第4話 石打ち

 メアリーは宮廷人たちの悪意をよそに、そそくさと私室に戻った。侍女のジゼルが何も言わずに迎えてくれる。何が起こったのか知っているのだ。


 重たいダイヤモンドの首飾りをはずし、力なく寝台の上に座った。


「タイロンは、弟は死んだの?」

 かすれた声で聞く。


「はい、お嬢さま。お嬢さまが席を外してからすぐにタイロン様の体調に異変が起こったそうで。皇妃さまは悲しくて疲れてらっしゃるんです。それであなたを魔女だと……」

 

 メアリーはかぶりを振った。息が苦しい。


「私は弟を殺してないわ。母を憎んでもいない」


「わかっていますよ、メアリーさま。十分わかっております」

 ジゼルががらにもなく、優しい口調で言う。



 灰色の小さい手指。黒ずんだ皮膚。開かぬ目。


 アレックスが抱いたときには赤ん坊の体は冷たくなっていた。深い悲しみが胸を襲う。何度も我が子をかき抱いた。だが、失われた命は二度と戻ってこない。


 皇妃アビゲイルは目を真っ赤にして、宙を見つめていた。もう流す涙もないらしい。


「アレックス、メアリーが私たちの子どもに何かやったのよ。あの子は魔女だわ。前にも言ったでしょ?」

 アビゲイルが蚊の鳴くような声で言う。


 アレックスはちらりと妻の方を見ると、ありえない、と首をふった。

「メアリーは昔から知っている。義妹いもうとのリリィとは親友だった。そんなことするわけない」


「あの子が美人だからそう言うのね。私はメアリーの母親よ。あの子が夜中にどこに行くか知っている。魔女のすむ小島よ。あの子は私も弟も憎かったの。私が幼いあの子を愛さなかったから。今だって愛してないわ……だって私、自分の娘が恐ろしいの」



 皇帝の書斎に呼び出されたメアリーは黒い喪服もふくに身を包んでいた。蒼ざめた顔をしている。道すがら、この喪服でさえわざとらしいと陰口を言われたものだ。

 それでもうつむいた顔のまぶたの感じが色っぽかつた。


「タイロンのことは何も言わないでくれ」

アレックスが口を開く。

「君が心から悲しんでくれているのはわかっている。でも僕の方で心の整理がついていない。

言っておくが君のことは疑っていないんだ。君が血のつながった弟を殺すなんて。メアリー、君のことは幼いころから知っている。金髪にしようとして魔女のところに行ったことがあるね。あれはたしか君が9歳の時だった」


 要するにアレックスは魔女との付き合いをやめるよう警告したかったのだ。

 人にけさせてメアリーが小島に住む魔女のところに通っていることはわかった。だが、皇帝はメアリー自身が魔女だとは疑ってみようとはしなかった。

 メアリーが魔女だとわかれば処刑しなければならない。魔女は邪悪なものだと信じられていたのだ。


「悪いけれど、魔女と会うのはやめられないわ。私も魔女も何も悪いことをしていない。みんな迷信よ」

 メアリーが言う。


「メアリー、そういう問題じゃない。宮廷の人たちが実際に君を疑っているんだ。それに、君と僕と関係も怪しんでいる人がいる。もし君が糾弾きゅうだんされたら僕は守ってあげられない。だから魔女のところには行くな」

 アレックスが説得しようとした。


「いいえ、そんなことはできない。私が魔女なの。これが私の生き方よ。変えることなんてできない」

 

 アレックスは一瞬ひるんで言葉を失った。



 メアリーは逃げるようにしてイリヤ城から下町へとさまよい歩いた。夕闇の中、裸足の子どもが花を売り歩いている。


 7年前、魔女になったのは自由が欲しかったからだ。愛してもいない男と結婚したくなかった。


 砂糖菓子のお店の前に立っていると、太鼓腹たいこばらの店主がにらんでいるのに気づいた。驚いて後ずさりする。


「魔女だ!俺たちの皇太子様を殺したんだ!」

 どこからともなく男の怒号どごうがとんでくる。


 振り向いて声の主を探した。と、同時に石がとんできてひたいにあたる。


「殺してしまえ!魔女だ!」

 男が叫ぶ。

 周りに野次馬やじうまがやってきて口々に、「やってしまえ」と大声を出した。


 次々に、石や腐った果物がとんできた。頭をかばって、どうか石を投げないで、とあわれっぽい声を出す。

 群衆ぐんしゅう無慈悲むじひだった。石打ちに熱中していた。その上、群衆の中の誰一人として自分たちが何をしているのか理解していないのだ。


「やめろ!やめるんだ!一人で歩いてる女性に、よくもそんな恥知らずなことができたな!」


 男の声がした。少しだけ石の勢いが弱まる。メアリーは顔を上げて男を見た。中肉中背の若い男だ。鋭い光をたたえた目で野次馬たちをねめつけている。

 ビリーだった。メアリーの近くにやってきて手を貸し、野蛮な悪意に満ちた群衆の中から連れ出してくれる。


 彼はほとんど抱きかかえるようにして泊まっている宿屋まで連れていってくれた。ベッドに座らせ、傷口に軟膏なんこうを塗ってくれる。


「君は赤ん坊殺しじゃない。でも帝都にいては危ない」


「なんて人たちなの。なんて無責任な!なんて野蛮な……」

 メアリーは泣きそうになりながら言った。悔しかった。ショックだった。


 ビリーがメアリーを抱きしめる。メアリーは彼の胸の中に安全なところを探そうとした。


「小島の魔女のところに行くわ。でも今日だけはここに泊めて」


 彼は傷ついて疲れ切ったメアリーの願いを断らなかった。


 ビリーとは長い付き合いだ。父が生前、メアリーの護衛ごえいに任命してくれた。リー・トマスの死後もビリーは傭兵ようへいとして帝国につかえながらもメアリーの友だちでいてくれた。

 彼がいてよかった、と思う。そうでなければ、ひとりぼっちのままだっただろうから。そうでなければ、今日死んでいただろうから。

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