第三話
朝露が校門に滴っている。水分を含んだ空気が肌に重くのしかかる。
朝も早いうちにサラは登校し、校門でミズキが来るのを待っていた。なぜこんな早くから待機しているのかというと、ミズキがいつ登校してくるか分からなかったからだ。
「男子は生き物は笑顔で『おはよう』って言えば死ぬ。カナとユイに教えてもらったけど、ほんとにそんな簡単にいくのかしら」
疑問に思いながらも内心自分でもワクワクしていることに気がつく。自分から男子にアプローチかけるというのは、昨日衝動的に起こしてしまった告白を除けば初めての体験だった。
「これローラクって言うのよねー。くくくく。罪な女。これは捕まってもしょうがないわ。保釈金はたっぷり払ってもらうからね、ミズキくん」
ニヤリと笑うサラ。その表情は毒リンゴを仕掛けた魔女を彷彿とさせた。
◯
校門で待つこと15分。ミズキが自転車を押して校門までやってきた。
朝早くに登校してくるタイプらしく、辺りにいるのはまだ2人だけだった。
(自転車通学なんだ)
そういえば自分はまだミズキのことを何一つ知らないな、と思うサラだった。
そして、いよいよミズキが自転車を押しながら近づいてきた。
(おはよう、おはよう、おはよう)
心の中で予行演習を行い、サラはミズキの前に立ちはだかった。
重たい風がサラの白い髪をたなびかせる。
さも登校の時間がかちあってしまったかのように、サラはミズキに気がついたような表情を作り、彼に微笑みかけた。
90%の元気と10%の小っ恥ずかしさをブレンドした対陰キャ殲滅兵器、「微笑」。このために昨日鏡の前で20分間練習した。押し付けがましくなく、逆に引き込まれたくなるような吸引力のある笑顔。これを食らった男子に生存の道は残ってない確信をサラは持った。
「ミズキくん、おはよう」
湿気で跳ねる髪を押さえながら、必殺の呪文を唱えた。
「あ、おはようサラさん」
堅牢と思われた戦線はいとも容易く崩壊した。
ミズキはサラに会釈をして、スタスタとその横を通り過ぎていった。
「……? あ、ちょっと待ってミズキくん」
「はい?」
サラの方を振り返るミズキ。自分がなぜ呼び止められたのかミズキには分かってないようである。
「おはよう」
「えつ、えっ? ……あ、おはようございます」
「???」
カナとユイ曰く、『男子なんて可愛いカンジでおはよって声かけたらイチコロっしょ』とのことである。
今のミズキがイチコロかどうかは議論するまでもなく、生きていると言っていい。
「おはよう、おはよう、おはよう!」
「えっ、あっ、えっ、あっ、……お、おはようございます」
「おはよう、ミズキくん」
「……あ、あはは、なんですかこれ? 挨拶運動?」
「お・は・よ・う!」
「お、おはようございます!」
声量の問題と勘違いしたミズキが大声で返してくる。
サラの頭の中に『???』と疑問が渦巻いていく。
「死ねよ!」
「ええええ!?」
突然の罵倒に驚愕したミズキが狼狽する。
サラの予定ではこんなふうになるはずでは無かった。
シミュレーションでは挨拶した時点で腰砕けになったミズキが、頭を突いて自分との交際を申し込んでくるのをしぶしぶ承諾する予定だった。それがどうだ、目の前のミズキはピンピンしておりまるで狼狽える様子が無い。いや、最後の罵倒で驚きはしているが。
「えっ、あっ、えっ、あっ、その、サラさん何か気に障るようなことでもありました……?」
「あるわよ! 今まさに! あんたにされてんのよ!」
「お、俺にですか!? あ、挨拶しただけでは……?」
狼狽えるミズキにじり、じりとにじり寄る。ミズキは困ったような笑顔を浮かべて、片方の手でサラを遮る。
「おっかしいわねー。なんであたしの『おはよう』が利かないのよ。めっちゃ雰囲気作って声も可愛くして言ったのに。ちょっと待ってもっかい試させて? ん゙ん゙っ! 『おはよう』」
サラは顔を近づけて再び言い放つ。
ハートマークが三つ分くらい濃縮されているような甘ったるいおはよう。そんな挨拶を至近距離から喰らってもなお、ミズキはやはり困ったような笑顔を浮かべたまま返事をする。
「あっ、えっ、あっ、はい。あの、おはようございます」
そこにクラスメイトから挨拶された以上の反応は見出せなかった。もちろん、何度も挨拶されるという稀有な状態に戸惑ってはいるものの、ここでもはやりミズキは、サラに対して腰砕け的な、彼女の言うイチコロには程遠かった。
「やっぱり死なない」
「あの、さっきからどうされました? 死ぬとか死なないとか、朝から物騒な単語が聞こえてくるんですが……?」
「あんたを殺そうと思ってたのよ」(恋愛的な意味で)
「お、俺を殺そうと思ってた!?」(物理的な意味で)
「そうなの。こんっなあたしみたいな世界で1番可愛い女の子に挨拶されて死なない男なんているはずがないのに、それなのにあんたが何回挨拶しても全然手応えがないからこっちは『あれ、もしかしてミズキくんって心のないロボット?』って疑い始めてんの。……って、ミズキくん?」
ミズキの方を見やると、困ったような笑顔の額に汗がダラダラと流れており、体をぶるぶると震わせ逃げ場の無くなった被食動物のように小さくなっていた。
「うっ、うおおおお!」
「わっ、ミズキくん!?」
男子にしては高い可愛らしい叫び声をあげながら、ミズキは自転車に跨ってその場から逃げるようにペダルを踏み締めた。
「なんでもするんで俺のことは殺さないでくださーい!」
「ちょっ……ってあれ、あたし殺すってそのまま言ってた?」
駐輪場へと去っていく自転車を見送り、自分の勘違いに気がついたサラはせっかく朝早くから待ってたのにと息をついた。
当初の目的は達成できなかった。しかし、なんとなくサラは、この朝の出来事を思い出してふっと笑う。
「『ころさないでくださーい!』 だって。なっさけないの。くくくくく」
籠絡はできなかったが、ある意味腰砕けにはさせることができたということで。
サラは満足したように鼻歌を歌いながら教室へと歩いていった。
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