【完結】もふもふグレート・ピレニーズ『優作』とその飼主『桃子』 そしてその後輩『寺田君』の片想い(作品240428)

菊池昭仁

もふもふグレート・ピレニーズ『優作』とその飼主『桃子』 そしてその後輩『寺田君』の片想い

第1話

 「優作! おいで!」

 「バウッ!」


 真っ白でモフモフの大型犬、グレート・ピレニーズが桃子に向って突進して来る。

 この犬の名前は「優作」。

 優作は桃子の手前で急ブレーキをかけると、ちぎれんばかりに尻尾を振って桃子に甘えた。


 「バウバウ、バウバウ」

 「わかったわかった。よしよし、よしよし。優作はかわいいね? 大好き」


 桃子は優作のふさふさとした首回りを抱き締めた。



 「優作のこのモフモフ、たまんない!」

 「バウバウ!」

 「はい、おやつ」


 優作は松坂牛の大腿骨をバリバリと齧った。


 グレート・ピレニーズの歴史は古く、紀元前7,000年から8,000年にさかのぼるといわれている。

 非常に賢く勇敢ゆうかんで、熊や狼から家畜を守った。


 ピレニーズという名はバスク地方にあるピレネー山脈に由来する。

 チベットがその原産らしいが、西欧人に侵略され、ヨーロッパ全土に牧羊犬として広まった山岳犬がルーツだ。


 ルイ14世からも寵愛ちょうあいされ、マリー・アントワネットの護衛犬でもあり、英国のビクトリア女王にも愛された犬だった。


 優作は今年で7歳になる。

 人間で言うと桃子と同じ、35歳になるだろうか?


 この犬に「優作」と名付けたのは桃子だった。

 それは七年前に死んだ、桃子の最愛の恋人、矢島優作の名前だった。


 山登りが大好きだった優作は冬山で遭難して死んだ。

 桃子はショックのあまり生きる気力を失い、家に引き籠る生活を続けていた。


 桃子は広告代理店の営業をしていたが、会社は桃子を不憫ふびんに思い、休職扱いにしてくれた。

 そんな桃子を見かねた両親が、優作を桃子にプレゼントしたのだった。


 桃子はその犬に「優作」と名付けてかわいがり、次第に元気を取り戻して行った。


 優作と桃子はまるで恋人のようにいつも一緒だった。




第2話

 「寺田、忘れ物はない?」

 「はい、大丈夫です」

 「アンタいつもそう言って忘れんだからさー。

 坂巻社長への手土産、月亭の『栗羊羹』は?」

 「あっ、忘れてました! 桃子先輩、知っててそう言うのはちょっと意地悪ですよ」

 「アンタねー、その羊羹を買うのに朝から2時間も並んだんでしょう? どうしてそれを忘れるかなあー? 

 仕事以前の話でしょ」

 「ごめんなさい」

 「寺田、お前、今いくつ?

 小学生じゃないんだからさあー、しっかりしてよ!」

 「すみません」

 「いいから早く取って来なさい」



 すると同僚の紀香が羊羹の袋を持って駐車場に走って来た。


 「寺田君、これ忘れてどうすんのよー、まったく。

 顔はジャニーズなのに残念。社会人なんだからさあ、もっとちゃんとしなさいよ。

 桃も大変ね? 寺田君みたいな後輩ちゃんを持つと」

 「ありがとう紀香。今、取りに行かせるところだったのよ」

 「寺田君、桃子お姉ちゃんに迷惑かけちゃダメよ。

 今日の商談は重要なんだから。

 そのデザイン画を作るのに何日掛かったと思うの」

 「すみません、ごめんなさい」

 「じゃあ行くわよ。紀香、今日、商談が上手くいったらいつものところで女子会ね?」

 「了解。がんばってね?」

 「行って来るねー」




 桃子の仕事はいつも完璧だった。

 今のところ、勝率は8対2といったところだろうか?

 チャーミングな容姿とルックス。綿密な調査に基づくタイムリーな提案には定評があった。



 「・・・というご提案になります。いかがですか? 坂巻社長」


 坂巻はすでに桃子の企画に決めてはいたが、ちょっとした下心があった。


 「君の言いたいことはよく分かった。

 どうかね? 今夜、ワシと食事でもしながらこのプロジェクトについての打ち合わせでも?」

 「はい、喜んで! お肉ですか? それともお寿司ですか?」

 「霧島君の好きな物でいいよ」

 「わかりました。それではまずこちらの契約書にサインを頂けますでしょうか?」

 「食事の時ではダメかね?」

 「ゆっくりと楽しくお食事がしたいので、出来れば今だとうれしいです。うふっ」

 「わかった、わかった」


 坂巻はその契約書にゴム印と代表者印を押した。


 「ありがとうございます、坂巻社長!

 では何時にどちらへ伺えばよろしいでしょうか?」

 「19時にホテル・シャインの鉄板焼きの店ではどうかね?

 そこで松坂牛でもご馳走しようじゃないか?」

 「うわー、松坂さん大好きです!」


 坂巻はちらりと寺田の方を見た。

 言いたいことは分かっている。桃子はそれをすぐに察知し、坂巻の思いを代弁した。


 「寺田にはまだ松坂牛は早いので、今日は私だけごちそうになります」

 「そうか? 残念だねえ。

 じゃあ寺田君は次回ということで」

 「畏れ入ります」





 帰りのクルマの中で寺田が言った。


 「大丈夫ですか? ホテルで食事だなんて」

 「しょうがないでしょう? これも営業の仕事の内なのよ。

 女の武器は最大限に活用しないとね?

 キャバクラの同伴だと思えば気楽なものよ。こんなのいつものことだから。

 高いお金を払うんだから、私もセットということなのよ」

 「枕営業? ですか?」

 「アンタ馬鹿なの? そんなことするわけないでしょう?

 あんなハゲオヤジ! 私は風俗嬢じゃないんだから。

 男なんて一度やらせたらおしまいなの。すぐに自分の女みたいな顔をする。

 それにそんなことばかりしていたらいずれ自滅するわよ」

 「流石です、桃子先輩は」

 「後でホテルまで送ってね?」

 「わかりました」

 「紀香にLINEしなくちゃ」



       ゴメン 契約にはなったけど 

       エロ社長にゴハン 誘われちゃったの

       また今度ね



                         ラジャー おめでとう!

                         気をつけてね         





 桃子は1,000万円の契約が獲れたことにホッとしていた。


 だが寺田は内心、その坂巻との食事に違和感を感じていた。


 (嫌な予感がする。なんとかして桃子先輩を守らなきゃ)


 寺田は密かに桃子に憧れていた。




第3話

 寺田は桃子をクルマに乗せ、坂巻社長の待っている、鉄板焼きのあるホテルへとやって来た。


 「さあてと、松坂牛でも食べて来るかあー。

 ありがとう寺田、気を付けて帰るのよ」

 「お帰りには迎えに来ましょうか?」

 「小学生じゃないんだからさあ。大丈夫、タクシーで帰るから」

 「そうですか? では桃子先輩もお気を付けて」

 「私は大丈夫、こう見えてタフだから」


 寺田は名残惜しそうにクルマを発進させた。





 「おう、こっちこっち」


 約束の5分前に店に着いたが、坂巻はすでに鉄板の前のカウンターに陣取り、ビールを飲んでいた。


 「すみません、お待たせしてしまって」

 「いやいや、歳寄りはせっかちでいかんよ。

 美女とのディナーだと、つい、うれしくなって早く着いてしまった。

 悪いが先にやっていたよ。

 霧島君も最初はビールでいいかね?」

 「はい、ありがとうございます。

 では、遠慮なくいただきます」

 「君、すまんがこの人にもビールを」

 「かしこまりました」

 「それじゃあ始めてくれ」

 「はい、かしこまりました。

 坂巻社長、焼かせていただく順番はいつもの通りでよろしいですか?」

 「ああ、いつもの通りで頼むよ、まずは松坂からな」

 「かしこまりました」

 「坂巻社長はここのご常連さんなんですね?

 こんな高級なお店、私には一生無縁ですよ。凄いですねー」

 「旨い物を食って、美女と一緒に酒を飲んで、ゴルフに海外旅行。

 会社はアイツらに任せておけば、俺の仕事は霧島君のような美人と肉を食うことだよ。わっはっはっ」

 「美人だなんて、社長は本当に褒め上手なんですからもうー。

 そうして何人もの女性を口説いていらっしゃるんでしょう?」

 「まあね? それなりにだよ」


 桃子はこの赤ら顔のハゲ社長が大嫌いだった。

 だがこれも仕事だと割り切っていた。


 手際の良いシェフの肉を焼く姿に桃子は見惚れていた。

 仕上げにブランデーでフランベをすると、美しい青い炎が上がった。



 「どうぞ、お召し上がり下さい」


 コック帽の似合う長身の精悍なシェフは、一口大に食べやすく切った肉を皿に取り分けてくれた。



 「さあ熱いうちに食べよう。

 そして熱くなった口を冷たいビールで潤そうじゃないか」

 「うわー! 美味しそう! では、いただきまーす!」

 「どうだ? 旨いだろう?」

 「お口の中でお肉がとろけちゃいます!

 松坂牛なんて初めて食べました! 感激です! お肉じゃないみたい!」


 桃子はウソを吐いた。

 昨日も接待で松坂牛のシャブシャブだったのだ。

 正直なところ、今夜はお寿司の気分だった。



 食事も終わりかけた頃、案の定、ホテルのBARに誘われた。


 「このホテルの最上階に、夜景のきれいなBARがあるんだが、どうかね?」

 「はい、もちろんお供します!」




 坂巻は桃子という獲物を射程距離内に捉えにかかった。


 「何を飲む?」

 「では、私はミモザを」

 「俺はロイヤル・サルートをロックで頼む」

 「かしこまりました」

 「すみません、社長。ちょっとお手洗いに」

 「ああ、行っておいで」


 坂巻はなぜかほくそ笑んでいた。

 桃子がトイレに立っていた間に、ミモザが運ばれて来た。

 坂巻は周囲に気付かれぬよう、ミモザに液体の睡眠薬を入れた。



 桃子が戻って来た。


 「では改めて乾杯しよう。このプロジェクトの成功と、俺たちのこれからの忘れられぬ思い出のために、乾杯!」

 「乾杯。でも何ですか? 私たちの忘れられぬ思い出って?」

 「まあとにかく飲もうじゃないか? 今日は最高の夜だからね?」


 桃子はミモザを口にした。睡眠薬の入った酒だとも知らずに。



 「霧島君、ジャンケンをしよう。

 負けた方がこのグラスを一気に飲み干す。どうだ?」

 「いいですよ社長、私、こう見えてもお酒は結構強いですよ。

 私を酔わせてどうかしちゃおうなんて思わないで下さいね?」

 「おお、それじゃあ飲み比べだな? 俺も負けんぞ。

 最初はグー、ジャンケンポン!」


 桃子の負けだった。


 「さあ霧島君。飲みなさい、一気に!」

 「ではいきますよー、坂巻社長!」


 桃子はグラスを一気に空けた。


 「さすがは酒豪、いい飲みっぷりだ」

 「恐れ入ります。今度は勝ちますよー」

 「では、最初はグー、ジャンケン・・・」


 坂巻が3杯、桃子が4杯飲んだ頃、急に桃子は激しい睡魔に襲われた。


 「社長、すみま、せん。今日は体調が悪い、のか、酔いが早く回った、ようです。

 すみません、が、今日のところは、これで、失礼いた・・・」

 

 (いくらお前が酒に強くても、この中国産の睡眠薬には敵わないようだな?)


 「夜景のきれいな部屋で少し休むといい。そこでじっくりと介抱してあげるよ。

 勘定を頼む」

 「かしこまりました」

 「それから悪いが連れが酔ってしまってね、一緒に部屋まで送ってくれんかね?

 私ではちょっと抱えきれんからな?」

 「それでは今、係りの者を呼んでまいります」

 「ああ、頼む」



 桃子が社長と客室係に体を支えられて廊下をフラフラと歩いていると、後ろから声を掛ける男がいた。

 寺田だった。


 「霧島主任! あーあー、こんなに酔っ払っちゃって、坂巻社長の大事な接待なのに」


 寺田は桃子のことが心配で、ずっと隠れて観察していたのだった。



 「坂巻社長、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした!

 せっかくお招きいただいたのに、こんなに酔ってしまって。だらしないなあ、主任は。

 すみません、主任のお父さんが病院に救急車で搬送されたようで、これから霧島を病院へ連れて行きます。

 本日はご迷惑をお掛けして、大変申し訳ありませんでした」

 「そ、そうだったのか? それは大変だ、私のことはいいからすぐにお父上のところへ行きなさい。

 だいぶ酔っているようだったから、少し部屋で休ませた方がいいかと思ってね?」

 「ご配慮、感謝いたします。では後は私が。

 もう、何をやっているんですか? こんな時に坂巻社長にまでこんなご迷惑を掛けて。

 部長に言い付けますからね? 絶対に「さいたま」に飛ばされますからね! きっと!

 ああ良かった、これでボクもいじめられなくて済みますから。ラッキー!」


 寺田は桃子を軽々とおんぶして、坂巻に礼を述べた。


 「本当にすみませんでした。大切なクライアント様にこのような大失態を。

 後日、改めてお詫びに伺いますので、今日はこれで失礼いたします」

 「ああ、き、気を付けてな?

 大丈夫、俺は気にしておらんから」

 「流石は坂巻社長、我々下級平民とは格が違います。

 では失礼します。

 すみません、こんなポンコツ上司で。

 さあ帰りますよ、お父さんの待っている病院へ。

 もうー、しっかりして下さい! ホント重いんだから、もー!」


 坂巻は折角の獲物を逃してしまい、呆然ぼうぜんとしていた。


 

 寺田は普段はだらしない青年だが、いざという時には使える男だった。

 しかも万一の保険として、ホテルの部屋に連れ込もうとしているところをちゃんと動画撮影もしていたのである。


 やるな? 寺田。


 


第4話

 「もしもし、紀香さんですか?

 寺田です。桃子先輩が大変なんですけど、これからそちらに伺っても大丈夫ですか?」

 「大変って、どうしたの?」

 「坂巻社長に睡眠薬のような物を飲まされたようで、まだ意識がハッキリしません。

 おそらく一時的な症状だとは思うので、ご自宅にお連れするとご家族が心配するでしょうし、かと言って病院に行けば警察沙汰になる可能性もあります。

 ですから少し紀香さんのところで少し様子を見ようかと思うのですがいかがでしょうか?

 僕の家では流石にまずいでしょうし」

 「わかったわ。住所はね・・・」

 「わかりました、ではこれからお邪魔します」

 「気を付けてね」




 紀香はマンションの前で待っていてくれた。



 「大変だったわね? 桃子、大丈夫かしら? そんなヘンなクスリを盛られたなんて」

 「はい、よく眠っているようなのですが、冷たい氷とかで目が覚めるといいのですが」

 「とにかく運びましょう」

 「はい」


 寺田は桃子をクルマから下ろし、おんぶした。



 「寺田君、意外とチカラ持ちなのね?」

 「高校、大学とラグビーをしていましたから」

 「へえー、見掛けによらないわね?」

 「よく言われます」


 ところがこの寺田、学生時代にはプロからも誘いがあったほどの名ラガーマンだったのである。




 紀香も独身だったが、同棲して3年になる彼氏がいた。


 「さあ、あがってちょうだい。少しちらかっているけどね。

 それからこの人、彼氏なの。気にしないで」

 「こんにちは。会社の後輩の寺田といいます。紀香先輩にはいつも迷惑ばかり掛けてすみません」

 「どうも、紀香の彼氏です」


 紀香の彼氏はバンドマンだった。

 いわゆるヒモというやつで、生活の殆どと、小遣いを紀香に貢いで貰っていた。



 「桃、桃、大丈夫?」

 「う、うーん」


 紀香はレジ袋に氷を入れ、静かに桃子の額に乗せた。


 「冷たーい、冷たいよー、むにゃむにゃ・・・」

 「桃、しっかりして桃!」


 すると寺田が台所に行くとコップで水を含み、そのまま口移しで桃子に水を飲ませた。


 「ち、ちょっと、寺田君! アンタ何してんの! どさくさに紛れて!」

 「この方が早いかと思いまして。

 だって紀香さんや彼氏さんでは無理ですよね?」

 「そ、それはそうだけど。でも、何もそこまでしなくても・・・」


 寺田は桃子の名を呼びながら、頬を叩いた。


 「桃子先輩! 桃子先輩! 起きて下さいよ! 会社に遅れますよ!」

 「うーん、会社?」

 「そうですよ! 会社に遅れちゃいますよ!」

 「わかったから、もう少しだけ、寝させてよー」


 紀香と寺田は顔を見合わせて笑った。


 「大丈夫なようですね?」

 「そうね? ところで何があったの?」

 「何だかちょっと心配になって少し離れて見ていたんですよ。桃子先輩と坂巻社長のこと。

 そうしたら桃子先輩がお手洗いに立った隙にこれですよ」


 その寺田の携帯には、グラスに何かを入れている、坂巻社長の姿がしっかりと写っていた。


 「睡眠薬か何かかしらね?」

 「それからこの後、こうなりました」


 ホテルの部屋に向かう、客室係と坂巻に抱きかかえられる桃子の姿が動画に収まっていた。



 「これって犯罪じゃないの! 酷い! 桃に警察に被害届を出させるべきよ!」

 「それは桃子先輩が眼を覚ましてから、先輩がどう判断するかですね?

 その前にご家族が心配されるといけないので、すみませんが紀香先輩、桃子先輩の家に連絡をしていただけませんか?」

 「うん、わかった。

 寺田君、あんた意外になのね? 見直したわ」

 「畏れ入ります」




 2時間ほどして桃子が眼を覚ました。

 

 「あれー、なんで私、紀香の家にいるの?」

 「寺田君が運んで来てくれたのよ、桃をおんぶして」

 「えっー、寺田がなんで私をおんぶしたの?」

 「アンタが危うく坂巻にレイプされるところだったらしいわよ。

 睡眠薬を飲まされたみたいだったそうよ、寺田君がスマホで動画を撮っていてわかったけど。

 それからホテルの部屋に連れ込まれそうになった動画も見せてもらった。

 大丈夫? 桃子? 病院に行った方がいいんじゃない? 警察にも」

 「そうだったんだ。ごめんね、紀香、介抱してもらっちゃって。

 寺田は?」

 「帰ったわよ、「後はお願いします」って。

 警察に被害届を出した方がいいんじゃない?」

 「そう。被害届はいいわ、契約のこともあるし。

 紀香の傑作デザインも使いたいしね?

 それにこれで向こうの弱みも握れたし、これからは仕事もやり易くなるしね?」

 「アンタってホント、逞しいのね?」

 「私、寺田に助けられたんだ?」

 「そうよ、見直したわよ、寺田のこと。それに・・・」

 「それに何よ?」

 「それに、チューしてたのよアイツ、桃に」

 「チュ、チューしてたあ!」

 「桃を早く起こさなきゃって、口移しで水を飲ませてたの。

 いやらしい意味じゃないわよ。

 でも桃を助けようと必死だったわ」

 「そうだったんだ・・・」

 「お家には連絡しておいたから安心して。

 まだ早いから、もう少し寝ましょうか?

 朝ごはん、食べて行きなよ」

 「うん、ありがとう紀香」

 「それじゃあ、おやすみ」

 「おやすみなさい」



 まさかそんなことがあったとは、桃子は知る由もなかった。


 (私が寺田に助けられた?)


 明日、寺田にお礼を言わなければと桃子は思ったが、色んなことを考えると、中々眠ることが出来なかった。


 


第5話

 寺田に昨夜のお礼を言うために、桃子は少し早く紀香の家を出ることにした。



 「寺田にお礼を言わなきゃいけないから、先に会社に行くね?」

 「私も一緒に行くよ」

 「ううん、大丈夫。紀香も私のことであまり寝ていないから、もう少しゆっくりしてよ」

 「ごめんね桃、気を付けてね?」

 「じゃあ会社でねー」




 昨日、坂巻に飲まされたクスリのせいか、少しカラダが怠い。

 だがバスを待っていると、朝のキリリとした空気が気持ち良かった。




 思った通り、すでに寺田は出社していた。

 寺田はいつもは遅刻スレスレにやって来る。

 頭は寝ぐせが付いて、時計や財布を忘れることもしばしばだった。



 「桃子先輩、お昼ごちそうして下さい。

 今日お財布、家に忘れて来ちゃいました。えへへっ」

 「何やってんのよー、まったく。

 しょうがないわねー、ごちそうじゃなくてお金、貸してあげるから、ちゃんと明日、返してね?」

 「はーい」

 「お前、ホント幼稚園児か? 「はーい」じゃなくて「ハイ!」だろうが!

 もう社会人なんだから!」

 「ハイ!」

 「あはははは それでよろしい」



 そんな寺田だったが、ここぞという時には意外と気が利く男だった。

 昨日の今日だから、おそらく寺田は私を心配して、早く出社するはずだと思った。

 その予想は見事に的中した。


 「おはようございます、桃子先輩。

 頭、痛くないですか? カラダの具合はどうです?」

 「ありがとう寺田。昨日、私のこと、守ってくれたんだって?

 紀香から聞いたよ」

 「警察に被害届は出すんですか? 一応証拠は撮っておきましたが」

 「被害届は出さない。あのエロオヤジには貸しを作った方がいいからね?

 契約後に値引きしろなんていいかねない人だから、坂巻社長は」

 「本当に最低のヤツですよ、アイツは。

 先輩、これを見て下さい」


 寺田は昨夜の動画や画像を桃子に見せた。



 「うわっ、キモ!」

 「万一の証拠に撮影しておきました。桃子先輩のスマホに転送しますね?」

 「ありがとう。ねえ、今日、お昼ごちそうさせてよ。昨日のお礼に」

 「えっ、いいんですか?

 でも、福田屋のから揚げ定食じゃイヤだなあ」

 「じゃあ夜にしようか? お寿司とか?」

 「焼肉がいいです」

 「また肉? まあいいけど」

 「やったー! 焼肉だあ!」

 「でも、どんなふうにエロ社長をいさめたの?」

 「先輩のお父さんが救急車で病院に運ばれたことにしました」

 「なるほど、中々やるじゃないの。それなら角が立たないわね? やるな寺田」

 「僕、嘘は吐いていませんよ、だって桃子先輩のお父さんはお医者さんですから」

 「確かに」


 そんな寺田を桃子は頼もしい弟のように思った。

 桃子の父親は開業医をしていた。

 2つ年上の兄は今、アメリカのサンディエゴの医学部で最先端医療を学んでいる。

 桃子はひとり娘だった。


 幼稚園の頃、桃子は母親に、「弟が欲しいからデパートで買って来て」と、せがんだそうだ。

 今ではそれも笑い話だが。




 早速坂巻からスマホに連絡が入った。


 「昨日は大変だったね? だいぶ酔っていたようだから、部屋で少し休ませてあげようと思ったんだが、お父さんが倒れて病院に運ばれたとか? お父さんの容態はどう?」

 「はい、おかげさまで大丈夫でした。昨夜はご迷惑をおかけしました」


 私が気付いていないと知った坂巻は、安堵しているようだった。


 「そうか! なら良かった!

 君のことが心配で夜も眠れなかったよ。

 それじゃあ今度のプロジェクト、よろしく頼むね?」


 (心配だったのは自分のことだろう? 警察に捕まると思ったか? この変態エロオヤジ!)


 「はい、お任せください坂巻社長。

 必ずご期待にそえるように全社をあげてやらせていただきます。

 わざわざご丁寧にありがとうございました」


 桃子は大人の対応をした。





 夜、寺田と紀香を誘って、桃子は焼肉屋でごちそうをした。



 「桃、契約おめでとう」

 「ありがとう紀香。それに昨日はごめんね? 迷惑かけて。

 今日は私の驕りだからジャンジャン食べて、どんどん飲んでね!」

 「何言ってんのよ、私たち戦友でしょう? アラサー美女戦士!」

 「あはは」

 「寺田君、そこ、笑うところじゃないから!」

 「ごめんなさい」

 「でも見直したわよ、寺田君のこと。

 桃のことおんぶして、てきぱきと段取りをしてサッと帰る。

 スーパーマンみたいだったわよ」

 「桃子先輩、けっこう胸、大きいんですね?」

 「このドスケベ! でもありがとう、寺田のおかげで助かったよ」

 「いえ、当然のことをしたまでです」

 「はい、たくさん食べて飲んでね?」


 桃子は網の上で焼かれたハラミを寺田の皿に乗せてあげた。


 「ありがとうございます。ハフハフ。凄く美味しいです」

 「寺田はうちの『優作』みたいによく食べるよね?」

 「バウバウ」

 「あはははは」


 桃子と紀香は笑った。


 「すみませーん! ビール3つお替わり下さーい!」

 「かしこまりました」


 そんななごやかなひと時だった。

 




第6話

 紀香は寺田が桃子に好意を寄せているのを知っている。

 今回の寺田の活躍に、何かご褒美をと考えた紀香は、


 「寺田君、今日は何時にあがれそう?」

 「今日は桃子先輩はお得意さんから直帰するそうなので、定時であがるつもりですけど何か?」

 「それじゃあさあ、冷蔵庫にこの前の焼肉のお礼に、桃の大好きな『イット』のアップルパイを入れておいたから、桃の家にそれを届けて欲しいのよ。桃の家、わかるわよね?」

 「はい」

 「忘れちゃダメよ、桃によろしくね?」

 「わかりました」




 桃子の家は町医者をしていた。霧島内科クリニックがそれである。

 桃子の父が院長で、母親が副院長だった。

 寺田が桃子の自宅の門扉を開けると、ピレネー犬の優作が大喜びで寺田に飛びかかって来た。


 「バウバウ(寺田だ! 寺田だ! 久しぶりじゃねえかあ寺田!)ベロベロ バウバウ ベロベロ」


 寺田はもふもふのグレート・ピレニーズに芝生に押し倒され、もみくちゃにされていた。


 「あはははは あはははは 優作、久しぶりだね? あはははは」


 寺田は優作が大好きだった。

 背広は芝生と優作の毛だらけになっていた。

 そこへ桃子がやって来た。


 「どうしたの寺田? 会社で何かあった?」

 「あっ桃子先輩。『イット』のアップルパイを紀香さんから預かって来ました。

 この前の焼肉のお礼だそうです」

 「そう、わざわざありがとう。紀香も気を遣わなくてもいいのに。

 お礼したのは私がお世話になったからなのに」

 「あはははは 優作、お前はいつもモフモフで気持ちがいいなあ」

 「バウバウ(寺田、早くおやつおやつ、おやつちょうだい!)」

 

 寺田は起き上がり、桃子にアップルパイを渡し、紙袋から優作の大好きな牛の骨を優作にあげた。


 「ガツガツ ガツガツ(旨い、旨いよ。これ大好き!)」


 優作はよろこんで、寺田から貰った骨をガリガリと齧っていた。


 「寺田も食べて行きなよ」

 「ありがとうございます、実はそれを期待していました」

 「この『イット』のアップルパイ美味しいのよねえ? ホイップクリームがあるともっと美味しくなるんだけど」

 「僕、買ってきます!」

 「いいわよ、大変だから」

 「大丈夫です、スーパーに行って来まーす!」

 「お金あるの?」

 「それくらいありますよ」

 「バウ(寺田、俺に鶏のササミを忘れんなよ!)」

 「優作、お前にはササミだよな?」

 「バウバウ(流石は寺田、よくわかっているじゃねえか!)」


 寺田は優作の言葉がわかるのであった。


 「ゆっくりでいいからねえ、気をつけてね?」

 「はーい!」




 寺田の買って来てくれたホイップクリームを泡立てながら、桃子は茹でたササミ肉を優作に与えた。


 「ムシャムシャ ムシャムシャ(美味い、美味いよ桃ちゃん!)」



 桃子はアップルパイを4つに切り分け、そのひとつを寺田の前に置いた。

 残りふたつは間もなく診察を終えて帰って来る両親のために取って置いた。


 「はいどうぞ。ホイップクリームをつけて食べてみて、凄く美味しいから」

 「ありがとうございます。すみません、折角のアップルパイを減らしちゃって」

 「寺田らしくないわねえ、遠慮しないで食べなさい。紀香、ありがとう。いただきまーす」


 桃子は胸の前で手を合わせた。

 その神々しいまでの桃子の美しさに寺田は見惚れていた。



 「美味しーい! ほっぺが落ちちゃいそう!

 寺田、いくらだった? お金払うよ」

 「いいですよ、大した金額じゃないですから」

 「アンタは私の部下なんだから、部下に奢ってもらう訳にはいかないわよ」

 

 桃子は財布から1,000円札を出して寺田に渡した。


 「ちょっと待って下さいね、今お釣りを出しますから」 

 「お釣りはいいわよ、お使いに言ってくれた御駄賃だから」

 「すみません」

 

 アップルパイを食べながら桃子が言った。


 「珈琲より紅茶の方が良かった?」

 「いえ、アップルパイが甘いので、この珈琲の方が合います」

 「これね、ペルーの珈琲豆なのよ、美味しいでしょう?」

 「はい、深いコクがあって香りが爽やかですね?」

 「帰りにこの珈琲豆、あげるから持って行きなさいよ」

 「いいんですか? うれしいです、ぺーパーフィルターだけ、残っているので」

 「そう、良かった。よろこんでもらえて」


 そこへ両親がクリニックから戻って来た。


 「おう、寺田君、久しぶりだね?」

 「お久しぶりです院長先生、副院長先生」

 「寺田君、せっかくだからご飯食べて行きなさいよ。今日は疲れたから鰻重を取るから?」

 「いいねえ、鰻かあ? 肝吸も頼むよ」

 「はいはい。桃、『えび屋』さんに電話して頂戴」

 「はーい、良かったわね寺田?」

 「今日は凄いラッキーです!」




 鰻重を食べながら、桃子の母が言った。


 「桃が結婚したらこんなふうに食事が出来るのかしらね?」

 「寺田君、どうだ? ウチの婿にならないか? あはははは」

 「パパ、寺田は私より年下だよ」

 「あらいいじゃないの? ママだって年上女房なんだから」

 「寺田をからかうのはやめてあげてよ。赤くなってるじゃないの。あはははは」

 「あはははは ゴメンゴメン寺田君」

 「いえ・・・」


 (桃子先輩と結婚したら、こんな素敵なご両親と、優作と一緒に暮らせるんだなあ)


 「バウ(俺もお前と暮らしたいぞ。お散歩連れてけよな?)」


 「そうだ、MRさんからもらった『飛露喜』があったな? 寺田君、今日は泊まって行きなさい」

 「えっ、いいんですか? それはご迷惑では?」

 「遠慮はいらないよ、桃、コップコップ」

 「パパ、あまり飲ませないでよ、明日も会社なんだから」

 「わかってるって」


 

 その日、酒宴は深夜にまで及んだ。



 


第7話

 寺田は桃子の実家で朝を迎え、パンイチで着替えをしていた。


 「寺田、起きてる?」

 「はい、起きています」

 「開けるわよ」


 桃子が客間を開けると小さく悲鳴をあげた。


 「キャッ、ちょっと早くズボンを履きなさいよ!」

 「あっ、失礼しました」

 

 寺田はあわててズボンを履いた。

 

 (桃子先輩のエプロン姿っていいなあ。デレーッ)


 「朝食の支度が出来ているから、着替えたらダイニングにおいで」

 「ありがとうございます、何かお手伝いすることはありませんか?」

 「大丈夫、いいから早くおいで」


 そこへ優作が寺田に突進して来た。

 寺田は優作に布団に押し倒され、もみくちゃにされた。


 「あはははは あはははは 優作、おはよう! あはははは やめてくれよ、起きられないよお」

 「バウバウ(おはよう寺田! 朝ご飯だぞ! ぺろぺろ)」

 「優作、おいで」

 「バウ!(はーい!)」


 桃子と優作はダイニングへと戻って行った。


 


 ダイニングに行くと桃子のご両親が朝食を食べずに寺田が来るのを待っていたようで、食事をしていなかった。


 「おはようございます」

 「おはよう寺田君、朝食を作るのは桃子が当番なのよ。さあ食べましょう」

 

 みんなが手を合わせ、いただきますをした。

 赤魚の粕漬けと甘い卵焼き。キュウリとカブ、人参の糠漬け、きんぴらゴボウ、そしてネギと豆腐、ワカメの味噌汁だった。


 「美味いです! 凄く美味しい!」

 「そう? 良かった。簡単な朝食だけどね? 寺田はいつもは何を食べてるの? パン? それともご飯?」

 「『ウマいよ棒』と珈琲です」

 「何それ? ダメよ朝はしっかり食べないと」

 「寺田君、彼女さんはいないのかね?」

 「い、いませんよそんな人」


 寺田は桃子を見て言った。


 「そうかあ。中々のイケメンなのになあ。でも良かったじゃないか桃。寺田君にウチの婿になってもらったらどうだ?」

 「やめてよパパ、だから私は年下に興味はないんだってば」

 「そうか? まあいい寺田君、また酒でも一緒に飲もうじゃないか? 桃がいなくても遊びに来なさい」

 「はい、ありがとうございます院長先生。(何だよ、年下はキライだなんて酷いよ桃子先輩)」

 


 朝食をご馳走になり、寺田は桃子をクルマで乗せて会社へ向かった。

 赤信号で停まっている時、寺田は桃子に何気なく訊いた。


 「桃子先輩、前から訊こうと思っていたんですが、どうして犬の名前に「優作」って付けたんですか?

 優作って人の名前みたいですよね?」

 「・・・恋人だった彼の名前よ」

 「恋人だった? 別れたんですか? その人と」

 「死んだの・・・、優作は」

 「死んだ?」

 「そう、冬山でね」

 「ごめんなさい、思い出させてしまいましたね?」

 「ううん、いいのよ、優作のことは一度も忘れたことはないから。そしてそれはこれからも同じ」


 (死んだ恋人の名前をピレネー犬に・・・)


 「寺田、青」

 「あっ、すみません」

 「ボーッとしてんじゃないわよ、しっかりしなさい」


 寺田はアクセルを静かに踏んだ。




第8話

 寺田と桃子は無言のまま、会社に着いた。

 丁度、紀香と一緒になった。


 「おはよう紀香、『イット』のアップルパイ、とっても美味しかった。ありがとう、かえって気を使わせちゃったね?」

 「ううん、桃、『イット』のアップルパイ大好きだもんね? 良かった、喜んでもらえて。

 それよりどうしたの? ふたりで一緒にご出勤だなんて? もしかしてだったりして?」

 「まさか。昨日はウチの両親に気に入れちゃって、寺田はウチの家に泊まったのよ」

 「やるじゃないの寺田、まずはご両親から落としたわけね? 外堀を埋める作戦とは考えたじゃないの」

 「止めてよ紀香。寺田は後輩よ。からかわないであげて頂戴」

 「あはははは ただの後輩じゃなくなったりして?」

 「ないない、それは絶対にない。寺田はやさしいし、もっといい彼女が出来るわよ、ねえ寺田?」

 「そうだってよ寺田君? うふっ」

 「それじゃあ僕、先に行ってます」


 寺田は寂しそうに会社へと入って行った。


 「桃、本当は気づいているんでしょう? 寺田君の気持ち」

 「私はもう誰も好きになれないわ。好きになっちゃダメなの」

 「桃・・・」

 「これ以上寺田を苦しめたくないし、私も苦しむのはイヤ。

 忘れられないの、死んだ優作のことが」

 「寺田君じゃ優作さんを越えられないかあ。寺田君も亡くなった人には敵わないしね。

 寺田君には桃みたいなしっかりした姉さん女房がお似合いなんだけどなあ」

 「心配してくれてありがとう、紀香」




 寺田は考えていた。桃子の亡くなった恋人、優作のことを。


 (その人ってどんな人だったんだろう? 桃子先輩が惚れるくらいだから相当なイケメンで頭が良くてスポーツマンで、笑うと白い歯が眩しいような人だったんだろうなあ)


 寺田はすっかり意気消沈していた。

 戦う前からすでに勝敗はついているような気がした。

 

 (諦めるしかないのかなあ)


 

 そこに同期入社の絵梨花がやって来た。

 絵梨花は江角マキコのような男勝おとこまさりの長身美人で、寺田とは仲が良かった。


 「どうした寺田、そんなシケたつらして?」

 「余計なお世話だよ」

 「悩みがあるなら訊いてやってもいいぜ。

 どうだ今夜、久しぶりに飲みにでも行かねえか? もちろん寺田の奢りで」

 「イヤだよ、給料前でカネないし」

 「給料日後でもねえくせに。しょうがねえなあ、それじゃあ飲み代、貸してやるからボーナスで返せよな?」 


 そしてその夜、寺田は絵梨花の行きつけだという居酒屋に無理やり連れて行かれた。




 「どうした寺田? 何があったか言ってみろ」


 絵梨花はそう言って大ジョッキのレモン酎ハイに追いレモンを入れ、マドラーでレモンを潰すと、豪快にそれをあおった。

 「俺、振られたみたいなんだ」


 (やっぱりそうだったのか? チャーンス!)


 絵梨花はずっと寺田のことが好きだった。

 でも自分から告白する勇気はなかった。

 いつもは男性口調でサバサバした印象の絵梨花だったが、意外にも中身は乙女おとめ心で溢れていた。


 「それで相手は?」

 「いいじゃないか誰でも。あちっ!」

 「バカだなあ、ここの唐揚げは揚げ立ての熱々なんだ、気をつけろ。

 早く生ビールを飲んで口を冷やせ」

 

 寺田は絵梨花に言われるまま、ビールで口を潤した。


 「それで相手は桃子さんってわけかあ?」

 「なんで知ってんだよ!」

 「会社で知らねえのはお前だけだよ。お前はわかりやすい奴だからなあ。あはははは」

 「でも言われちゃったんだ、年下には興味がないって遠回しに」

 「そんなのお前が年上みたいになればいい話じゃねえか」

 「それだけじゃないんだよ。昔、好きだった人が山で死んだらしいんだ。

 だからもう恋愛は無理だって言われた・・・」

 「そうかそうか。 それじゃあどうしようもねえなあ。

 死んだ人間には敵わねえからなあ」

 「そうだよなあー。あー、俺の方が死にたいよ」

 「まあいいからじゃんじゃん飲め、そしてみんなこの絵梨花様に吐き出してラクになれ、寺田。

 大将、テキーラふたつ。レモンじゃなくてライムでな?」

 「あいよ!」


 (よし、いいモードになって来たぞ。このまま今夜は寺田をお持ち帰りだあ! うふっ)





 同じ頃、桃子も寺田のことを考えていた。


 (このままほとぼりが冷めるのを待つよりも、寺田にはハッキリと言った方がいいわよね?

 これ以上期待させるのもなんだし)


 桃子は寺田を食事に誘うことにした。


 


第9話

 寺田はグデングデンに酔って眠ってしまった。

 

 「だらしねえなあ寺田。これくらいで酔い潰れやがって。

 たかがテキーラ1本じゃねえか。大将、おあいそ。それからタクシー1台呼んで」

 「あいよ! タクシー、ラブホまで1台!」

 「あはははは」



 そして大将の言う通り、絵梨花は近くのラブホへ寺田を連れて入った。


 「ほら、着いたぞ寺田。お前の童貞は貰ったぜ!」



 部屋に入り、絵梨花は寺田をそのままベッドに寝かせて自分だけシャワーを浴びた。

 

 (生理前だからムラムラする。昨日は自分でしちゃったしなあ。

 会社を出る時、勝負下着に着替えて来たし、準備OK!)


 黒のブラとパンティを着けて、絵梨花は湯上がり着に着替えた。

 ラブホには紐付きのバスローブは少ない。そういうプレイに使われたり、殺人事件に発展することもあるからだ。



 「かわいい顔しちゃって。うふっ」


 絵梨花は寺田のあどけない顔を見詰めて微笑むと、寺田の服を脱がし始めた。

 もちろん絵梨花はバージンではない、初体験は16歳の夏、高校の同級生だった。

 それから男性経験は4人。多くもなく少なくもなくといったところであった。


 いよいよボクサーパンツを脱がそうとした時、寺田が寝言を言った。


 「桃子先輩、どうしてボクじゃ駄目なんですか・・・」


 絵梨花の手が止まった。


 「寺田のばか」


 絵梨花は泣いた。



 

 目を覚ました寺田は驚いた。

 隣で絵梨花が裸で寝ていたからだ。


 「えっ!」

 「起きたのか? 寺田」

 「俺、まさか・・・」

 「安心しろ、お前は何もしてねえよ」

 「あー、良かった」

 「良かったじゃねえだろう? 据え膳すえぜん食わぬは男のなんとかっていうじゃねえか」

 「だって絵梨花は俺の大切な友だちだから」

 「寺田、お前って奴はまったくしょうがねえ奴だな?」

 

 絵梨花は軽く寺田にキスをした。


 「さあ、風呂入って来いよ。帰るぞ寺田」

 「・・・うん」


 寺田は風呂場へと向かった。


 「寺田のばか・・・、マジメか」





 月曜日、桃子は寺田を食事に誘った。


 「寺田、今夜ご飯でもどう?」

 「いいんですか? 僕で」

 「当たり前じゃないの、ちょっと話しておきたいこともあるし」

 「はい・・・」



 

 桃子は寺田をお好み焼き屋に誘った。


 「お好み焼きって作るの楽しいよね?」

 

 桃子は寺田の前でてきぱきとお好み焼きを焼いた。


 「凄いですね、桃子さん」

 「私ね、お好み焼きは広島なの。だって色んな工程があって楽しいじゃない?

 誰が作っても同じじゃないところがいいのよねえ。

 薄力粉をこうやって薄く伸ばしてキャベツをどっさり乗せる。

 そしてその上にイカ天と豚バラと九条ネギを乗せて、そしてこうやってひっくり返して隣で焼きそばを炒める。

 キャベツがしんなりとして来たら焼きそばはその上に乗せる。目玉焼きを焼いて黄身を崩し、今度はそこへ本体を乗せてひっくり返す。オタフクソースを塗って花カツオと青のりを掛けて完成よ。

 桃子スペシャル、広島焼きの出来上がりー! さあ食べて食べて」


 桃子はお好み焼きを切り分けると、それを寺田に勧めた。


 「はふはふ あちちちち!」

 「火傷しないように食べなさいよ。これにビールは最高よねえ」


 桃子と寺田は美味しそうに生ビールを飲んだ。


 「ゴックゴック あー美味いなあ」

 「ホント、最高ね?」

 「それで話って何ですか?」

 「寺田が私の事をどう思ってくれているのか私にはわからない。

 でもね、私は寺田のことはかわいい後輩だと思っているの、弟みたいに。

 同じ会社の同僚、仕事仲間として信頼しているわ。

 この前は助けてくれて本当にありがとう、感謝してる。でもそれ以上踏み込んでお付き合いする気にはなれないの」


 寺田は箸を置いて桃子をまっすぐに見詰めて言った。


 「僕、桃子先輩のことが好きです!」

 「寺田・・・」

 「ずっと好きでした、先輩のことが。今もすごく好きです!」

 「ありがとう、でもね」

 「それは聞きました、亡くなった優作さんのことが忘れられないことは。

 でも死ぬのは優作さんだけじゃありません!

 僕も、そして桃子さんもいつ死ぬかなんてわからないじゃないですか!

 死んでしまった人はもう帰っては来ないんです!

 亡くなった優作さんは果たしてそれでうれしいでしょうか! ずっと自分を思い続けてくれている桃子さんをありがたいと思うでしょうか? 僕ならそうは思いません」

 「じゃあどう思うの?」

 「悲しくなります。そうして年老いて行く桃子さんのことが」

 「・・・私の自己満足だと言いたいの?」

 「そうじゃありません、もし僕が死んでも、桃子さんには、桃子さんにはしあわせになって欲しいと思うんです!

 その相手が僕じゃダメだと言うのなら諦めます。でも桃子さんにはしあわせになって欲しいんです!」

 「私はしあわせよ。すごくしあわせ。だって紀香もいるし、両親もいる。優作もいるし、そして寺田君もいる。

 私は今、凄くしあわせ」

 「桃子さん・・・。やっぱり僕じゃダメですか?」

 「寺田君のことはキライじゃないわ。でもね、まだそういう気になれないの。

 だって私の中ではまだ、優作は死んではいないから。ごめんなさい」


 寺田は何も言うことが出来なかった。

 いつしか生ビールの泡も消え、温くなっていた。

 寺田と桃子のこの今の微妙な関係のように。

 



最終話

 桃子は優作を抱きしめ、話し掛けていた。


 「ねえ優作、アンタはどう思う? 寺田のこと。

 私もキライじゃないわよ。ううん、寧ろ好きになって来たかも。

 でも怖いの、寺田も私より先に死んだらと思うと」

 「バウ~(その前に俺が死んじゃうよ、桃ちゃん)」

 「もう大切な人が死ぬのはイヤ」

 

 桃子は優作のフサフサとした首周りを撫でた。


 玄関のチャイムが鳴った。

 モニターには寺田が映っていた。


 「どうしたの?」

 「に会いに来ました」


 優作は立ち上がり、玄関へと走って行った。


 「バウバウ!(寺田! あそぼあそぼ!)」


 桃子が玄関を開けると、優作は千切れんばかりに尻尾を振り、寺田に飛び掛かった。

 寺田は優作を連れて庭の芝生の上を優作と一緒に転げ回った。


 「バウバウ(寺田、フリスビーしてあそぼ)」

 「よし、優作。フリスビーであそびたいのか?」

 「バウ(うん、桃ちゃん、早く早くう!)」


 桃子が庭の隅に置いてあったフリスビーを優作に向かって投げると、優作は見事にジャンピング・キャッチをした。


 「バウ(へへッ、どんなもんだい!)」

 

 優作は寺田にフリスビーを渡すと、早く投げろと催促をした。


 「よーし、いくぞー、優作!」

 「バウ!(よし、いつでも来い、寺田!)」


 寺田は優作が取り易くするようにと、フリスビーを比較的高く投げた。

 それに向かって走り出す優作。

 寺田と優作はそうやってそれを何度も楽しんだ。


 「それー、優作!」

 「バウバウ(寺田、もう1回!)」


 そして寺田は優作を急に抱きしめ、叫んだ。


 「優作さん、僕は桃子さんを絶対にしあわせにします!

 約束します! 僕は絶対に桃子さんより先に死にません!

 だからお願いです! 僕が桃子さんを愛することを許して下さい! お願いします!」

 「バウ?(寺田、お前何言ってんだ?)」

 「寺田君・・・」


 桃子は泣いた。


 「寺田君、ありがとう。すごく、すごくうれしい、でもね・・・」

 「桃子さん、僕と結婚して下さい!」


 桃子は優作と寺田を強く抱きしめた。


 「優作、私、この人のお嫁さんになってもいい?」

 「バウ!(もちろんだよ桃ちゃん! コイツはいい奴だぜ)」

 「優作が、優作が結婚してもいいって!」

 「桃子さん! ありがとう! 優作さん! ううううう

 桃子さんを僕に任せて下さい! 必ずしあわせにしますからあ! うわーっつ!」


 寺田は桃子と優作を抱きしめ、大空に向かって叫んだ。

 天国にいる優作に向かって。


 寺田の片想いは終わった。



      『もふもふグレート・ピレニーズ『優作』とその飼主『桃子』 そしてその後輩『寺田君』の片想い』完



      


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【完結】もふもふグレート・ピレニーズ『優作』とその飼主『桃子』 そしてその後輩『寺田君』の片想い(作品240428) 菊池昭仁 @landfall0810

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