第15話 特別な人

 メアリーは城壁内の高級宿に泊まっていた。下町の喧騒けんそうと避難民たちの不安そうな面持おももちから離れて、女友達の部屋は静かだった。


「ビリーが案内してくれたの」

 リリィが廊下のビリーを振り返って言う。


「話があって来たのね。扉を閉めて。ビリーとは違う部屋に泊まっているわ」

 メアリーがハンカチを脇の机に置いて言った。どうやら刺繍ししゅうを入れていたらしい。


「あなたが魔女だって噂が広がってるって」

 リリィが切り出した。


「ええ、石で殺されそうになったわ。でも問題は石を投げてくる群衆なんかじゃないの。母は、私が帝都に来るのをいやがってる。皇妃に嫌われたら宮廷には近づかないでいるのが賢明よ」


「何かの誤解だわ。アビゲイルがあなたを疑うなんてどうにかしてる」


 メアリーは皮肉な笑みを浮かべて、木の道具箱にコルクの栓のついた瓶をしまいだした。


「ビリーはあなたを国外に連れ出したがっているわ」

 リリィが心配そうな顔をして言う。


「少し前までは私もそう考えていたわ。それでも、イリヤを出たくない。私は魔女よ。役に立てるわ。ここの人たちを見捨てたくないの。ここの土地も」



「それで、王女を救い出したのかい?」

 魔女が大釜おおがまに薬品を投げ入れて言う。


 メアリーは顔をしかめた。大釜から青色の湯気が出ている。どうしてこの魔女はほとんど直角に曲がった腰を、魔法で治そうとしないのだろうか。


「リリィは王女じゃないわ。それに彼女を連れ出したのはヘンリー・トンプソンよ。ヘレナに仕えていた。今はエズラに仕えている。リリィは彼のことを命の恩人だと言ってるけれど、そうは思えない」


「トンプソンがエズラを見限ったと?単なる王女の愛人だろうさ」

 魔女がせせら笑いながら言う。


「リリィは皇帝の妹よ」

 メアリーがぴしりと言った。


「いや、違うね。洞窟の中で見たものを忘れたのかい?あの子はリチャードの子じゃなかった。今の皇帝とは一滴も血がつながっていないんだよ」


「あの記憶はあなたがゆがめたのよ。あなたは人を混乱させて不愉快な気分にさせるのが好きだから。リリィが人魚の王国の王女だなんて言わせないわ」

 メアリーがすっかり苛立って言う。


「残念だけど、これは嘘じゃないね。あの子はリチャードの子どもではないし、アレックスと血を分けたこともない。リリィには皇帝の妹でいるよりも、もっと大切な役割がある。あの子の血は特別なのさ。血の力は重荷になるだろう。だが、間違いなく偉大なことを成し遂げる……あの子は私たちの希望だよ」


「たわごとね」

 メアリーが低い声で魔女の話をさえぎる。「あなたは予言者じゃない。助言がほしいの」


 魔女にからかわれに来たわけじゃない。エル城近くで出た不可解な襲撃しゅうげきの謎をなんとかしたかったのだ。例の「踊りながら死ぬ」男のことである。魔女は特になにも助言をくれなかった。まるで知らないという。


「忘れるんじゃないよ。リリィは特別な娘だ。いつか私に頼ってくるだろう」

 魔女が小屋から出ていこうとするメアリーに言う。


 メアリーは魔女の言葉を無視して外に飛び出した。


「まるっきり駄目だったわ!あの名無しさん、すっかり頭が狂っちゃったのよ」

 メアリーがビリーに向かって言う。


 彼は草をちぎって長靴をみがいていた。メアリーが近くにやってくる。まぶしそうに彼女を見上げた。


「聴こえてるぜ」

 ビリーが肩をすくめて言う。


「いいわよ。きっと何遍なんべんもそう言われてきたんだから!トゥーリーンも弟子を辞めるわけね!」




 その頃、皇帝の書斎では男たちが顔をつき合わせて話しあっていた。


「まるで不可解だ。5年続いていた平和がエイダ人によって破られるとは。エズラは使者もよこさなかった」

 テリー公が難しい顔をして言う。


「それがあの男のやり方だ。理由なんてない。兵力が集まった。さて、戦争しよう、といったところだろう」

 ジョン・トルナドーレが腕を組んで言った。


「こちらから使者を送るべきだろう。斥候せっこうの情報ではまだ、エズラは進軍を始めていないそうだ。帝都まで来るのを待つべきか?だが、村が焼き払われるのを見過ごすのも賢明とは言えない」

 アレックスはのろのろとしゃべる。


 彼にはエズラがなぜ侵略を始めたのかわかっていた。リリィが逃げ出したのだ。あのいかれた男は妻が自分に従わないでいるのを許すはずがない。まったく、リリィも災難な男に関わり合ったものだ。


「城内で待つべきです。イリヤ城は絶対に陥落かんらくしない」

 テリー公が意見する。


「迎え撃つべきだ。戦争には勝てても、土地が荒廃し、民が虐殺されるままにしていたら意味がない」

 ジョンも負けていない。


「奴らを迎え撃ってやろう。もっと前に戦争を始めておくべきだったんだ。エイダには大勢の奴隷がいる。イリヤから誘拐された者もだ。使者を送って、どこで迎え撃つか、戦略を練ろう」

 アレックスは決断した。


「しかし陛下、エズラとの戦争は避けるべきだ。勝利を手にする保証はない」

 テリー公が雄弁をふるおうとする。


「わかってる。だが、下衆げすな輩に妥協するつもりもない」

 アレックスがイライラしながら言った。


「恐れながら陛下、愚かな決断です。妹君の犠牲……」


 皇帝はなおも反論しようとするテリー公を手を上げて制した。

「リリィは渡すつもりはない。皇帝の妹がエイダの野蛮人どもの奴隷とはな。これはリリィに対する侮辱だけではすまない。私への侮辱でもあるのだぞ」

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