第34話 姫君のために
また、あの
シビルの歌声、人魚の
ベッドの上で
「リリィ!朝よ。ご飯を食べましょう」
メアリーの声が聞こえてきて目が覚める。よかった。あれは夢の中の出来事で、もう現実ではないのだ。エズラに監禁されてはいないし、
「リリィ、早く起きないと!エズラが城壁の外で待ってるのよ。おちおちしてられないわ」
メアリーのきつい声がとんでくる。
ハッとして身を起こした。エズラはすぐ近くにいるのだ。リリィだけでなく、リリィの大切な人たちを傷つけようとしている……
エル城の城壁がとても薄く思えた。
「トマス卿と話したいわ」
リリィが起きぬけの顔で言う。
「武器庫にいるはずよ。でもその前に二人で何か食べましょう。私があなたと話したいから」
思わずうなだれそうになった。メアリーはお説教がしたいのだ。
「いいわ。でも着替えないと」
リリィがのろのろしながら言う。
「着替えなら手伝うわ。昔は私の仕事だったでしょう?」
メアリーはリリィが断るもなく着替えに取りかかった。
ガウンはつやつやとしたサテン生地の
「この戦時にダイヤモンドの首飾りなんて、立派な貴婦人だこと」
リリィが心配になって言った。
メアリーはごく地味な木綿のドレスを着ていて宝石も身につけていない。
「今日はエズラに会うのよ。立派な格好をしていないと」
「メアリー、あなたが何を
リリィはそう言うと我が身を恥じるかのように目を伏せた。
朝食は黒パンと羊肉のスープ、熟したトマトに塩をひとふりしたものだ。トマトと水以外、喉を通りそうにない。コルセットのせいで息苦しかった。
「あなた一人でエズラに会うわけじゃないわ。私やハーバートだっているの。エズラはあなたに触れられやしない。怖がる理由なんてない。皆の前でそう示すのよ」
メアリーがたきつけようと熱心に言う。
ハーバートは武器庫で剣の選別をしていた。鉄のさびた匂いがする。
「トマス卿、ここにいたんですね」
リリィはちょっととぼけて言った。ためらいがちに入り口のところに立って。
「リリィ様。お話があるんですか?」
ハーバートが手に取った武器を置いて言う。
「ええ」
リリィはソワソワと後ろ手に扉を閉めた。
「私をエズラに引き渡してほしいのよ。メアリーは反対するわ。でも、お願いよ、自分のせいで多くの人が犠牲になるなんて……。私には耐えられない」
「姫君、それはできません。この戦争はあなたのために始めたものでもあるし、あなたが愛する民のためのものでもあるんです。姫君がエズラのもとに戻れば、イリヤ人を失望させ、この戦争の意味はなくなります」
ハーバートが言う。
「そんな話ではないわ。私のような目にあった人なら大勢いるでしょう。そういう人たちのために戦うんですもの。でも、あなたはわかってないのよ。エズラは私が要求をのまなければ少しずつイリヤを殺してゆく。村や城を焼き払って、命をもてあそんで。殺しや破壊を楽しんでるのよ。
タチアナ・ヤールの
エズラは私が人魚と話すのを面白がっていたわ。それで一日ごとに人魚を殺して、その死体を部屋の前においておくの。彼が人魚を霊廟の中で追い回していて、最後の
「イリヤが負けると思っているのですか?」
ハーバートが慎重に言った。傷ついたリリィをいたわるような、それでいて厳しい声つきだ。
「姫君は
両軍の兵士たちが見守る中、跳ね橋の上に立った。エズラが巨大な軍馬に乗ってこちらにやってくる。リリィは静かな
彼に聞く耳はない。せせら笑うようにこちらを見ていた。後ろを振り返り、部下に命令する。少年が両わきを抱えられて連れてこられた。ぐったりと怯えたような目をしている。見覚えのある少年だった。アレックスにつかえ、ジョンの手紙を運んだ少年。彼がエイダ軍に捕まり、リリィの居場所が知れるようになったのだ。
「今たわごとを言うのをやめて、俺のもとに戻ってきたら、この少年の命を助けてやろう」
エズラが言った。
「その子を殺しても意味ない。私の決断は変わりません」
リリィが静かに言う。
「冷たい女だ。殺せ」
彼の命令で少年は絶命した。喉から血がほとばしり、咳き込んでいる。
エズラは去っていった。橋の上に血を流す少年を残して。
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