第四話
「はい、じゃあこの問題を、志賀。分かるか?」
「は、はい! えっ、と……」
数学の授業中。先生がミズキを指名したのをなんのきなしに見つめるサラ。
ミズキの席は教室の奥の方にある。対してサラの席は教卓の真ん前にあり、かなり開きがあった。
ミズキを見ると、あまり衆目に晒されるのが得意ではないのか、口元をわなわなさせながら回答していた。人から注目されることが好きなサラにとってはこの程度の衆目で緊張している様子のミズキの気持ちがいまいち分からない。
「〜で、左辺が◯◯になるので、展開すると……っ!」
(あ……)
ミズキと目が合う。
今朝はあれ以来話してないし教室にもいなかったので気に留めてはなかったが、この距離で目が合うなんてやはり向こうも自分のことを意識してるのだとしめしめと思うサラ。
先生や他の生徒に見えないように小さく手を振ると、まるで悍ましいものを見たかのように大きく体を震わすミズキ。
「……ひっ!?」
「? どうした志賀、気分でも悪いのか?」
「あっ、いえ、だ、大丈夫です……続けます」
惜しむらくは、その意識が恋愛じゃなくて恐怖になってしまっている点だった。
むぅ、唇と一文字に締める。
今朝のは少しやりすぎたと思うサラだった。
◯
「ミズキ〜飯食おうぜ〜」
「すまん、ちょっと俺、今日は弁当忘れてきたから!」
昼休憩の開始の鐘が鳴るとすぐに、ミズキは友達の呼びかけもよそにそそくさと教室を後にしてどこかへ消えていった。
その様子をサラは目を細めながら後を追う。
「なーんか、露骨に距離取られてる気がしないでもない」
「死ねって言っといて距離取られるも何も無いでしょうに」
「まず嫌われたかもと疑いなさいよ」
弁当をつつきながらいつもの3人で話に花を咲かせていた。
「でもなぁ、サラの挨拶でも落とせんか」
「意外にしぶとい。というか、サラがタイプの女じゃないんじゃね?」
「そんなワケないよ! どんな男子のどんな理想のタイプにも当てはまる全方位型女子だからあたし。ベン図だったら全部の円が重なってるところがあたしなワケ。それなのにあたしのことを好きにならないなんてありえないんだから」
「殲滅力高そうな兵器だわ」
「ってか、じゃあなんで怖がられてんの?」
「それは……だから、ミズキくんが度を超えたシャイだからじゃない?」
「あくまで自分には非がないと。戦国大名とかの器持ってそう」
「んー、まあでも、それは一理ありそう。女子と話すの苦手そじゃね? ミズキ」
「せっかくあたしと話せるチャンスだってのに、あーあーもったいない。宝くじで一億円当てたのに交換期限忘れたくらいもったいない」
「額はともかく、まあ実際男的にはこのチャンス逃すのはもったいないよねぇ」
「で、どうすんの? もうミズキは諦めて別の男狙うの? ……って、ああ」
ユイがそれとない助言をした時にはもうすでに、サラは顔を真っ青にして頭を抱えていた。
「ヤバ! このままあたしがあいつに話しかけなかったらあいつ一億円損することになんじゃん!? いくら関係性なかったからといってクラスメイトが黙って一億円損するところなんて見てられないよ! あたし、ちょっとあいつのところ行ってくる!」
「自分で言い出した例え話にマジになってるってマ? どの精神構造でなら起こり得るのそれ?」
「たぶん、無限に積み上がった肥大した自我で周りが見えてないんよ。こいつは」
弁当箱を丁寧に包むと、サラは足早に教室から去っていった。
◯
ミズキの場所ならすぐに見つけることができた。陰キャなら図書室にいるだろうという短絡的JK発想であたりをつけたところ、見事予想は的中することとなった。
いかにも人の目に付きにくそうな本棚に囲まれた奥の席に、彼を目撃する。
普段授業中前から見ることしかできない彼と違って、後ろから見る読書中の彼の姿はその印象をどこか変え、いつもより背筋が伸びているように思えた。
手前の学習席で参考書を広げ勉強している人たちの横を通り本棚の間を抜けてミズキの席に辿り着く。四人がけのテーブルの端にちょこんと座っているミズキに対して、サラは彼の真正面の席の椅子を静かに引いた。
図書室にくるのはサラは久しぶりだった。狂ったように来ていた中学時代とは違い、高校では休憩時間のほとんどを友人と過ごすようになった今、昔ほど訪れることはなくなったもののその親しみだけは今でもずっと残っている。
席について目の前の男の方を見やると、男は微動だにせず黙りこくって本に向かい合ったままだった。
しばらく様子を伺っていてもページを捲る動作以外、一切の動作を忘れているように見えた。彼と本との距離だけで世界を完結しているような、そんなミニマムな世界の彼は王様に見えた。
(本の虫かーい)
あたしの虫になれや。と不満の一つも漏らしたくなるサラだった。
ふと思えば自分が想像するミズキの顔はいつも困っていながら笑っている、というものだった。それがこんな顔もするのかと少々驚きを抱く。
平たく細く開かれた目が文字を追い縦に動いている。表情に感情というものは感じられず、冷たそうという印象が勝った。いつものナヨナヨしてて誰にでも優しそうといった印象のミズキとは、別人にも思えた。
さて。
少々文学少年のギャップに目を見張ったところで、サラは、この男をどうやって驚かそうか考える。
少なくともこのままでは昼休憩が終わるまで、自分の存在に気づかれそうにない。こちらからアクションを仕掛けるべきだ。
しかしここは図書室で、向こうはうぶなシャイボーイ。短絡的に気づかせたら大声で驚き周囲の衆目を集め、恥ずかしさのあまり逃走される恐れがある。
理想は一手で詰みに持っていくことだ。そのための手段はもう考えてあった。
サラは一度席を立ち、ミズキの背後に回り込んだ。
そして覚悟を決めると、ミズキの肩にぽんと手を置いた。
「何読んでんの?」
文学少年が女子から言われたり言葉ランキング1位(サラ調べ)のセリフを耳元で囁く。
びくっ、とミズキが体を震わした、その瞬間、彼の口を手で叫べないように覆う。
どれくらいの力で暴れられるか分からなかったので、できるだけ強く、絶対に邪魔されないように口に手を当てがう。
「しーっ」
人差し指を口もとにあて優しく指示するサラ。しかしミズキにはその光景は、誘拐される前の悪漢の表情にしか思えなかったことだろう。
自分に何が起こっているのか分かってないであろうミズキが涙目になりながらミズキの顔に訴えかける。
「んーっ、んーっ!」
「はいはい、落ち着いて落ち着いて。図書室ではお静かに」
「……ばっ」
とうとう無理やり口あてを払ったミズキが、死の淵を彷徨った被害者としての主張を叫んだ。
「窒息しますよ!」
「……あ、そっちのケアは考えてなかった」
なんだなんだと図書室にいる生徒が奥の席に注目し始める。
「おい、あれって咲蘭さんじゃね?」
「うおマジだ。こんな場末の図書室にも女神ってくるんだ」
「隣にいるやつ誰? たまにここで見かけたことあるけど」
大声で叫んだことにより、結局注目を浴びることになってしまった二人。慣れているサラはともかく、ミズキの方はサラが懸念してた通りのことになってしまった。
みるみるうちに赤くなっていく顔が分かりやすく、サラはそれを面白おかしく思った。
「えっ、あっ……す、すいませんすいません!」
「あ、ちょ、逃げた! あたしの一億円……むぅ。なんでこうなるのよ」
結果、今朝に続いてまたも取り逃すことになってしまったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます