第14話 思い出の城

 マントを脱いで寝台に腰かけると、自然と頬がゆるんだ。赤い絨毯じゅうたんも鏡台も、寝室の窓から見える景色も何もかも昔のままだ。花の咲き乱れる中庭に噴水、歩廊の上を歩く衛兵たち、〈皇帝の宮〉の赤い壁。


「あなたのために、部屋をそのままにしておいたの」

 皇妃が部屋に入ってきて言う。


 アビゲイルは疲れた顔をしていた。顔は黄色っぽく、くまが浮かび、長いまっすぐな赤毛もいつもより色褪せて見える。


 とはいえ、リリィが戻ってきて嬉しそうだった。乳母として誰よりもリリィを気にかけていたのだ。


「アビゲイル、嬉しいわ」

 リリィがアビゲイルを抱きしめて言う。

「ここで皇女として暮らしていた頃が懐かしいわ。アレックスやジョンはうるわしき花婿候補だったし、メアリーにはたくさん恋人がいて、おてんば娘だった。父も生きていて……」


「そして、あなたはイリヤ中の誰よりもきれいなだった」

 皇妃がそう言って微笑む。


「時々、この城から出るべきじゃなかったと思うのよ。そうすれば父が死ぬことも、戦争が起こって多くの人が犠牲になることもなかった。そうすれば、あんなつらい思いをすることだって……」


 だが現実ではリリィはイリヤ城を去り、レネーと結婚し、エズラの妻となった。戦争は防げず、もはやイリヤの皇女でもない。


「ええ、あなたをずっとこの城にいさせてやりたかったわ」

 アビゲイルが優しい目をして言う。


 リリィは22歳。もう子どもではなかった。だが、もうこの城を離れたいとは思わない。エイダに行ってイリヤを愛してることがわかった。断崖も、人魚の伝説も子守唄も、いとおしく、片時かたときも頭を離れたことがない。


「きっと、ここで暮らしていけるわ。アレックスやイリヤ人のために役に立ちたいの。もちろん、貴女あなたのためにも」


 イリヤの人たちの生活を豊かにしたかった。そして、リリィも経験したような、虐待や暴力が起こらないよう。


「イネス、いらっしゃい。皇帝陛下の義妹いもうとですよ」


 金髪の少女がうつむいて立っていた。ビリーが村から連れてきた少女だ。


「もう知っているわ。イネスは大変な目に遭ったのでしょうね。じゃあ、あなたの侍女に……?」

 リリィがイネスを見やって言う。


「ええ、アレックスがちょうど良いだろうって言うの。それにしても……」

 アビゲイルはそう言って言葉を切った。


 イネスは窓際まどぎわに駆け寄って、ふらりと外の景色を眺めていた。くるりくるりと波打つ黄金色こがねいろの髪が、風に揺れて美しい。昔のメアリーを思い出した。彼女もちょうどイネスと同じくらいの年には、こういう見事な金髪だったのだ。


「イネスは養女みたいね。農民の子がお城で育てられるなんて」

 リリィがアビゲイルにささやく。


「父は村長でした」

 イネスが消え入りそうな声で言った。

「でもエイダ人たちがやってきた時は武器をとって勇敢に戦ったわ。そのせいで殺されてしまったけれど。でもかまわない。エイダ人たちは最初から父を殺すつもりだった。黙って村が焼かれるのを見ているなんて」



 メアリーを探すには苦労した。〈皇妃の館〉にはどうやら泊まっていないらしい。中庭で皇妃と立ち話をするビリーが見える。リリィに気づくと、ビリーは話を切り上げてこちらにやってきた。


「メアリーの姿が見当たらないの」

 リリィが言う。


市門しもんの中の宿屋にいるはずです。何か用事があるんですね?」

 ビリーがちょっと親しげな様子で聞いた。


「ええ。あなたはメアリーと親しいの?なんていうか……まるで護衛みたいね」


「当たらずとも遠からず、です。生まれた瞬間からなきトマス卿につかえてきました。彼女はもうエル城の城主ではないけれど、ハーバートに仕える気はない。娘のメアリーにつかえます」

 ビリーが朗らかな感じで言った。


「あなたってメアリーを大切に思っているのね。でもどうしてメアリーはアビゲイルに会わないのかしら?宿屋を探して泊まるなんて、自分の母親を避けてるみたいよ」


 リリィはメアリーが魔女と呼ばれていることも、アビゲイルがタイロンの死を娘のせいにしたことも、そもそもタイロンが生まれていたことも知らなかったのだ。


 ビリーは気まずそうな顔をした。女主人に不本意ながら同情しているような。

「皇妃はメアリーを疑っておられる。魔女だと、そして自分の息子の命を奪ったのは彼女だと」


「魔女なのは本当よ。あなただって、きっと知っているでしょ。でもメアリーは自分の弟を殺したりしない」

 リリィが驚いて言う。


 アビゲイルはずっと優しかった。昔からメアリーとの親子仲は悪かったが、それでも娘のことは愛していたはずだ。


 リリィにはわからなかったのだ。メアリーはいまだにアレックスの目をひく。プラトニックを貫いていても、二人の間には色っぽい何かがある。恋のライバルへの感情が認識をゆがめたとて、不自然なことではない。


「姫君、メアリーは帝都にいては危険です。一度群衆に石打ちで殺されかけました。俺が止めなかったら命はなかったでしょう」


「でも、戦争の起こりそうな今、帝都を出ても危険ではないかしら」

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