第八話

 志賀瑞紀はどこまで行っても普通の域を超えない男子だった。


 取り立てて目を引く特技を持たないどこにでもいるような普通の男子。であるからこそ、どこにもいない唯一無二の男子でもあった。


 真面目が取り柄になる瞬間が訪れることが果たしてあるのか、幼いころからミズキは甚だ疑問だった。自分が他の男子に対して比較的真面目な人間であるという自負はある。

 宿題はマメにやるし遅刻はしないし校則は守るし法律も守る。日直の仕事は忘れないし体育祭期間は自主練するし掃除の時間を疎かにしたりしない。

 どれも一つ一つは普通の事柄で、意識せずとも守ってる人はいるしそれを誇ったりも思わないが、それら全部守ってることを思うと他の人よりは多少厳しいルールを自分に敷いているのかもしれないとは思う。


 世間的には「して当たり前のこと」をしているだけなのに、なぜか真面目と捉えられることの方が不可解だった。褒められた試しも無いし、むしろ「生真面目」「頭固そう」と思われることの方が多いので、ミズキ的には自分のこの真面目さは悪癖に近い。


 だからといって、別に不真面目に憧れてるわけでも無い。自分が他より真面目でマメなのは、単にその方が悪びれることなく胸を張って生きていけると思うからである。

 目の前にゴミが落ちていた時、それが自分のせいじゃなくとも拾うことは、何の得にならなくとも心の補強になると思うからだ。

 ゴミが落ちている時、自分は拾う人間であるという自負が、ミズキにとって人生を生きやすくなるコツだった。


 ミズキの「真面目」という個性はこうして、普通であり普通でない、どこにでもいそうでどこにもいないという立ち位置に行き着いた。


 人の目が恥ずかしいという個性もこれの延長線上だった。


 何より年上ウケの良い性格をしていたミズキにとって、壇上に上げられるという行為はその真面目さを讃えられることとイコールだった。

 皆勤賞、作文コンクールの受賞、本をいっぱい読みましたで賞など、大人が褒めてくれる項目に対しては非常に強いミズキだったが、それは同時に同学年のクラスメイトから冷ややかな目で見られるということもミズキは理解していた。


 そういう時に壇上で浮かべるのは、彼のあの困ったような笑顔だった。


 できるだけ目立たないように、目立っても悪目立ちしないように、そういった方向の進化の末、シャイで奥手で真面目で律儀なミズキという男子は爆誕した。


 ◯


 放課後、ミズキが教室でイヤホンで音楽を聴きながら次の日の授業の予習をしている時だった。


「えーーーっと……志賀君?」


 目の前に現れた白髪の派手派手な女の子。同時にクラスの全員という全員の視線がミズキに集まった。


 この時、ミズキは人生が終了したかと思った。天命が尽きたとも思った。


 だって、目の前にあらせられる女子はかの有名な「遠藤咲蘭」である。世の男という男を虜にし今はまだ効かないがいずれガンにも効くようになると噂されているあの遠藤咲蘭。


 自分に話しかけてるにも関わらずどこか他人事に思える。それくらいミズキにとってはインパクトのある出来事で、意識を手放したいと思うほど重荷でもあった。


 そして彼女はこう続けた。

 

「ずっと前から好きでした! 私と付き合ってください!」


 これは“死”と同義である。残りの人生を生贄に捧げて見た自分の妄想とすら思った。


 無論、そんな考えはすぐさま頭の向こうに追いやって現実と向き合う。ほとんど関わりのない学校のヒロインが、さして特徴もない普遍的男子の自分に告白するということは、つまりはそういうことであるという方程式がすぐに成り立つ。


 罰ゲーム、あるいは、おもちゃにされている。


 この発想に至らなければ、ミズキは今頃一瞬だけでもサラと付き合えたのだが、また即座に別れて失恋の悲しみを負っていたのだが、幸いなのか不幸なのかミズキの「自分はサラに告白されるような人間ではない」という考えはサラにとって「他の男子と少し違うヤツ」という認識を持つに至った。


 ミズキにとってあの告白は、天空人の戯れの一端を担っただけという認識である。逆にいえば、そう思わなければミズキの普通をアイデンティティとした精神はその特異さにすぐさま崩壊してしまっていたことだろう。


 なんてことはない、卑屈な非モテの自己防衛。自分には受け止めきれない強大な幸福を前に足元が竦んでしまった臆病者の選択である。



 つまり、何を示したいのかというと、



 志賀瑞紀はとっくの既に、遠藤咲蘭に夢中であるということだった。



「あ、そこさーあたし分かんないんだよねー。因数分解? 部分分数分解?」


「えっと、そこはこっちの公式使えば、このパターンなら解けるかなって……」


「なるー。っぱ教えんの上手いねミズち。天才じゃん」


「いや……普通にサラさんの物分かりが良すぎるだけなんですけど……」


 つまりこうやって普通にノートを見せている時であっても、平常を装っておきながらその実、心の臓が爆発しそうになっているのである。


「……? どしたん、ミズち? そんな『こんな夢みたいな時間現実なワケないだろ! 夢に決まってる!』みたいに頭抱えちゃって?」


「ぜっ、全然っ!? 全然そんなこと思ってませんからね。 ……メンタリズム?」


 ミズキに残されている壁は一つだけ。自分のことをサラが好きなワケがないという常識的な観点に基づいた判断のみである。


 そしてそれは、サラの気持ちからしても正しい。結局のところサラも、ミズキのことを踏み台にしか見ていなかった。


 ただ、一つだけ両者勘違いしていることがあるとするならば、


 人は自分の気持ちすら満足に判断できないような、アンコントローラブルな生き物であるということだった。

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