第6話 回り出す運命の輪。
春になると
式で校長は、やわらかな口調で栄子たちに語り掛けた。
「みなさんはラフダイヤモンドです。ラフダイヤモンドとは、研磨していないダイヤモンドの原石のことです。 ダイヤモンドは何十億年も前に、地下百五十キロメートルの奥深いところで高温高圧のもとで結晶し、火山活動によって 地表に運ばれて私達が目にすることができているのです。その形や容貌には二つとして同じものはありません。みなさんも、一人一人が異なった輝きを秘めているんですよ」
校長先生の言葉は栄子の胸に深く焼き付いた。
自分はラフダイヤモンドから進化できるだろうか。
苦しいほどの願いを込めて、栄子は胸元のクローバーの校章を握り締めるのだった。
*****
入学してひと月が経った。
クラス内でグループもでき始めたが、栄子は特定のグループには入っていない。
話さないわけじゃないが仲が深い人間はおらず、浅い交友関係だ。
本日も栄子は窓際にある自席で詩集を読んでいた。やわらかい風がカーテンを揺らす。
栄子が手荒れなどしたことのない、なめらかな指先でページをめくったときだった。
「誰かチケット買って~一枚余ってるんだ」
女生徒の一人がそう声を張り上げた。
「アイドルのライブかー、いくら?」
「八千五百円」
「高っ! しがない中学生には無理やね」
「あ~、あの子ホント急にダメになったとか困るんですけど!」
昼休みの教室はそこそこうるさい。
その中ではっきりと耳に入って来たのは、どこかで静香の「栄子ちゃんは私のアイドルなんですよ」という涙交じりの言葉を覚えていたからだろう。
栄子はこれまで「アイドル」の存在は知っていてもじっくり歌やダンスを鑑賞したことはなかった。
「アイドル」とは実際どんなものなのか?
栄子は鞄の中から財布を取り出し、所持金を確認する。
問題なさそうだ。
母から与えられている、中学生にしては高額なお小遣いが役に立つときが来た。
栄子は詩集にしおりを挟んで閉じ、立ち上がった。
「ねぇ、そのチケットわたくしに買わせてくださらない?」
クラスメイトとは、これまで最低限のあいさつおよび連絡事項のときのみ言葉を交わしていたため、チケットらしき紙をひらひらさせていた女生徒が目をまんまるにして栄子を見つめた。
他の生徒たちも同じ表情をして栄子を注視している。
戸惑ったのは栄子だ。
ただチケットを買いたいと申し出ただけで教室中がシンと静まり返るなど、居心地が悪いことこの上ない。
数秒後、ハッと意識を取り戻したチケットの買い手を探していた女生徒は、おそるおそる栄子に確認する。
「これ、クラシックとかじゃないよ? オペラとかミュージカルとかでもなくて、男性アイドルユニットのライブチケットだよ?」
義務教育中は公立の学校に進ませる方が世間一般の感覚がわかるだろう、という亡き父が遺言に記した教育方針により栄子は城詰中学に入学したが、家格は入学してすぐうわさ話としてあっという間に広まった。
そのため、栄子は「良家のお嬢様」として遠巻きにされ、なれなれしく接触する者はいなかった。栄子も都合が良かったので歩み寄らないままここまで来た。
そう、目の前の女生徒は栄子の内面など当然知らず「お嬢様は俗世間の物事など興味がない」というイメージで語っているのだ。
だが栄子に否やはない。
なぜなら、女生徒のイメージする「お嬢様像」は栄子の母にとっても理想であり、そういうふうに育てられてきたから。
栄子が疑問を抱く隙もなかった。
けれど、今は……。
「たしかにアイドルには詳しくありませんけれど、少し興味があるのです。やはり、そんな中途半端な気持ちではいくら支払い能力があっても受け入れられないかしら?」
女生徒はうつむいた。
ゆえに栄子からは表情がうかがえない。
怒らせただろうかと心配したが、やがて女生徒の肩が揺れ「くっくっく」と押し殺そうとして失敗した笑い声のようなものが聞こえてきた。
気味が悪くて栄子が一歩あとずさったときだった。
女生徒がガバっと顔を上げ、興奮した様子で栄子の右手をがしっと掴んだ。
「むしろ大歓迎! あなたを『ロイヤルパーティー』色に染めて見せるわ! 新たな信者を爆誕させてやるんだから!」
「『ロイヤルパーティー』?」
「ライブをするアイドルのユニット名にゃ」
疑問に答えたのは、握った栄子の右手をぶんぶん振り回し、聞き取れないくらいの早口で何かを訴えている女生徒ではなかった。
「こんちゃ! うちのことは『ニャアちゃん』て呼んでな。それがうちのあだ名にゃからにゃ」
新たな女子生徒のあだ名は『ニャアちゃん』。栄子はさっそく質問した。
「そのニャアちゃんというあだ名はどこから来たのです?」
「見た目からにゃ。しゃべり方はあだ名に寄せたってとこかにゃ」
ニャアちゃんはちょっと癖のあるふわふわのプラチナブロンドにエメラルドのような色合いの瞳をしている。
外国の血が混じっているのだろう。
ちょっと上がった口角が愛想よく感じられて、イメージされている猫は野良ではなく血統書付きの家猫だろうと知れた。
愛されることに慣れているが、ときには気まぐれに飼い主の手を拒絶する。
そんな気まぐれな性格も、瞳をらんらんとさせて栄子を観察する様子から想像ができた。
「ライブに行く面子はうちとコンとやおいとアンタにゃ。それと会場まで送ってくれる足かつお目付け役はやおいのママ」
この間まで小学生だった女子たちに保護者が同伴するのは納得がいくが、あだ名で説明されても栄子にはわからない。
「あの……コンさんとやおいさんってどなた?」
途端、右手が解放されて。
「やおいはアタシだよ!」
とダブルピースで宣言された。栄子はまたまた首を傾げる。
「あなたのお名前は『
興味がなかったのでクラスメイトの名前をまだ全員分おぼえていないが、『東雲空』は素敵な名前として記憶に残っていたのだ。
東雲空あらため『やおい』はニィッとわらった。
不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫めいた微笑みに、なにか企んでいるのかと疑念がわく。
やおいはおもむろにノートを取り出し、801と三桁の数字をシャーペンで書いた。
「これ読める?」
ノートに記入した部分を栄子につきつけて質問するやおいの表情は、面白がってますと言わんばかりだ。
トリックオアトリートの呪文が行き交う季節はまだまだ先だが、まちがった返答をしたら悪戯されそうで栄子は真剣にノートとにらめっこする。
だが。
「はっぴゃくいち、ではないのよね?」
と確認し「違うね」と一刀両断されたので。
「降参! 正解を教えて下さる?」
栄子が肩を落としてため息交じりに頼むと「そのままだよ」と再びノートにシャーペンが走らされる。
そこには「8が『や』で0が『お』で1が『い』なんだ。合わせて『やおい』」とあった。
一瞬納得しかけた栄子だったが。
「いやいやいや、そもそもその数字はどこから来たのです?」
ここでやおい本人とニャアちゃんがチッと舌打ちし「誤魔化せなかったか」としばし苦み走った表情をした。
だが、やがて正反対の輝きに満ちた笑みに変わる。
「固い蕾を無理やり開くのも一興かもしれないわね」
やおいが、栄子を見つめてにんまりする。
どこかねっとりとしていて、春になると増える露出狂の変態を連想してしまった。
「しょっぱなでガチな薔薇は逃げるかもしれにゃいから、友情よりちょっと進んじゃってるかな程度のソフトなのからがいいにゃ」
ニャアちゃんの提案にやおいが首を横に振る。
「ソフトなものなんて今のアタシには刺激が少ないからほとんど売っちゃったのよね」
栄子は話題の中の「ガチな薔薇」の意味が分からず途方に暮れた。
薔薇は薔薇だろう。
ガチな薔薇とはなんだ。
栄子なりに自分で正解を導きだそうと、雑巾よりきつく脳みそを絞ったが……わからないままだった。
そうこうしているうちにやおいとニャアちゃんは話し合いを終えたらしい。
「ってわけで、今日から放課後はやおいの家でライブの予習にゃ!」
ニャアちゃんの宣言に硬直している間にも。
「迷子にならないよう家まで案内するから安心して」
やおいが華麗にパチンとウィンクする。ニャアちゃんはワクワクと弾んだ声音で。
「どうせならコンも呼んで四人でライブ予習するにゃ!」
と提案し、やおいも乗り気で親にスマホのメッセージでお伺いを立てる。
栄子は展開の速さについて行けないままだったが。
「ママはかまわないって。大したおもてなしはできないけれど、それでいいなら」
栄子は、直前になって客を迎えることになるなんて自分だったら冷や汗もので絶対に拒否するのにと、まだ見ぬやおいの母親を尊敬した。
「やおいママは律儀だにゃあ。今更かしこまったおもてなしなんていらないにゃ」
やおいとニャアちゃんの間ではもうライブ予習は決定事項らしい。
「あの……わたくし放課後は土日を抜いてすべて習い事の予定があって……」
こんなに盛り上がっているところに水を差すのは申し訳ないが、教えないまま直前にキャンセルするよりはマシであろうと栄子は口を開いた。
「そんなのサボっちゃえばいいにゃ!」
ニャアちゃんのその台詞に栄子はぎょっとする。
サボるなんて今までの人生でやったことがないし、開放感より罪悪感にまみれるだろう。
やおいがニャアちゃんの頭を丸めたノートでぽこんと軽く叩く。
「軽率にサボタージュをすすめるんじゃないよ。まったく。でも……」
ペロッと舌を出して「ごめんにゃ」とあざとい仕草をするニャアちゃんから視線を外したやおいが、じっと栄子を見つめて問いかける。
「なんで一日サボるだけでも許せないほど一生懸命なの? アスリートとか芸術家を目指してるの?」
「そういうわけじゃ……」
栄子は「なんでも一番」にこだわってきた。
「一番」という輝かしい称号に見合うだけの努力もしてきた。
それは、全部。
「お母様が『さすが私と旦那様の娘』って全開の笑顔で抱きしめてくれるから」
やおいは「そっか」と微妙そうな表情をし、ニャアちゃんはなんでもないふうに「ふ~ん」とあいづちを打って栄子から視線をそらせた。
それは「栄子に興味をなくした」ように感じられた。
栄子が二人の反応に違和感を覚えたとき、昼休み終了の鐘が鳴った。
自席に座ろうとしたとき、栄子はやおいに紙を手渡される。
「チケットではなさそうですわね?」
栄子が首をかしげると。
「チケット取得に必要な払い込み票ってやつ」
そうは言われてもシステムが理解できない栄子は眉をハの字にした。
「あとで教えるよ」
優しい口調でそう伝えられ、栄子は頷く。
大人しく着席した後、栄子は先生が来るまで窓から遠くを眺めるのだった。
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