第44話 山の上の宮殿にて

 石の広間、エズラはひとり王座に座っていた。白いハンサムな顔には眉間に深いしわが寄っている。額に手を当て、何か聞き取れないような言葉を独りごちていたのだ。

 広間は静寂が支配している。曇天の日、部屋は暗かった。まるでどこにも行き場のないような、そんな気配がする。


 幼い子どもの日々を回想した。あのころ、一筋の光もない暗闇の中にいた。父に殺されるか、殴られるだけの日々が続くと信じていたのだ。実際には殺されたのは父で、手を下したのは自分だったが。領主の父を殺し、民衆の敵にして圧政者のエイダ王を殺して自らが王となった。美しい娘を妻とし、国を支配した。多くを破壊し、大勢を虐殺した。物珍しい生き物、人魚を殺しもした。妻が嫌がったから。王となった自分は幸せだった。何よりも、あの無垢で美しい人魚の鱗を短剣で一つ一つ削ぎ落として、ゆっくりと殺してゆくのが最高だったのだ。リリィを犯すのもよかった。フラニーを鞭で殴り、言うことを聞くまで辱めるのも気分がよかった。世界は自分の思い通りに動いていたのだ。


 だがすべては終わった。崩れ去った。

冷たい広間でひとり頭を抱え、王冠の重さに頭痛がしている。自分は孤独だった。あの無情なエル城の峰と石門から敗走したのだ。


 悲観的すぎるのではないか。そんな考えが頭をもたげる。悲観的になるなどエズラらしくない。エズラはにやりと歪んだ笑みを浮かべ、玉座から立ち上がった。


 衣擦れの音がして、妹が入ってくる。白いドレスを着ていた。亜麻色のやわらかな髪に、むき出しの白い足首。

フラニーはおもねるように兄を見て、微笑んだ。

「疲れてるのね」

 妹が言う。

 フラニーは兄に対して、王に対して従順になった、と思った。以前は反抗的な目でこちらを睨んで、生意気な口をきいたものだ。エズラのしつけあって、フラニーはすっかり従順な娘に仕上がった。

「宮殿に帰っていたのだな」

 エズラがそう言ってフラニーの顔に触れる。

「ええ、お兄さまのためよ」


「メアリーは?ここを治めているはずだったが」

 彼が不審に思ってたずねた。


「逃げたわ。奴隷たちが反乱を起こしたの。ペレアスは?いつもお兄様と一緒にいるでしょ?」


「奴とははぐれた。リシャールはどこだ?」


「安全なところよ。連れてきてないわ」

 フラニーが静かにこたえる。


 リシャールは宮殿にいるよりもフラニーと娘の領地にいる方が安全だ。宮殿には暴動を起こした奴隷やレネーの軍隊がやってくるだろう。


 エズラに逃げ道はなかった。


「息子は無事なんだな?」

 彼が念を押す。


「ええ。娘の命にかけて誓うわ」

 フラニーが真剣な様子で言った。


 エズラは執念にもえる瞳を冷たい床に向けていた。彼は追い詰められ、居城にまで敗走してきていたが、再起の夢を捨てていなかったのだ。


「まだレネーに降伏などしなくてよい」

 低い声でつぶやく。


 目はギラギラとして、狂気が宿っていた。まるで冬の飢えた獣みたい。


「リリィはレネーのもとへ戻ったわ」

 フラニーが言う。


「あの恩知らずな女は殺してやろう。だが、その前にレネーを殺してやらねば」


「お兄様ならそうするでしょうね、きっと。でも、何か食べて寝ないと。目が赤くなってるわ。どうか私のお節介に気分を悪くしないで。目が赤くなってるわ」

 フラニーが心配そうな顔をして言った。


 エズラは妹の言葉にしたがって、赤いスープをのんだ。そして、そのまま眠ってしまったのだ。幼い子どものように。


 フラニーはやっと安堵できた。兄の恐ろしい目はもう開いていない。


 日暮れどきにペレアスがやってきた。フラニーが食事をしているところに飛び込んでくる。


「陛下に何をしたんだ?」

 ペレアスが目を怒らせてたずねた。護衛がいなければ、剣をぬいてフラニーに飛びかかっていたかもしれない。


「兄は地下室にいるわ」

 フラニーは優雅に食事をすすめながら言った。


「あなたにそんな権利はない。この裏切り者の売春婦が。王を殺してこの国の支配者にでもなるつもりか?」

 ぺレアスがきれいな顔をゆがめて言う。


「それもいいかもしれないわ。でもね、ペレアス、あなただってエズラに忠実だったことはないでしょ。メアリー=ジェインと寝ていたんだから」


 彼は拳をにぎりしめて、殺してやる、とつぶやいた。


「衛兵、彼を拘束して」

 フラニーが命令する。


 ペレアスはもがいたが、無駄だった。もともと彼は優美な感じの青年で、腕力は大してないのだ。むろんメアリーやエズラに抱かれるには申し分ないのだが。


「ペレアス、全然わかってないのね。奴隷制の甘い蜜を吸ってきた、美しいあなたを守れるのは私だけなのに。民衆は喜んであなたを八つ裂きにするわよ。リリィやレネーだって、情けなんかかけない」


 フラニーはペレアスを嫌いではなかった。だが、冷酷な青年だ。政治はどうでもいいが、権力には執着する。民などに関心ないが、政敵の顔だけは忘れない。


「何が望みだ?」

 ペレアスがもがきながら叫ぶ。


「私の望みはあなたには関係ないわ」


 彼は牢獄に連行された。

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