第2話 誰かの足音
僕は滝川 陽一。特別やりたい事もなく高校へ入り、誰も聞いた事がないような大学を出て、今は平凡な商社のサラリーマンだ。
そんな僕にも、幼馴染ともいえる友人が二人いる。小学中学と一緒で、高校からは別になったが、それでも付き合いは続いていた。
社会人となった今でも、年に数回飲みに行く仲だ。
ひとりは渡辺 健斗。 運動が好きだが、どれかひとつの競技に集中できないタイプだった彼は、スポーツジムのインストラクターをやっている。
どれか一つに集中していたら、プロ選手にもなれたのではないかと、僕は今でも信じていた。それくらいスポーツ万能だった。
もうひとりは井上 ユウ。僕らとは出掛けるが、それ以外ではインドア派。大人しい性格で、引きこもり一歩手前みたいな感じだった。本当は『ゆうた』とか『ゆうき』とか、そんな名前だったけれど、ずっと『ユウ』と呼んでいたので、本当の名は知らないままだ。憶えていないだけかもしれないが、今さら聞けない。
そんな彼は、キャンプ用品メーカーの経理をしている。
そういえば二人にも、しばらく会っていないな。あまり頻繁に連絡をとるわけでもなく、誰からともなく「飲みに行くか」とか言い出して会っていた。
そろそろ誘ってみようかな。
そんな事を考えていたら、二人に出会った頃の事を思い出した。
あれは小学生の低学年だっただろうか。一年生か二年生だったか、夏休みだったと思うが、夜遅くに三人で遊んでいたんだっけ。何故夜なのに外に居たのか、さっぱり憶えていないけれど、夏祭りの日だったりしたのだろうか。
記憶にあるほど、遅い時間ではなかったのかもしれない。それでも小さな子供が出歩く時間ではなかったと思う。
そんな暗くなった夏の夜、僕らは静まり返った学校に忍び込んでいた。
そこは僕らが通う小学校ではなかった。たぶん親戚のうちか何処かに、泊まりに行っていたのだろう。小学校だったか、中学校だったか、夜の学校に忍び込んでいた。
忍び込むといっても、校舎の中ではなく校庭までだ。
それでも静かな校舎は不気味で、水を張ったプールに近付くと、誰かが泳ぐような水音が聞こえた気がしたりして、スリルがあったのを憶えている。
「ここで昔溺れた子が、足を引っ張るんだって」
「この焼却炉を夜に開けると、中に用務員さんが座ってるんだって」
「体育館の足元の窓を覗き込むと、白い足が見えるんだって」
そんなくだらない噂を、互いに言い合いながら、学校を徘徊していた。
「そういえば……夜の学校を歩く先生の噂もあったね」
「あったあった。昔、宿直中に死んだ先生が、さまよってるって」
「その姿を見たら呪われて、百年以内に死ぬんだって」
当時はもっと幼い喋り方だったとは思うが、だいたいそんな事を話していたような気がする。当時は結構怖かった記憶があるな。
呪われなくても百年以内に死ぬだろうけれどね。
そんな探検が校舎裏に差し掛かった時だった。木造の旧校舎の怪談で盛り上がって来た、そんな時だったと思う。
どこかで足音が聞こえた。
カツーン……カツーン
と、校舎脇の舗装された通路を、革靴か何かで歩いているような、甲高く響く足音が聞こえて来た。その学校は、二つ並んだ校舎が渡り廊下で繋がっていた。
その並んだ校舎に反響するのか、やけに足音は大きく高く響いて聞こえた。
「まずい、誰か来たよ」
「先生かな、用務員さんかな。誰か泊まってたんだよ」
「みつかったら怒られちゃうよ」
囁き交わし、僕らは慌てた。
見つからないように、校舎の陰を逃げ回る。
あれだけ大きな足音が聞こえていれば、暗闇を逃げるのは案外簡単だった。
校舎を廻って、逃げ回っているうちに、見つからない事で余裕が出て来た。
どんな人が追ってくるのか、本当に僕らを追っているのか、そっと覗いてみようと、バカな事を考えてしまった。
「そっと覗けばバレないよ」
「それよりも、逆に驚かせたら面白いよね」
「後ろに回り込んで石でも投げてみようか」
ひそひそと、そんなバカな事を話しながら、だんだん楽しくなってきていた。
さっさと逃げれば、何事もなく済んだかもしれないのに。
校舎の陰に隠れて、迫ってくる足音を聞いていた。
まだ遠いその足音は、ゆっくりと近付いてきていた。
「こっちに向かって来てるね」
「まだ遠いな」
「こっち側はまっくらだから、まだ姿は見えないね」
目標を捕らえたのか、足音は少し速くなってきた。
カツン、カツンと足音が近づいて来る。
「見つかったのかな」
「いや、まだ何も見えないんだから、向こうからも見えないよ」
「僕らを探していたんじゃなかったんだ」
足音はさらに速度をあげて、殆ど小走りになって近付いてきた。
カッカッカッカッと、もう足音はすぐそこまで来ていた。
僕らはそっと顔を出して、足音の方を見た。
そこに見えたのは……
「逃げろっ!」
「走れ走れっ!」
「やばいやばいやばいっ!」
僕らは姿を隠す余裕もなく、全速力で駆けだした。
振り返る事なく一気に、学校の正門へ向かった。広い校庭を駆け抜けて、閉まっている校門の脇の柵に飛びついた。金網を必死に登って、死ぬ気で飛び降りた。
今、ここにいるのだから、僕らは無事に家まで帰れた。
足音は、学校の外まで追ってはこなかった。
あの時、足音の主を覗いた僕らが視たものは、真っ暗闇だけだった。
足音は、もうすぐそこに来ていた。もう目の前にその人が見えているはずなのに、そこには誰も居なかった。ただただ足音だけが、僕らに駆け寄っていていた。
あの足音に追いつかれていたら、僕らはどうなっていたのだろうか。
余談だがその帰り、僕の首に何かが落ちて来た。
大きな木の下を通った時だったので、落ち葉だろうと思って、首に落ちたソレに手を伸ばした。それは掌よりも大きく、もぞもぞと動いていた。
「うわっ!」
驚きながら僕はそれを握ってしまい、さらに驚いて足元に投げつけた。その大きな塊は、ササッと脇の家の庭へ逃げ込んで行った。
「見たか今の……」
「毛がいっぱい生えてた」
「
それは大きな蜘蛛に見えた。
日本には居ない筈の種類、見間違いだろうと思うが、それはタランチュラと呼ばれる大型の毒蜘蛛にしか見えなかった。短い毛がびっしりと生えた、あの気持ち悪い手触りが忘れられない。
あの夜の校舎を徘徊していた存在は、いったい何だったのだろう。
あの夜、僕に降って来た存在は、いったい何だったのだろうか。
今となっては、どちらも謎のままだ。
もう一度確認をしに行きたくもない。
そんな不思議な真夏の夜の体験だった。
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