あの日の僕ら

とぶくろ

第1話 古民家 ―― はじまり

 なんてことない高校を出て、誰も知らないような大学を、目的もなく卒業した僕は、どうって事のない商社に入社した。

 不惑までに係長になれたらラッキーかなぁ。なんて考えだした、特別なんて何もないサラリーマンだ。

 もうすぐ三十路だってのに、結婚の予定も無い独り暮らしだ。

 両親も親戚も、生き残っていない天涯孤独な僕の名は、滝川たきがわ 陽一よういち。年に何度か飲みに行くだけが楽しみで、趣味もない残念な奴が今の僕だ。


 そんな僕にも、怖いものなんてなかった、自由な頃もあったんだ。

 あの頃の事を、何故か急に思い出す。誰も待つ人の居ない、小さなアパートの一室に帰って、ひとり昔を思い出す。

 まだ幼かったあの頃を……あれは小学生の三年か四年生だっただろうか。


 まだ両親も健在だった頃、当時住んでいたマンションの近くに、大きな敷地の家があった。通学路の途中で、どこまでも長く続く石の塀。

 そのブロックすべてが、一つの敷地だった……と、思う。


 子供の頃なので、特別広く感じていただけかもしれないが、昔の庄屋だったか何かの家で、大きく古い母屋と離れ、崩れそうな物置と石造りの蔵があった。

 建物も、敷地にある道具類も、何もかもが古くて不気味だった。


 廃屋ではなかったようだが、住んでいる人を見た事はなかった。理由は分からないが、あまり近付いてはならないと、大人達にも注意されていた気がする。

 中からは物音も、人の話し声もしなかった。

 幽霊屋敷だなんだと、子供達は噂していたのは憶えている。


 そんな敷地の裏に、何のためにか土が積み上げてある場所があった。

 なんの木だったか、大きな木が生えていて、いつでも日陰で薄暗く、滅多に人も通らない細い裏通り。そんな一画の塀の脇に、何故か土が高く積みあがっていた。

 子供にとっては、ちょっとした山のように何故か一ヶ所だけ、そこだけ土が盛り上がっていた。大きな敷地の塀に、もたれかかるかのように。


 誰も近付かない幽霊屋敷だったが、その土の山を登ると、塀を超える事が出来た。

 僕は当時、其処からこっそりと塀を越えて、幽霊屋敷に侵入していたのだ。兵の向こう側には、山のように落ち葉がたくさん積んであって、丁度中へも降りられるようになっていた。まるで誰かが、用意して誘っていたかのように。


 そんな場所から潜入して、広い敷地を探検していた。ひとりで……?

 誰かと一緒だった気もするが、顔も名前も思い出せない。近所に住んでいた、同年代の子と一緒だったような気もする。そういえば女の子だったような……。

 まぁ、20年近く前の事だし、記憶が曖昧なのは仕方がないだろう。


 その広い庭には、いろんな物が置いてあった。

 当時は何に使う物なのか、さっぱり分からなかったが、今思い起こせば、農家が畑で使うような道具が多かったようだ。

 その当時でさえ、使っていなかったような、古い道具ばかりだったようだが。


 母屋と蔵は、鍵が掛かっていて入れなかったと思う。

 中まで入った事があるのは、母屋と蔵の間にある離れだ。それでも普通の一軒家よりも、かなり大きかったと思う。

 正門のような入口の向かい、道路の向こうに並ぶ戸建てよりも大きく、古いけれども二階建てで、しっかりした造りだった。


 そこだけ何故か、裏の四畳半の部屋の窓だけ、鍵が開いている時があった。

 誰も居ないと思って忍び込んでいたのに、開いている時と閉まっている時があるのが、今考えるとおかしいと思うが、当時は気付かなかったようだ。

 ……きっと幼かったから、気付かなかったのだろう。


 離れの家の中は、外から見たよりも綺麗だった。

 いや、汚れて散らかって、きたない事はきたなかったのだが、無人の廃屋という感じはしなかったのを憶えている。

 それでも人の気配はなく、人が暮らしている雰囲気もなかった。

 冷蔵庫もからっぽだったし、食料もなく、飲みかけのコップなんかも見た事はなかった。中には布団や服や、ダンボールやら、なんだか分からない物が散乱していた。


 そんなゴミの中を探検して遊んでいたのだ。


 そんなある日、探検が最後になる日が来た。

 何もなかった探検に、異変が起きたのだ。


 その日も一人で……いや、あの日は誰かと二人で忍び込んだんだ。

 いつもの離れに、いつもの四畳半から潜り込んだ。

 そこまでは、いつもの通りだった。


 いつもは何も、何事も起きなかったのに、四畳半の隣の六畳間だったか八畳だったか、とにかく隣の部屋に床の間と押し入れがあった。

 その押し入れから、どん! がたっ! と、音がした。

 中で居眠りした人が、寝返りを打って壁にぶつかった。

 そんな感じの、割と大きな音がした。


 薄暗い家の中、突然の物音に驚いたのは憶えている。

 実際は大した事ない物音だったのかもしれない。ちょっと何か荷物が崩れただけだったのかもしれない。それでも、その時は飛び上がる程に驚いた。

 入って来た窓から、猫のように飛び出す程に驚いた。


 そういえば……何か声がした気もする。

「まって! 陽一くん、おいてかないで」


 ……いや、気のせいだと思うけれど、急に鮮明に、女の子の声が聞こえてくるようだ。そんな事はないさ。今まで忘れていて、急に思い出すなんて。


「いやっ、はなしてっ! 陽一くん、助けて……」


 いやいやいや、そんな事はないだろ。


 逃げ遅れたあの子を、誰かが捕まえた。泣き叫び、助けを求めるあの子を、見捨てて僕は逃げたのか。そんな事を忘れていたりはしないだろう。


 いつも入り込んでいた枯葉の山を必死に登った。

 今思うとあそこは、腐葉土を作っていたような気もする。

 あまりにも慌てていたのか、塀に手を掛ける手前で転んでしまった。枯葉の山に、小さな身体が沈んで、さらに焦って暴れ藻掻いた気がする。


「いてっ!」

 そうだ、何かが手に当たったんだ。無我夢中で枯葉を掻き分けて塀を、飛びつくように乗り越えたっけ。その時、見えてしまった。

 振り返った一瞬、あれが視界に入ってしまった。


 いつも人の気配すらしなかった母屋。

 その二階の窓辺に誰かが立っていた。


 窓が汚れていた所為か、顔だけしか見えなかったけれど、青白く血色の悪い顔が、塀を越える僕を、生気の無い目で見ていた。

 怒りも恨みも感じない、なんの感情もない冷たい目が、じっと僕を見ていた。

 子供か老人か、年齢も性別すらも、はっきりしない顔が窓に見えてしまった。

 はっきりしていたのは、虚ろでありながらも、じっと僕を見ていた。何故か、それだけは分かった。あの顔だけは何十年たっても、忘れられないものだった。


 僕はもう振り返らなかった。

 そのまま家に帰って、部屋へ向かうマンションのエレベーターの中で、必死に握りしめている手に気付いた。

 あの時、塀を乗り越える時に指に当たった物を、咄嗟に握りしめてしまっていた。


 それは変わった細工の彫られた柄の、一本のナイフだった。

 当時の小さな手には大きすぎたが重さは、それほどでもないナイフが、手の中にあった。何かの貝のような、不思議な素材で出来た柄は、何かの動物なのだろうか、四つ足の何かが彫られていた。


 そのナイフの刃で切れたのだろう、血の止まらない指を口に咥えながら、何故か気に入ってしまったナイフを、僕はじっとみつめていた。

 そのナイフは持って帰って、見つからないように隠したはずだが、いつのまにか失くしていた。引っ越しの時にも出てこなかったので、もう見つかりはしないだろう。


 そういえばマンションを引っ越したのは、あの後すぐだったな。

 小学校も違う学校に変わったのも、あの時だったっけ。

 あの時……小学生の女の子が、行方不明になったとか騒いでいなかったか?


 なんで忘れていたんだろう。

 そうだ、あれは……あの時のあの子だったんじゃないのか?


 それならば、あの時のあの場所で、あの子は待っているのだろうか。

 押し入れに居た何者かに捕まって。

 あの母屋の白い顔は、まだあの子を見張っているのだろうか。


次回予告


 小学生の頃から、ずっと付き合いのある友人が二人いる。

 学生の頃は、よく三人で深夜に出掛けたものだ。

 そういえば、あの頃からかもしれない。

 各地のスポットを巡る、お化けツアーが始まったのは。


注) 御挨拶

 過去を振り返る青年の記憶と、その物語でございます。

 この作品は一部フィクションであり、登場する人物、団体、その他名称は、実在するものとは一切関係ございません。

 作り話として、お楽しみくださいませ。

 そう……あの顔も捕まった少女も、作り話ですよ……きっと。

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