第3話 屋上で待つ

 今日も目立つ事なく、なんとか仕事を終えた帰路。小学校を見かけて、何故か屋上が気になった。

 そこは僕、滝川 陽一が通っていた学校ではないが、つい屋上を見上げていた。


 あれは小学生の三年生くらいだったろうか。

 今でも交友のあるユウと健斗も、既に一緒だった頃だ。

 あれは……そう、防災訓練があった時の事だった。


 僕の通っていた小学校では、防災頭巾を家で作って来るきまりがあった。でも、うちの母は裁縫が苦手で、仕方なく自分で縫ったものを、持って行っていたっけ。

 綿もいれてもこもこさせて、頭頂部にはクッション代わりに、ストローを縫い込んでいて、割と良い出来だったと思う。


 ある日、そんな頭巾を被っての防災訓練があった。

 頭巾を被ったみんなで、教室を出て廊下に並ぶ。すっぽりと頭を包まれて、周りの音も声も、良く聞こえなかった。


 あんな訓練に、何か意味があるのだろうか。

 あの頃は皆、何も考えずに、ただのイベントとして楽しんでいたけれど。

 廊下に集まって整列なんて、災害時にそんな暇はないだろうし、頭巾程度で落下物から身を護れるわけもない。命にかかわる落下物に当たれば、頭巾を被っていたって首が折れるだろう。幼い子供の首は、そんなに頑丈ではない。


 こんな意味のないイベントも、社会へ出て行くための訓練なのだろう。

 嫌がらせでしかない朝礼も、会社での意味のない朝礼の練習だと思えば、今ならいくらか納得できる気もする。


 ならんだ生徒が、クラスごとに校庭に向かって進む。

 僕もそのまま校庭に出るはずだったが、誰かの呼ぶ声に階段の上を見ると、そこに女の子が立っていた。

 同じクラスではなかったが、同じ学年だったと思う。名前は思い出せない。


 何故か気になって、僕は列から離れて階段を上がって行った。

 女の子は階段の上で、じっと僕を待っていた。


「どうしたの?」

 呼ばれた気がしたのだが、その子は近寄っても何も言わない。

「具合、悪い?」

 顔色が悪そうな気がして、そう聞いたが、その子は静かに首を横に振った。


 何も言わないし、体調も良くなさそうだし、頭巾を被ったまま俯いているので、顔がよく見えないが、何故か気になっていた。

 名前すら思い出せないのに、その子が気になって仕方がなかった。


 何も言わないまま、その子は階段をのぼっていく。

 ちょっと後ろを振り向き、避難演習の集団を見たが、こちらには誰も注意を向けていないようだった。

 僕はなんとなく、その子についていった。


 三階から、さらに上へあがっていく。

 この校舎は三階建てなので、その上は屋上しかないが、ドアには鍵がかかっていて、外には出られないようになっていた。


 よくある噂では、昔に事故があって、生徒が落ちたとかなんとか。そんなことを聞いた事もあったような気もする。

 でも、女の子について階段を上がると、屋上へのドアは開いていた。


「わぁ、すごい。屋上って初めてみたよ」

 初めて見る屋上に浮かれ、僕は無邪気に駆け出した。

 その頃の僕の、頭の上まである鉄柵に囲まれた、何もないコンクリートの屋上は、何故か少しどきどきした。


「何してんだ、よういちっ」

 屋上へ駆けだそうとした僕は、後ろからその手を掴まれた。

「けんと、ユウも。どうしたの?」

 振り返ると、健斗が僕の手を掴んでいた。その後ろにはユウも居た。


「どうしたじゃないよ。こんなとこでなにしてるんだよ」

「そ、そうだよ。怒られるよ」

「いや、だって、あの子がさ……あれ?」


 僕を呼んでいて、ここまで僕を連れて来た子、あの女の子の姿がなかった。

 しかも、今まで開いていた屋上への扉も、今は硬く閉じていた。


「あの子って誰さ」

「よういちったら、一人で階段をあがっていっちゃったろ」

 列から離れた僕を、二人は追いかけて来てくれたようだ。


 その後三人で、慌てて階段を駆け下りた。

 騒ぎにもならずに、無事避難訓練に戻れたが、あれは何だったのだろう。


 あの時は知っていると思った女の子だったが、後から考えると誰なのか見当もつかない。名前どころか、顔も何も知らない子だった。そもそも、顔は頭巾に隠れてよく見えなかった。あれから出会う事はなかったが、あれは誰だったのだろう。

 そういえば彼女の防災頭巾も服装も、何処か古い感じがした。


 あの時は開いていた屋上への扉。

 あのスチールドアは、把手に鍵穴があるが、穴が潰れてしまっていて、鍵が入らなくなっていた。そう、鍵を持っていても開かないドアだった。


 その後に聞いたけれど、あの屋上には古い怪談話があった。

 まだ扉が施錠されていなかった頃、一人の女の子が屋上に出ていた。

 誰かがいたずらで、扉を閉めて鍵を掛けてしまったらしい。

 さらに鍵穴まで潰して帰ってしまったらしい。

 女の子はひとり、屋上に取り残された。

 その子は今でも、その屋上でひとり、じっと待っているという。


 細部は色々だったが、おおむねそんな怪談だった。

 子供が鉄の鍵穴を潰せはしないだろう。

 屋上は密閉空間ではない。外からも見えるし、声も聞こえる。

 おかしなところだらけだったが、あの時出会った少女は、誰かを屋上に誘っていたのだろうか。今でも屋上で、ひとり誰かを待っているのだろうか。


 結局、何一つ解決しない。

 何も、はっきりしないままな、幼い子供の妄想でしかない。

 それでもあの声は、僕を呼んだ、あの声だけは今でもおぼえている。


 あの子はきっと、今でも待っているのだろう。

 誰も来ない、あの屋上にたったひとりで。

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