第33話 呪いの病

 夜は夏だというのに肌寒かった。広間には咳き込む音や赤ん坊の泣き声がしている。


 リリィとメアリーは手燭てしょくを持って夜の大広間を見回っていた。エイダ軍に城を包囲され、再び避難民が押し寄せてきたのだ。



「エズラは私がいないって言ってもこの城から立ち去らないわ。すべて破壊つくすまで」

 リリィが広間の近くの小部屋に入って言う。


「あなたがいようといまいと同じことよ」

 メアリーがキッパリと言った。


「そんなことないわ。私が出ていけば彼の気もすむ。エズラは慈悲をしめすはずよ、彼なりの慈悲を」


「彼なりの慈悲?村を焼き払って子どもたちを奴隷にすることが?リリィ、あなたが今犠牲をはらって自由を手放せば、エル城の人の命は救えるかもしれない。でもそうすればイリヤの民の誇りは失われるわ。あの人たちはさらに勢いをまして、イリヤの民はエイダ人に蹂躙じゅうりんされることになるのよ」



 メアリーにはエズラの交渉に応じる気はなかった。心配なのはハーバートである。城主の彼にはリリィを敵側に差し出すこともできるのだ。


 寝室を出ると廊下にはとこが立っていた。


「カーティスをてやってほしい」

 驚くメアリーにハーバートが告げる。切羽詰せっぱつまった様子だ。


「あなたの弟を?でも帝都から医者を呼んでいたでしょう?」

 メアリーが言う。


 気が進まなかった。一目見ただけでカーティスの寿命がながくないことがわかっていた。メアリーが治療にあたったところで、もう手の施しようがないかもしれない。ハーバートを失望させたくなかった。彼は弟を深く愛している。


「帝都の医者はてきとうなことを言っただけで帰っていったよ。だめだったんだ。でもメアリー、君ならなんとかしてやれるかもしれない。君は魔女だろ。帝都の医者よりも賢いはずだ」

 ハーバートは諦めなかった。


「ハーブ、あなたの弟は重い病にかかっているのよ。下手に手を出せば、悪化させるかもしれない。そんな責任はおえないわ」

 メアリーが説得しようとする。


「弟のためにここまで来たんだ。治療を諦めるわけにはいかない。メアリー、弟のためなら何だってできるんだ」



 じっとはとこの顔を見据えた。弟のためならなんだってやる……。

「カーティスは大人になる前に死ぬわ。確実にね。それでも私に診てほしい?」


 ハーバートは瞬きした。瞳が少しだけうるんで見える。

「診てほしい。最後まで希望を捨てたくないんだ」


「わかった、診るわ。でも一つ条件があるの」

 メアリーが言った。

 

 ハーバートが熱心に先をうながす。


「リリィをエズラに差し出さないで。たとえこの城が粉々に吹き飛ばされてもよ」

 メアリーはゆっくりと言った。


「わかった。約束するよ。何があっても姫君を守る」



 ハーバートの言質げんちをえても、なんだか気分がすっきりとしなかった。愛する弟を治そうと必死な男の気持ちを利用したのだ。カーティスにはもう希望など残されていないのに。


 それでも後悔はなかった。エズラには妥協することなしに勝利しなければならない。



 カーティスは車椅子に乗っておもちゃの兵隊と遊んでいた。メアリーがあげたものだ。部屋に入っても夢中で気づく様子はない。


「カーティス?おはよう」

 優しく言う。


 カーティスが振り向いた。小さく、りんごのように真っ赤な顔、抜け落ちた髪、きらきらと光る切なげな瞳。


 挨拶をかえすと、何度か咳き込んだ。喉の奥から光る粉が出てきて、宙をまう。


「メアリーおばさん?来てくれたんだね。一緒に遊んでくれるの?」

 カーティスが期待に満ちた目で言った。


「あなたの病気を見にきたの。調子はどう?」

 メアリーが隣に立ってきく。


「相変わらずだよ。ねえ、僕は死ぬの?皇帝おつきのお医者さんは、月夜にカエルを沈めたお風呂に入ればよくなるって言ったけど、全然効果ないよ。ハーブ兄さんだって疲れ切ってる。そこのベッドの横でこっそり泣いたりしてね。ぼくはもうすぐ死ぬんでしょう?」


 カーティスがきれいな瞳でそんなことを言うから胸が痛くなった。

 どう答えてやればいいのかわからない。ごく若いとしで無垢なまま死んでゆくことが、おぞましい悲劇だということをこの子は知らないのだ。幼すぎて、あまりに純粋でわからないのだ。


「あなたはまだ死なないわ」

 口がひとりでに動いて嘘をついていた。

「ハーバートがあなたをあんなにも愛してるんですもの。死んじゃだめよ」


 部屋にはきらきらと、七色に光る粉が宙に舞っていた。美しい光景だ。けれど、恐ろしい病だった。

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