほどやってくれないのだけれど」


 拗ねたように言ったあと、ユスティーナはふふと思い出し笑いをもらした。


「わたくしね、そのときは男の子みたいな格好をさせられるの。風でスカートがめくれるといけないからって」


 それも誰かに見られるのはまずいからと、いつも飛ぶのは日が昇るか昇らないかの早朝だ。


「えええっ、もしかして屋外で飛ぶんですか!?」

「そうよ。それがどうかして?」


 驚愕で固まるクラウスにユスティーナは小首をかしげた。


「先ほどのリュリュ様のように、無風の屋内なら人を連れて飛ぶのはそう難しくはないのですが……しかしこれが外となると相当難易度が上がるんですよ」

「そうなの? いつもそんなに大変そうには見えないけれど」

「さすがはシルヴェステル様だ……」


 呟いたクラウスに、リュリュが面白くなさそうな顔をする。


「おい、クラウス。シルヴェステルはまだ結婚しないのか?」

「へ? そうですね、あまり浮ついた話は出ない方ですからね……あ、そう言えば」

「そう言えば、なに?」


 聞いたリュリュよりもユスティーナが前のめりになった。

 突然の話題の方向転換に戸惑いもしたが、内容が内容だ。年頃になったユスティーナも、ちょっぴり気になっていたところだった。


「最近噂話を聞いたんです。シルヴェステル様には心に決めた女性がいるらしいって」

「え? シルヴェステルにそんな人が?」

「はい。それで魔術師長の養子縁組の話も断ったそうなんですよ。貴族になったら婚姻は義務になるじゃないですか。そのお相手にみさおを立てるため、シルヴェステル様は絶対に貴族にはならないって決めてるんじゃないでしょうか」


 初耳のことばかりで言葉を失ってしまった。

 子供のころからシルヴェステルはずっとユスティーナのそばにいた。それなのに、まるで知らない誰かの話を聞いているようだ。


「その相手が誰かは分からないのか?」

「それは、その……」


 口ごもるクラウスに、リュリュが視線で圧をかける。

 仕方なしにクラウスは遠慮がちに口を開いた。


「お相手はユスティーナ様の母君アレクサンドラ様だと、もっぱらの噂です」

「シルヴェステルがお母様を……?」

「長いことシルヴェステル様は、アレクサンドラ様の下で魔術を学んでいたらしいですからね。密かに恋心を抱いていたとしても、不思議な話ではないのかと」

「想い人は故人か……厄介だな」


 リュリュの呟きも耳の届かず、ユスティーナはしばしその場に立ちつくした。

 なぜ自分はこんなにもショックを受けているのだろうか。

 その理由がよく分からなくて、ショックを受けていることに対しても大きく気持ちが動揺していた。

 しかし何やら場がおかしな雰囲気になっている。それに気が付き、ユスティーナは慌てて本棚を見回した。


「と、とにかくわたくし本を見たいわ」

「そうですね、いい本があるといいですね」


 ほっとしたようにクラウスが言うと、ユスティーナはそそくさと本棚へと向かった。

 背表紙を指で辿り、興味が惹かれそうな書物を探す。

 しかし先ほどのシルヴェステルの話が気になりすぎて、本探しは一向に進まなかった。


「ユスティーナ様」


 一冊の本に指をかけたままぼんやり物思いにふけっていると、神妙な顔をしたリュリュが声をかけてきた。

 付かず離れずの距離を保って、ずっとユスティーナの近くにいたようだ。


「なに? リュリュも好きに見てきていいのよ?」

「いえ、実は……」


 別の階で本を吟味しているクラウスに気を配りながら、顔を寄せ何やら耳打ちをしてくる。


「例の隠し部屋、ちょうどこの階なんです」


 一瞬何のことかと思ったが、そもそも図書館に誘われた理由を思い出した。


「……その話、すっかり忘れていたわ」

「そうだと思いました」


 目を見合わせて、ぷっとふたりで吹き出した。


「どうします? 行ってみますか?」

「ええ、またとないチャンスだものね」


 せっかくここまできたのだ。

 最初の冒険気分に戻って、ユスティーナはなんとか元気を取り戻した。


(シルヴェステルのことはまたあとで考えよう……)


 気持ちを切り替え、隠し部屋へと思いを馳せる。

 本を探すふりを続けながら、クラウスの目を盗んで秘密の扉へとリュリュと向かった。

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