第12話 ハブとマングース。

 約束の日、栄子の自宅にやおいの母親がやってきた。

 栄子の母はにこやかに彼女を応接室に通すが、目が笑っていない。


 しょせん庶民、大切な取引相手などではないと見下しているのだ。


 まして栄子は母に「あのCDは友達に借りたもので、親御さんがその件でお母様にお話があるそうです」としか伝えていない。


 肝心の「ライブに行くつもりなので許可して欲しい」という望みは明かしていないのだ。


 やおいの母親はそれでも大丈夫だ、うまくやってみせると自信満々だったが……栄子は胃だけでなく頭も痛くなってきてこめかみを揉んだ。


「どうぞお掛けになって」


 栄子の母がうながすままにやおいの母親もソファに身を沈める。

 栄子も母の隣に腰かけた。

 すかさず家政婦が紅茶と茶菓子を配膳して退室していく。


「娘から栄子ちゃんのことは聞いています。なにごとも懸命に取り組み、結果も出していると。なんでも一番で物語の主人公のようだと話してくれました」


 まずは世間話としてお互いの娘のことについて語り合うジャブからはじまる。


「娘さん……空さんでしたか。過分な評価を頂いて親として嬉しい限りですわ」


 そうして会話は続いていき、ついに。


「ところで、空が栄子ちゃんに貸したアイドルユニット『ロイヤルパーティー』のCDですが、実は娘は栄子ちゃんをライブに誘うつもりで『予習』として曲を聴いてもらっていたんです」


 栄子は隣に座っているため表情はうかがえないが、母が不機嫌になったのを肌で感じた。


「アイドルのライブに? 栄子を? 親としては許可できませんね」


 気を落ち着けるためか、栄子の母は家事をしたことのない細く滑らかな指でティーカップの取っ手をつまみ、紅茶を一口飲んだ。


「許可できない理由は何ですか?」


 表向きにこやかに尋ねるやおいの母親の背後に、栄子は巨大なマングースの影を幻視した。

 対して栄子の母も。


「ライブはおそらく夕方にはじまるはず。それに終演まで二時間か三時間はかかるでしょう。行き帰りの時間も合わせたら帰宅は夜になってしまう。行きはよくても帰りが心配ですわ」


 さすがにアイドルに好ましい感情を抱いている相手に「スナック菓子のように軽くて低俗」という意味合いの言葉は出さない。

 代わりに巨大なハブの影を背負っているが。


「ご心配はわかりますが、私も同行するので大丈夫ですよ」


 栄子の母とやおいの母親の視線がかち合い、激しく火花が散った。

 二人とも笑顔なのに何故こんなに怖いのかと栄子は血の気が引いた。


「……遠回しにお断りしても伝わらないようですので、はっきりと申します。私は栄子には一流の芸術しか与えたくないのです。アイドルの音曲など食べ物で例えるならばB級グルメです。とても上流階級の人間が口にできるものではありません」


 栄子は「残飯」呼ばわりしないだけ配慮した方だと判断したが、普段から付き合いがあるわけでもないやおいの母親にしたら充分失礼な発言だろう。

 それでも、やおいの母親は微笑を絶やさない。


「……ある程度拒絶の言葉は予想しておりました。けれど、知らないものを先入観で排除するなど愚か者のしるし。本日は『ロイヤルパーティー』のライブ映像を収めたDVDを持ってまいりましたのでともに鑑賞しましょう」


 栄子の母は「愚か者」ではないという証明のためにしかたなく頷いた。

 リモコンでスクリーンとなる白い幕を下ろし、そこに『ロイヤルパーティー』の白霞と黒守の姿を映し出す。


 軽い自己紹介を終えた後、さっそく曲が始まった。

 テンポが速く明るいメロディーからはじまり、切ない曲、色っぽくて聴いていて赤面する歌詞、とバラエティに富んだ内容だ。


 栄子は、のめり込みはしないが以前一回観たときよりも楽しく感じた。

 たしかにオペラのような豊かな声量と情感はない。ミュージカルのような肉体美と音楽が合体した総合芸術でもない。


 けれど、アイドルならではのキラキラした「希望の灯」が表現されている。

 少なくとも栄子はそう思った。


 だが、エンドロールまではつきあっていられないと停止ボタンを押してDVDを取り出した栄子の母は。


「正直にお話するのが誠意というものでしょう。歌もダンスも中途半端で、みてくれだけ整えた芸術性のかけらもない『低俗』なものとしか感じられませんわ。まあ、一般人の娯楽としてちょうど良さそうですけれど」


 アイドルの音曲だけでなく、それを好む人々までもおとしめた選民意識丸出しの台詞だ。

 栄子は座っているのに倒れてしまいそうなめまいを覚える。


 いくらなんでも失礼すぎる。

 栄子はいっそこのまま気絶してしまいたいと思った。


「画家のゴッホは生前一枚も絵が売れなかったそうですね」


 やおいの母が急に話題を変えた。

 栄子の母が「それがなにか?」ととげとげしい声音で返す。


「いつの世も『新しきもの』は一般人には受け入れられないものです。これまでの『常識』がくつがえされるから。一般人は変化を怖がる。誰だって安定した、ぬるま湯のような生活がベストだと思い込んでいますから」


 やおいの母親は苦笑しながら肩をすくめた。


「私がそこら辺の一般人と同じで新しい芸術を理解できないとでも?」


 栄子の母はこめかみに青筋を浮かべ、キッと睨みつける。

 上流階級のお上品な奥様の仮面が完全にはがれ落ちた。


「いえいえ、そのような意味ではありません。ですが、絵画でも音楽でも、まったく違う漫画や小説といった物語でも『今までに見たことがない。体験したことがない』事柄は低俗とされて排除されそうになるものなのですよ。しょうがないです。それが『人間の本能』なのですから。新しいものと出会うたびに近づいていったらいくら命があっても足りませんからね。人間は臆病だから進化したのですから、卑下することはありませんよ」


 オブラートに包んでいるが、栄子は「保守的すぎて頭がかたいあなたはまるで原始人みたいですね」というメッセージだと受け取った。


 横目でチラと母を確認した栄子は、もはや怒りも抜け落ちて無表情な様子に息が止まりそうになった。


 栄子は瀕死の白鳥のようにぶるぶる震えているのに、やおいの母親はどこ吹く風だ。


「まあ、本当に低俗だったとしても、ライブに参加する意味はあるはずですよ。一流ばかり与えていたら一般のレベルがどれくらいか計れないし、差がわからないでしょう」


 やおいの母親の語彙力を尽くした挑発にプライドを刺激されたのか、栄子の母は大きく息を吐いた。


「わかりました。栄子をライブに行かせるのは認めましょう。当日は娘を宜しくお願いいたします」

「お任せください」


 栄子は内心で舌を巻いた。

 まさか頑固な母を説得できる人物がいるとは。


 当初、栄子はライブに行けないなら行かないでかまわないと思っていた。

 だが、今は違う。


 やおいの母親まで巻き込んでお膳立てされたのだ。

 なんとしてでも、当日に熱が出たとしても、参加することを栄子は決意した。

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