第13話 新たな願い。
またたく間に時は過ぎて、ライブ当日になった。
やおいの母親が会場まで連れて行ってくれると聞いていたのだが……。
「ここはライブ会場ではありませんわよね?」
目の前にずらっと連なる青色のコインロッカーに首を傾げながら栄子が問う。
「あたりまえにゃ」
ニャアちゃんは呆れたと言わんばかりだ。
「このロッカーには双眼鏡が入っているのでござるよ」
コンが説明してくれたが、栄子はまだ意味が理解できなかった。
そこでやおいが補足の説明をくれる。
「舞台を満喫するために、ライブには双眼鏡が必須なの。でも自分で買うとなると出費が痛い。そういう人間のためにここで双眼鏡がレンタルできるの」
事前に申し込んでいたのだろう、やおいはコインロッカーのパネルに指を滑らせる。
すると音を立てて一つのロッカーの扉が開いた。
やおいがそこから取り出した双眼鏡は見るからに立派なものだった。
「これ、まともに買ったら八万円はするんだけど、レンタルだと三千円で済むんだよね。まあ、アタシにとっては三千円でも大金なんだけど」
次にニャアちゃん、次の次にコンがキー操作してロッカーから双眼鏡を取り出す。
「これは栄子氏のでござる」
渡された双眼鏡は使い込まれていて、レンタル品ではなさそうだ。
栄子の疑問が伝わったのだろう。
「吾輩が昔使っていたやつでござる。そこそこ上等なものでござるから、初心者にはちょうどいいでござるよ」
栄子は心遣いに感謝し。
「ありがとうございます!」
と満面の笑みで双眼鏡を抱きしめた。
*****
レンタルの双眼鏡を無事入手した一行は、やっと会場に着いた。
やおいの母親の分のチケットはないため、子供だけで中に入る。
ちなみにやおいの母親も『ロイヤルパーティー』のファンであるのにライブに参戦しないのは、加齢によっていちじるしく体力を減少させてしまったからだ。
かなしい事実である。
手荷物検査で問題なしと判断された栄子たちは、無事に自分たちの席を探し当てて座った。
熱気に包まれた会場はざわめいている。
栄子は教室の騒々しさの何倍もあるそれに圧倒された。
同時に、これからの時間を楽しみにしている『ロイヤルパーティー』のファンたちの中で、一人だけ「連れられて来ただけ」の自分は異物なのではないかと不安になった。
栄子の表情から気持ちを読み取ったらしいやおいが。
「初参戦で色々考えちゃうんだろうけど、かたくならないで気楽に楽しめばいいんだよ」
と栄子の肩をパシンと軽く叩く。
ニャアちゃんとコンも。
「そうそう。ここは夢の中にゃ。現実の憂さを晴らす場所にゃんだから」
「栄子氏も開演してしまえば楽しくて些細なうつつの悩み事なんて吹き飛んでしまいますぞ」
とサムズアップする。
三人の言葉によって、栄子もやっと安心した。
考えるより感じろ、だ。
栄子は五感を研ぎ澄ませてライブのすべてを味わおうと心に決めた。
四人で雑談を交わすこと十数分、アナウンスが流れて会場内の照明が落とされる。いよいよだ。
栄子はごくりと生唾を飲み込んだ。
舞台が光に照らされる。
音楽が流れ始め、ライティングが変化してスモークが焚かれた。
舞台の中央にある階段が割れて、奥から何者かが進み出てくる。
周囲のファンがひときわ大きく歓声を上げたことで、出てきた豆粒ほどの大きさの人影が白霞と黒守だと悟る。
栄子はあわてて双眼鏡を取り出し覗き込んだ。
白霞は輝かしい笑顔でファンたちに手を振っている。
黒守は不機嫌なのかと心配になるくらいの仏頂面で腕組していたが、客席の誰かのウチワが目に入ったのかおざなりに手を振った。
「みんなー! 元気にしてたぁ~?」
白霞が笑顔のまま声を張り上げる。
ファンたちが声をそろえて「元気―!」と答える。
「ふふふっ、よかった~。僕たちも元気だったよ! ってことで、僕たちのことを知らない子もいるだろうから自己紹介するね。僕は白霞。で、こっちは」
白霞が隣にいる黒守にチラと視線をやる。
黒守は白霞と目を合わせないようにそっぽを向きながら、腕を組んだ不遜な態度で「黒守だ」とだけ発する。
「ちょっと黒守ぅ~、僕たちはアイドルなんだよ? 夢を売らなきゃいけないのにそっけなさすぎるよ!」
「うるさい」
栄子は事前に予習しておいてよかったと胸をなでおろす。
でなかったら口喧嘩がはじまったのかとハラハラしていただろう。
これは白霞と黒守のお馴染みのやりとりだ。
「じゃ、一曲目行くよ! 『君のためにミルクティーを淹れたい』」
やおいの母親は最初にこの曲名を耳にしたとき「夜明けのコーヒー」を連想したらしいが、違う。
歌詞では「君」がミルクティーを好きなので、落ち込んだときや悲しいときに淹れてあげたいといった趣旨が語られている。
どうやら「僕」は「君」に片思いしていて、いつか恋人同士になったらと夢想している状態らしい。
双眼鏡の向こうの白霞は本当に恋をしているような甘くも切ない表情で、黒守の方はよく観察しなければわからないほど控えめな微笑み。
二人ともどこかでこの片恋が叶わないとあきらめているような雰囲気なので、栄子は駆け寄って「そんな顔しないで」と元気づけたいような気分になる。
DVDで見た時は平気だったのに、会場にいる他のファンたちに感情が引きずられているようだ。
やがて曲は余韻を残して終了する。
決めポーズの後、舞台全体が明るく照らし出された。
白霞が元気と愛嬌にあふれた笑みを浮かべる。
さきほどの恋する「僕」から一変した佇まいは栄子に若干の驚きをもたらした。
黒守も仏頂面に変化していて、片恋に身を焼くような可愛らしさは抜け落ちている。
白霞が観客席に向かってぶんぶん手を振り、声を張り上げる。
「わ~い! 今日はこ~んなにたくさんの人が来てくれて、とっても嬉しいよ! 最高のパフォーマンスを見せるから、楽しんでいってね! ね、黒守!」
白霞が黒守の肩に腕を回すが、乱暴に振り払われる。
黒守は白霞から顔をそらし、腕を組んでフンッと鼻を鳴らす。
「他人に披露する以上、完璧を目指すのは当然だ。わざわざ宣言するまでもない」
黒守のその言葉に、栄子はプロ意識をきちんと持っていることに感心する。
たかがアイドルと侮るなど、彼らに失礼だ。
そしておしゃべりの時間が終わり、二曲目に入る。
今度は友情を歌ったもので、白霞と黒守はそれぞれソロパートがあった。
栄子は事前に教えてもらっていた通り、歌い手のイメージカラーにペンライトを変化させる。
白霞は「いつもありがとう。君のおかげで僕は走れる」と歌い、黒守は「俺の背中を預けられるのはお前だけ」と信頼を示す。
ソロパートを歌い上げる二人の表情、声、身振り手振りが「絆」の強さを伝えてくる。
栄子は当然ながら二人のプライベートなど知らない。
だがきっととても仲良しなのだろうと微笑ましくなった。
もし本当は仲が悪いのだとしても、栄子が感じ取った気持ち自体は本物だ。
間奏の間、白霞と黒守はダンスを披露する。
バックダンサーの方が技術は高いが、主役はこの二人なのだと明確にわかる。
DVDとは違う、ライブならではの空気があった。
栄子は悟る。
白霞と黒守は、ファンという太陽に照らされて輝く月なのだと。
そしてファンは自分たちの応援が彼らの力になるという事実がとても嬉しいのだと。
ライブは彼らとファンが一体になる「夢」および「奇跡」の空間なのだ。
気づけば栄子は夢心地になっていた。
だが、パフォーマンスに酔うだけでなく、頭の片隅で彼らの歌やダンス、トークの魅せ方を冷静に分析する自分も存在している。
栄子は、新たな願いがふつふつと沸き上がっていくのを感じた。
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