「吏部、礼部、工部、ですか」

「ガッツリ御三方とも、直近で献上品を出してますねぇ」

「香、杯、茶」


 暗く人気ひとけがない空間にいるせいか、普段よりも三つ子侍女の声がよく通るような気がした。


 王宮の宝物庫。その片隅に位置する献上品の一時保管場所に、今日は春華しゅんかと三つ子侍女が勢揃いしている。


 ちなみに本日の一行の格好は、白い袍に妖魔の形相に似た紋様が入った面紗という下級宮廷術師の物だ。礼部には宮廷祭祀を執り行うために術師も所属しているのだという。『同じ顔がみっつもある』という強すぎる特徴を隠して全員で王宮に乗り込むために、急遽桃桃トウトウが調達してきたらしい。


 ──桃桃って、一体どんな伝手つてを持っているのかしら?


 昨日春華と杏杏シンシンが着ていた下級文官の装束ならばまだしも、術師の装束などそうそう手に入る物ではないはずなのだが。


「その三点の中で毒を仕込みやすいのは、直接口に含むお茶ですかねぇ?」

「香も焚き上げて嗅がせる、部屋に充満させる、という意味では、毒殺向きかと思いますが」


 厳重に施錠されている宝物庫の扉をいともたやすく開き、難なく春華を宝物庫に導いた三つ子侍女達は、面紗を剥ぎ取ると手早く調査を開始していた。いつの間にか桃桃は目録をめくっているし、梅梅メイメイと杏杏は積み上げられた箱を検分してはそれらしき包みに目星をつけていく。


 役割分担を相談していた気配はなかったのに、宝物庫に足を踏み込んだ瞬間から三人はテキパキと迷いなく動き始めていた。美しささえ感じる無駄のなさに、春華は思わずポカンと見入ってしまう。


 ──それにしても、妙に手慣れてるわね。


 有竣ゆうしゅんから春華の世話を任された三つ子だ。やはり『ただの侍女』ではないのだろう。


「これ」


 そんなことを思っている間に、杏杏が小さな包みをみっつ抱えて戻ってきた。ハッと我に返った春華は、雑念を追い払うと杏杏の手元に意識を集中させる。


「大きさも、包みの色も、控えとドンピシャ。仕分け札の書付も一致。間違いなさそうですねぇ」


 作業台の上に杏杏が並べた包みを検分した桃桃が首肯する。


 桃桃が見つけた献上品の一時控えの書付によれば、吏部尚書から香が、礼部尚書から杯が、工部尚書から茶葉が、それぞれ三日前に献上品として納められたという。名目は三人とも今回の雲上うんじょう御前ごぜん会議で緑衣袍を賜ったことへの礼となっているらしい。時期も名目も品も妥当なもので、書付を見ただけでは特にどれも違和感はない、というのが今のところの桃桃の見解だった。


「案外小さくて、外見もごくごく普通の手土産みたいね」


 作業台に並べられたみっつの包みを眺めた春華は素直な感想を呟く。そんな春華に桃桃と梅梅が答えた。


「献策を取り上げていただいたお礼ですからねぇ。そこまで改まった感じにはしないんですよぉ。あたし達みたいな庶民に当てはめると、『この間はありがと。はい、これちょっとしたお礼』ってお菓子を持ってくような感覚ですかねぇ?」

「小さくて量も少なくはありますが、中に入れられている物は相応に希少品であることが多いのですよ」

「まぁあと、しばらくこうして保管されることを前提で包みますからねぇ。外側の包みは陛下の御前に上がる前に開かれちゃいますし、それを見越してある程度汚れても大丈夫なように包み布は選びますかねぇ。パッと見た時の印象が一番重要なのは、一枚いだ箱の部分ですから」


 二人の説明に杏杏もコクリと頷く。どうやら三人とも、こういった献上品の扱われ方には一定の知識があるようだ。


「そうなのね」


 ──これはもしかして、有竣への献上品の受付窓口を三人でしていた時代があったのかしら?


 今度みんなに、春華がやってくるよりも以前の話を聞いてみよう。


 春華はそんなことを思いながら、改めて作業台の上の包み達に視線を置いた。


 どれも本当に小さな包みだ。左右の包みは春華の片手に乗るくらいの大きさで、一番大きな真ん中の包みだって春華の両手に少し余るくらいの大きさしかない。中身は香、杯、茶葉という話だから、恐らく一番大きな包みが杯で、左右のどちらかが香、もしくは茶葉の包みなのだろう。


 ──あ、右側の包み、葉の紋様が入ってる。じゃあこっちが茶葉かしら?


「それでは、検分はわたくしが」


 まじまじと包みを見つめる春華の隣へ梅梅が進み出る。杏杏にそっと袖を引かれた春華は、一歩下がって梅梅に場所を譲った。


「確実に陛下を暗殺しようと思えば、検品しただけでこちらが害されるような毒の仕込み方はしていないはずですが。万が一のことがございますので、春華様は前へは出られませぬよう」

「梅梅は大丈夫なの?」

「あら。春華様はお優しいですね」


『わたくし、そんな春華様をお慕い申し上げておりますわ』と梅梅はおっとり微笑む。その発言を受けた桃桃が『あたしも! あたしも頑張り屋さんな春華様のこと、大好きですっ!』と華やいだ声を上げ、春華の腕を捕まえている杏杏がボソリと『私も』と同意をこぼした。いきなり三人から向けられた好意に、春華は思わず目をしばたたかせる。


 そんな春華の反応に、梅梅はクスリと笑みをこぼした。たったそれだけで、梅梅の表情が不意に妖艶さを増す。


「ご安心くださいませ、春華様。この梅梅、『毒』こそが本領でございますゆえ」


 その空気に春華は思わずコクリと喉を鳴らす。そんな春華にもう一度笑みをこぼしてから、梅梅は左側に置かれた包みに指をかけた。


「こちらは吏部尚書、はい菽義しゅくぎ様より献上された香です」


 梅梅は紅黄色の包みをシュルシュルと器用に解いていく。中から現れたのは黒く艶のある小箱だった。確かに桃桃が言っていた通り、外の布包みよりもこの小箱の方が明らかにお金がかけられている。


 ──黒漆の漆器かしら? 彫りの模様の赤い花の部分は、赤漆が使われているのね。


 里では山の木材を活かした木工も盛んだった。祖母が植物に詳しい人だったこともあり、春華も植物や木材、それらを加工した物にはそれなりの知識がある。


 春華は距離を保ったまま、興味津々で梅梅の手元に視線を注ぐ。


 そんな春華の視線の先で、梅梅の繊細な指がそっと蓋を開いた。少し持ち上げて様子を確かめ、ソロリソロリと慎重に蓋を外した梅梅は、不用意に顔を近付けないように気を付けながら小箱の中を観察し続ける。


 ──甘い香りがする。


 じっと視線を注ぐ梅梅の手元から、まるで花が開いたかのように柔らかな甘い香りが立ち昇っていた。甘味のような強烈な甘さではないが、花のような甘さとも違う。上品で印象的だが最適な言葉が見つからない、何とも魅惑的な香りが保管庫の中を揺蕩たゆたっていく。


 しばらく小箱の中を見つめていた梅梅は、無言のままそっと蓋を閉じた。不用意に息を吸い込まないようにしていたのだと気付いたのは、梅梅が手早く包みを戻しながら大きく息を吐く姿を見てからだ。


「恐らくこちらは無害な物でしょう。こちらが本物であるならば、下手な小細工に使えるような代物ではありません」

「梅梅、中に入っていた香がどんなものなのか、知っているの?」

「ええ、まぁ……。書物で読んだだけなので、恐らくは、といった推測ではあるのですが」


 包みを完全に元の形に戻してから、梅梅は春華を振り返った。その顔には珍しく困惑が浮かんでいる。


「恐らくは、龍涎香りゅうぜんこうと呼ばれる物かと」

「龍涎香?」

「幻、とまで言われている香です。一欠片でもあれば、庶民が一生暮らしに困らない額になりますよ」

「え?」


 ──え? ちょっと待って?


 そんな高級品がこんな場所に無造作に積まれているとは一体どういうことなのか。というよりもさっき桃桃は、今回の献上品に対して『改まった感じにはしない』『庶民で言うお礼のお菓子のような物』と言っていなかっただろうか。間違っても普通は『軽いお礼』に庶民が一生暮らしに困らないような額の香は贈らないと思うのだが。


 ──そう。香なのよ? 使っちゃったら何も残らない消耗品なのよっ!?


「お気に召したならば、陛下にそれとなくお伝えしておきます。しっかり検品して無害であることが確認できた暁には、春華様のお部屋で使いましょうね」

「け、けけけ結構ですっ!!」


 確かに香りは気に入ったが、そんな高級品が傍らで燃やされていると分かったら心がまったく落ち着かない。むしろ一生物の心の傷になりそうだ。


 ──貴族の感覚、やっぱり分からないっ!!


 ブンブンと春華は首を横へ振る。そんな春華の反応を半ば読んでいたのだろう。梅梅はコロコロと笑いながら香の包みを脇によけ、今度は一番右側の葉の紋様が染め抜かれた濃緑色の包みを開く。


「こちらは工部尚書、けん凰文おうぶん様より献上された茶葉です」


 今度中から現れたのは、背の低い円柱状の入れ物だった。淡く緑を帯びた青磁の器は、先程香が入れられていた漆器とはまた違った艶を帯びている。梅梅の指が蓋を外せば、中にはコロリと丸い紙包みがいくつも入れられていた。


「あら、こちらもかなりの高級品ですよ」


 スンッとにおいを確かめた梅梅は、器の中から包みをひとつ取り上げる。紙包みに書付があるのか、ためつすがめつ紙包みを見つめた梅梅は次いで軽く目をみはった。


「まさか岩峰がんほう喜福茶きふくちゃにこんな所でお目にかかれるとは」

「ガンホウキフクチャ?」


 聞き覚えのない名前を耳にした春華は、思わずカタコトで梅梅が口にした言葉をなぞる。そんな春華に優しく目尻を下げて笑いかけた梅梅は、またとんでもないことをサラリと口にした。


「これひとつで家が一棟建ちます」

「え?」

「以前はこの茶のために国同士の争いまで起きたとか。王さえ魅了する魅惑の茶葉、だそうですよ」

「えっ!?」

「気になりますか? 陛下にそれとなくお伝え……」

「し、ししししなくていいですっ!!」

「ふふふ。そうおっしゃると思いました」


『しかしこれに毒が仕込まれているか否か、この場で調べるのは難しいですね』と言葉を続けた梅梅は、紙包みを器に戻すと蓋を閉じる。


 青磁の器は包み直されないまま、香の包みとは反対側によけられた。ひとまず毒の確認は後回しにして、最後に残された包みの中身を先に確かめるつもりであるらしい。


「最後は礼部尚書、せん蘊巍うんき様より献上された杯です」


 他のふたつよりも大きい包みは、白銀色も美しい布に包まれていた。梅梅の指先によって解かれていく間も、包み布は独特のぬめるような艶をこぼしていく。


 その中から現れたのは、白木の木目も美しい横長な箱だった。他の二品に比べると質素にも思えるが、無垢な木目は滑らかに整えられていて、この箱を作り上げた職人の腕の良さがうかがえる。


 梅梅はその箱の蓋も、先のふたつと同じように慎重に開いた。


 白木の材が周囲の光を反射するのか、蓋を開いただけでパッと周囲が明るくなったように思える。


 その中心に行儀よく収まっているのは……


「杯は杯でも……茶杯、なのかしら?」


 中から姿を現した『杯』の姿を確かめた春華は、前へ出ないように気を付けながら首を傾げた。


 箱材よりもなお白い、白木で作られた小さな杯だった。


『杯』と聞いた時から、春華は酒器として使われる、浅くて口が広がった器の姿を思い浮かべていたのだが、箱の中に収められていた杯はどちらかと言えば形が茶器に近い。親指と人差し指でつまみ上げられそうな小ささの、蓋なしの茶器、という形容が一番近いのかもしれない。対で使われる物なのか、箱の中にはふたつ同じ物が収められていた。


「祭祀に使う物ですかねぇ?」

「どうなのでしょう? わたくしも祭祀には詳しいわけではないので……」


 桃桃の問いに梅梅も首を傾げる。


 梅梅の指先が慎重に杯を箱から取り上げるが、どこからどう見てもただの杯だった。白木作りの杯は、美しくはあるが華やかな物ではない。吏部尚書の香や工部尚書の茶葉とは違い、高価な物であるようにも思えなかった。


 ──まぁ、本来、これくらいの物の方が『お礼』には妥当なのかもしれないけども……


 だが、何かが意識に引っかかる。その『何か』が何なのかが分からず、春華は思わず敵を見据えるかのように杯を強く睨みつけた。


「とりあえず、こちらも毒の仕込みようはなさそうですね」

「そうですねぇ。こんな白木材に毒を仕込んでいたら、変色しちゃって一発でバレちゃいそうだし。毒そのもので杯を作りでもしない限り、木製の杯で毒殺っていうのは難しいんじゃ……」


 ──毒そのもので杯を作る……?


 桃桃の発言が、記憶のどこかに引っかかる。その強い違和感に、春華は必死に記憶を漁った。


 そんな春華の様子に気付いたのか、まず杏杏が『春華様?』と低く声を上げる。その声に気付いた梅梅と桃桃も春華に視線を投げるが、それに構わず春華は記憶を掘り起こし続けた。


 本能が警鐘を鳴らしている。思い出せと叫んでいる。


 ──もしかして私、この杯と似た物をどこかで見てるんじゃ……


 そう考えた次の瞬間。


 春華の脳裏に、ぎった光景があった。


 同時に前へ飛び出した体は、梅梅の手から白木の杯をはたき落としている。


「春華様っ!?」

「触っちゃダメよ、梅梅っ!! 桃桃もっ!!」


 唐突な春華の暴挙に梅梅の目が丸くなる。カンッと床の上を転がった杯を拾い上げようととっさに桃桃が身を屈めるが、その動きは春華の鋭い声に遮られた。


「その杯、材に夾竹桃きょうちくとうが使われてるかもしれない」


 春華の発言に、三つ子侍女が揃ってビクリと動きを止める。


 それも当然だ。これが本当であれば、下手に触るだけでもこちらの身に危険が及ぶのだから。


 ──有毒木の代表格のようなものだもの。


 夾竹桃は、葉にも花にも幹にも毒がある。直接触れたり食べたりしなくても、枝を燃やした煙を吸っただけで害を被るような強い毒だ。その材を誤って箸に使ってしまったがために死人が出たという事例だってある。


「で、でも夾竹桃って、杯を作れるほど幹が太くなる植物じゃないですよね?」

「一番大きく育った木を根元から切り出して材を取れば、これくらいの大きさの杯を作り出すことくらいはできるわ」


 顔を引きらせる桃桃に答えながら、春華は床に転がった杯にゆっくりと近付いていく。そっと傍らにしゃがみ込み、のぞき込むように杯を検分する春華を、今は誰も止めなかった。


「春華様? どうしてそのようなことを御存知なのですか?」

「里の若い木工職人が、やらかしたことがあったのよ」


 袖を被せた上から杯を拾い上げた春華は、杯と顔の距離を意識しながら杯の表面を観察する。


 ひとつの木材から彫り出されたと分かる継ぎ目のない杯の表面には、白い樹液が今もこびりついていた。釉薬のようにも見えるその模様は、自然に滴ったと考えるには不自然な筋目を残している。恐らくこの杯には、自然ににじんだ以上の樹液が塗布されているのだ。


 ──そもそも器に加工される木材は、水分を飛ばすために長時間乾燥させるはず。樹液が滴るような伐採したての材を、杯の形に削るようなことはしないはずだわ。


「その職人、すごく不器用な上に、話を聞かない、覚えられない人間でね。仕事のやらかしが多すぎて、いつまで経っても親方に素地作りの削りをやらせてもらえなかったんですって」


 練習用の材さえ与えられないことに腹を立てた若い職人は、自分で加工用の材を調達することにした。しかし職人達が採集するような木を勝手に切り倒せば、今度こそ破門されるかもしれない。誰かからあがなおうにも、若い職人には元手がなかったし、そもそも誰も若い職人には材を売ろうとしてくれなかった。


 適当な材を手に入れられなかった若い職人は、最終的に木を使うことにした。そこまで幹が太くはない材だったが、それでも根元の太い部分を用いれば小さな茶杯くらいは作れる。


 さっそく切り倒した材で、若い職人は不格好な杯を彫り出した。最後に水が漏れないかを確認しようと水を入れた若い職人は、下手なりに杯を作り上げたことを祝して、その杯で水を飲み干した。


 そのまま意気揚々と里へ戻ってきた職人は、その道中で倒れ、そのまま亡くなってしまったらしい。


 若い職人が材に選んだ木は夾竹桃。


 その樹液、燃やした煙にまで猛毒を含む、木工職人達が決して手を出さない木だった。


「その職人が最期に作った杯と、その杯、削り面とか材の質感とか、すごく似てるの」


 里の者への注意喚起のために、若い職人が作り上げた杯は回収され、しばらく親方の工房に置かれた。春華も話を聞いて見に行ったからよく覚えている。白っぽい材と、削る時に滴ったのだろう樹液の跡が印象的な、ごくごく小さな杯だった。


「……春華様がそこまで仰るならば」

「可能性は大、ですねぇ……」


 春華は拾い上げた杯をコトリと作業台の上に戻した。春華の説明に納得してくれたのか、梅梅と桃桃は難しい顔で杯を見つめている。


「どうします? 陛下暗殺のために仕込まれた毒は見つかりましたけども」


 桃桃の発言に、春華は桃桃へ視線を向けた。『どう、とは?』と視線だけで問いかければ、桃桃は『何と言えば良いのか』という内心を隠していない、酷く複雑そうな顔を春華へ向ける。


「献上品ですから、こちらで勝手に処分するといらぬ揉め事を起こしかねないんですぅ。かといって、このことを陛下に素直に報告するわけにもいかないじゃないですかぁ。知っちゃった経緯が経緯なだけに」


 献上品が紛失したとなれば、必ず誰かが責めを負うことになる。春華達が黙って事を起こせば、何も関係がない宝物管理官達がその役を負わされることになるだろう。


 かと言って正直に事情を有竣ゆうしゅんに打ち明ければ、今度は春華が勝手に後宮を抜け出していたことまでをも有竣に説明しなければならない。


 ──昨日の発言が本気なら、私が後宮を抜け出したこと自体は許してもらえるかもしれないけども……


 毒杯を献上してきた礼部尚書は、恐らく問答無用で有竣の愛剣の錆とされることだろう。


 己の身を害する存在を『狐狼』は決して許しはしない。釈明はおろか、ろくに罪状をただすことさえしないまま斬り捨てるはずだ。


 ──有竣を暗殺しようとしてきたヤツだもの。それくらいはされても自業自得だわ。だけど……


 もっと穏便に片付けなくては、王宮に混乱が広がるだろう。周囲に暗殺計画があったことを覚られてしまうのもいけない。『臣下に暗殺を計画されるような君主である』と周辺各国に知られれば、そこに付け込まれる可能性は十分にあるのだから。


 ──何か道はないかしら。全て綺麗に収められる道は……


 隠すことはできない。このまま有竣へ渡すわけにもいかない。


 ならば……


「……ねぇ」


『自分ならば不良品を掴まされた時、どうするだろう?』と考えた春華は、ふと閃いた案を素直に口に出した。


「返品ってのは、どうかしら?」

「え?」

「はい?」


 春華の呟きに、桃桃と梅梅がいぶかしげな声を上げる。背後に控えた杏杏が無言のまま首を傾げたのが気配で分かった。


「勝手に処分もできない。有竣に渡すわけにもいかない。……ならば礼部尚書自身に、献上品を取り下げてもらうのはどうかなって」


 そんな三人へ、春華は順番に視線を巡らせた。『そんなことできるのだろうか?』と無言のまま首を傾げる三人へ、春華は少し困ったように笑いかける。


「私、こう見えてもそういう交渉、得意なのよ?」


 ……有竣は、春華を助けてくれた。


 絶望しかなかった未来を砕き、春華が何にもおびやかされずに生きていける世界を与えてくれた。今だって春華を真綿で包むように甘やかし、己の全てを差し出そうとしてくれる。


 そんな有竣に、何が返せるのだろうかと。


 自分の言動ひとつに数多の命と国の行く末がかかっているという重圧に怯えながらも、それを思わない日はなかった。


 有竣には幸せになってほしい。その幸せを掴むためには、今のまま春華にどっぷり依存しているのは良くないと感じたから、春華は有竣に自分以外への興味を抱かせようと思った。


 だけどそれ以外にも、春華にできることがあるならば。


「私、流行歌にまで歌われる『女狐』だし」


 有竣が春華の世界を守ってくれるように、春華にだって有竣が生きる世界を、少しだけでも良いものに変えられる力があると言うならば。


 世間から向けられるわれのない悪評だって手玉に取ってやると、今の春華は思うことができる。


「きっと、礼部尚書が相手であっても、返品交渉くらい、押し通せると思うの」


 体が震えていることには気付いていた。


 それでも春華は顔を上げたまま、笑みを浮かべてみせる。


「だから、手伝って。……いや」


 どうか今だけはこの笑みが傲慢な悪女のものに見えますように。


 そう願いながら、春華はあえて語調を強めた。


「手伝いなさい」

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