第5話 楽しいお勉強


貴族の子供は舐められたら終わりだ。

形ばかりの権力はあるが、本人の実力も証明できていない、一目置かれる経験も無い。子供の枠組みに一度落とし込まれてしまえば、聞きたくない命令は、「子供の言うことだから」「本当に必要なことをまだ理解してないから」「正してあげるのも忠義だから」何のかんのと理由を付け、受け流される。ではそんな子供が、借り物の権力でどうやって命令に従わせるか?

圧だ。勢いだ。「コイツには従っておいた方がいい」と思わせることだ。

俺はその勢いでこれまでドラ息子として駆け抜けてきた。


しかし、勢いは所詮勢い。ともすればいつでも覆されるという引け目が俺にはあった。

俺一人ならば受けて立つが、ロリコンを相手取るなら話が変わる。権力構造を引っくり返せば終わる。

「舐められない」などという根性論は無策。


机から腰を動かさない運動不足の中年男ならばまだいい。元気いっぱいな小学生男児たる俺の方が強い。その場でタコ殴りにすれば勝てる。

だが騎士がロリコンであれば駄目だ。物理的に俺が負ける。


また騎士たちが忠誠を誓っているのは俺ではなくグラディウス家であり、当主である父。そして俺は子供だ。

いくら俺がロリコンの反抗を封じる手を打っても、その策全てが「子供の言うことだから」と不合理性を反証されてしまえば、道理の上でも俺は負ける。所詮、子供の言葉の合理性など悪魔の証明。


俺には、騎士たちの従順さの保証が何も無い。

従順を強いる手段も無い。

反抗されれば負ける。

雰囲気でのゴリ押しでは生温い。俺程度の力で抑え付けるのでは足りない。芽が出てからの抑圧では足りない。


早急に芽から絶やさねばならないのは、騎士のロリコンだった。



実権の無い俺程度の釘刺しで芽がとは言わないが、少なくとも除草剤は撒いた。


後は目を光らせ続ければいい。俺は決して油断しない。

今でも幼女の踏み絵は定期的にやっている。



何かあってからでは遅いのだ。男にトラウマができたらとても王子を誑かすどころでないし、貴族令嬢としての価値も下がる。俺だって流石に、幼女の性犯罪を我が家で出したくはない。

ひとまず、これで騎士は決着した。少なくとも、抜本的な策を俺が新たに思いつくまでは。


差し当たっては、騎士以外の身内か。




俺の部屋のドアノブを背伸びして引っ張るソフィアを、俺は腕組みして眺めていた。

母上様は基本庶子の存在をシカトしており、俺が適当なメイドに世話を命じているだけで正式な乳母や専属メイドさえおらず、ソフィアには自由時間しかない。一方俺は、ある程度の教育スケジュールが定まっている。

この時間にはこの辺りに居ると覚えられたんだろう。今も、俺の授業が始まる時間を的確に選んでドアノブと格闘している。「おへやじゃ会えない」のでは無かったか。

小賢しい学習をする。


俺は突然、背後からガッとドアノブを掴み、ソフィアごと部屋に雪崩れ込んだ。

抱えるソフィアを雑に投げる。


「うぁ...っ??」

「なぜ来た! いつ俺の部屋に入って良いと言った!?」


現状が把握できず驚いて泣きそうになり、しかし案外無事に絨毯を無事に転がり泣きそうで泣かない、というところですかさず、俺は大声を出す。

ソフィアは泣いた。


「だ、って、せんせいが、ソフィアもおべんきょうしていいってゆうから...」

「ハッ。自分のことを、何だって? 一人称が名前? 俺と机を並べる前に、まずは自分の名前の使い処を学び直してきたらどうだ?」

「やだぁ...」


二、三粒涙を零した後、床に手を着き、立ち上がろうとする。


「んっ...ぅ、しょ」

「......」


俺は無言で、ソフィアの肩を靴先で押した。

ソフィアは床に戻った。

ソフィアは立とうとする。俺は無言で押す。

ソフィアは床に戻った。


「ふえっ、えぅ、ううぅ」

「......」


だんだん、床に戻ることよりも、俺の無言にソフィアは泣きが入ってくる。

俺は無言のままポケットを漁り、掌大の木箱を取り出しソフィアに押し付けた。


「これやるからもう来るな」

「なぁに...?」


ソフィアは受け取り、ぱち、と目を見開いて。

ポトッ......と床に標本ケースを落として固まった。蝶なんて可愛いモンではない、ガッツリ昆虫だ。ソフィアが来てからこっち、俺はこういった物を常に持ち歩いている。

やがて小さな声でシクシク泣き出す。


「落としたな? 俺がくれてやった物を落としたな?」


俺はその横に跪いて泣き顔を覗いた。


「ごめなさ、ごめなさいぃ...」

「これだから無礼な庶民は嫌なんだ! 勝手に俺の物に触れることを禁じる。もちろん、俺の部屋のドアノブにも」

「や...!」

「『や』...?」


なんっつう舐め腐った拒否をしやがるこの幼女。


「おにいさま、ソフィアのこと、きらい?」

「お前の泣き顔? 大好きだぞ。可愛いな。お前が暢気に笑っている顔は嫌いだ」

「うえぇぇっ」

「ああ、そうそう。ハハッ。その顔」


ソフィアにもう一度標本を持たせて泣かせ、俺は机に戻った。ソフィアは標本を握り締め素直に泣いていた。薄々思っていたがお前アホだろう。

課題に取り組みしばらく放置していたが、ずっと絨毯の上で泣かれるのも鬱陶しい。やがて舌打ちして、続き部屋の寝室までソフィアを引きずり、ベッドに投げた。


「そこで大人しくしてろ」


ボスンとマットレスで跳ね、驚いて泣き止む顔に扉を叩き付ける。

本来なら廊下に放り出してやるところだが、下手に一人にすると、またどこからかロリコンを吊り上げてきそうなのが問題だった。置いておかざるを得ない。それをわかってこうして押しかけられてる気がしなくもない。

俺の方から押し付けられる人間を探そうにも、これから授業だし、正直俺は大人を探すよりも大人の目を掻いくぐる方に神経注ぐクソガキなので、どこで誰を探せばいいかとかもサッパリだ。ソフィアが来るまで、召使いの顔色とか窺ったこと無かったぞ。

それが今は、誰かがロリコンかもしれないと思って見ている。


しばらくして、授業間近となり、俺は寝室のベッドを覗いてみた。

寝てやがる。



「ソフィアお嬢様はいらっしゃらないのですか? 今日は来られるのだと思いましたが」

「あいつは寝こけて間に合わなかった。さっさと始めろ」

「残念ですね」


何がだ。一人の子供が教育の機会を逃したことがか?

あるいは貴様が幼女に会う機会を逃したことか?

それを見定めるまで貴様は俺と二者面談だ。


「どちらにいらっしゃるんです?」


やけにしつこい。黒か?


「そんなもの知らな——」

「うぇっ、ふえぇぇっ。おにいさま、おにいさまぁ」

「......チッ」


仕方なく俺は立ち上がり、ドアを開けた。怖い夢でも見たんだろうが。あるいは単に起きたら俺が居なかったとかそういう理由かもしれない。幼女か?

幼女だった。

ソフィアは誰の趣味だか知らんフリフリのエプロンドレスを肩から崩して、俺のベッドに座っていた。俺をパッ見上げ動こうとし...毛布が体に絡まって引っくり返る。鈍くさ。

ベッドにドスンと座り、毛布を剥ぎ取る。

勢いで転がったソフィアがまた起きようとしたところ、ベッドに乱暴に押し倒す。


「...いくらご兄妹とはいえ、そういった振る舞いは破廉恥ですよ」


ん?

いや、こんなこと俺はいつもやってるが。床に蹴倒さないだけ良心的だろうが。俺は家庭教師の男を振り返った。

どんな目で今の俺たちを見ているのか気になった。

義理とはいえ、たかがロリショタ兄妹のベッドの共有に、性的な状況を見出す。


行儀作法に厳しい堅物か?

あるいはロリコンか。



「.........それは、失礼した」


俺は、俺がボコれば勝てる中年から目を離さぬまま、ソフィアをもう一度毛布に絡めた。出られずうごうごしている隙に、部屋を出て、男も部屋から出し、扉を閉める。

勉強を再開し、やがて俺は一度席を立った。

ふりをした。


キィ、パタン...。とわざと音を立てて閉めた扉の横で、棚の陰に隠れ、壁に凭れて事態の推移を見守る。男はすぐに、唯一の別室に続く扉、つまり寝室に続く扉を開けた。あくまでも俺の部屋の続き間だから、鍵は無い。

そして予め、扉の立て付けは念入りに壊しておいた。よって、扉は自然に開く。


「おにいさま?」

「お兄様は今ちょっといないよ」


貴様にお義兄様と呼ばれる筋合いは無い。


「...せんせい?」

「ソフィアちゃんも、先生とお勉強しようか」


仮にもグラディウス家令嬢に向かって馴れ馴れしい。マイナス1ポイント。


「おべんきょう? でも、おにいさまが、ソフィアと、チャクナンのおにいさまは違うんだって、だからおべんきょうはいっしょじゃないって、ゆってました」


ここで「どんな知識も力になるんだ」とか何とかそれらしいことを言っていたら、俺ももう少し見守っていただろう。


「でも、楽しいお勉強だよ」

「おにいさまが、おべんきょうは楽しくないって」

「じゃあ、これはゲームだ」

「ゲーム?」

「そうそう。当てっこゲームだよ。先生がいろんなところ触るから、ソフィアちゃんはどんな感じがするか言ってくれるかな?」


歩きながら、机からゆっくり定規を取り上げる。

俺が問題間違えたりしたとき、教師が俺の掌をピシッとやるやつだ。


それを振り上げ、渾身の力で。


ピシッ。


「貴様。クビだ」


赤く腫れた頬を呆然と抑え、床に倒れ伏して俺を見上げる男に、俺は宣言した。



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