「と、いうわけで、有竣ゆうしゅん観察どころじゃなくなったから、一旦帰ってきたの」

「あらあら、まぁまぁそれは」

「中々に物騒なお話ですねぇ」


 息せき切って駆け戻ってきた春華しゅんかの姿に血相を変えた梅梅メイメイ桃桃トウトウは、どこか安堵したかのように春華の報告に相槌を打った。漏れ聞こえてしまった話を春華が勘違いしていなければ事は『皇帝陛下暗殺計画』であるというのに、梅梅と桃桃は明らかに春華が香華宮こうかきゅうに駆け込んできた時よりも落ち着いた顔をしている。


 そんな二人に、春華は思わずジットリとした視線を向けてしまった。


「ちょっと。二人とも」

「あらやだ、申し訳ありません、春華様」

「あたし達だって、焦ってないわけじゃないんですよぉ?」


『重大さ、分かってるの?』という春華の視線に、梅梅はおっとりと眉尻を下げ、桃桃は慌てて両手を胸の前で振る。ちなみに春華の後ろに控えた杏杏シンシンは相変わらずの無表情だ。


「ただ、春華様の御身に、直接危害を加えられたわけではないと分かりましたので」

「はい! 春華様がご無事ならば、後はどうとでも」

「いや、『どうとでも』で片付けちゃ駄目でしょ! ……って杏杏まで! 何しみじみと頷いてるのっ!?」


 どうやらこの場で慌てているのは春華だけらしい。そういえば梅梅達は有竣が内乱を平定して回ってる頃から仕えているという話であったし、もしかしたらこういう場面には慣れているのかもしれない。


 ──いや、慣れててももうちょっと焦ってはほしい!


「とはいえ、看過できない話であることは事実、ですわね」


 春華は場の空気の流れを変えようと両の拳を握りしめる。


 それを察知したから、というのが理由ではないだろうが、梅梅がおっとりと話の口火を切った。


「春華様が見たという翡翠の装束。恐らくは……」

「大臣以上の方が御召しになられる、『緑衣袍』と呼ばれている、少々特異な装束ですねぇ」

「特異?」

「限られた地位の方が、限られた場面でのみ着れるってことですよぉ!」


『さぁ、復習ですよっ、春華様!』と桃桃がピッと指を伸ばした。その瞬間、桃桃の表情が『侍女』から『教育係』に切り替わったのを察した春華は、思わずピッと背筋を正す。


さい国における『大臣』とはどういう人達のこと指す言葉であったか、覚えていらっしゃいますか?」

「えっと、三省六部のそれぞれの長官と、宰相、それに御史台の大夫も、まとめて『大臣』と呼びます」

「正解ですっ!」


 先生から質問を受けた生徒のように答えると、桃桃は嬉しそうに笑みを弾けさせた。実際に桃桃と春華は、妃教育の師と弟子でもある。自分が教えたことをきちんと春華が理解していることが桃桃も嬉しいのだろう。


「それでは、その大臣方が陛下の御前に勢揃いして行われる議会の場は、何と呼ばれているでしょうか?」

「えっと……雲上うんじょう御前ごぜん会議?」

「開催頻度は?」

「え? ……と、特に決まってないんじゃ」

「正解正解、大正解ですー!」


 桃桃は手を叩いて大げさなくらい春華の解答を褒めてくれた。そんな桃桃の反応に春華が思わず照れていると、二人の様子を微笑ましそうに見ていた梅梅がスルリと言葉を挟み込む。


「『緑衣袍』というのは、その雲上御前会議で、優先発言権を与えられた者のみに着用を許される装束です。つまり、今回の会議で、事前に議題を提出し、それを会議に上げても良いと陛下から許しを得た者、ということになります」

「つまり……今回の会議の主題を決めて、取り仕切りを任された人ってこと?」

「取り仕切り、というとまた、少し違うのですが」


 会議を取り仕切るのは、あくまで議長権を持つ宰相であるという。緑衣袍をまとった人間はあくまで問題提起を持ち込み、主体的に発言をして会議の場を活性化させるのが役割なのだそうだ。それでも誰が今回の会議の主題を打ち出すのか、パッと見て分かりやすいようにして会議を迅速に進められるよう、特殊な装束を着るようになっている、というのが梅梅の説明だった。


「提議役が誰であるか見た目で分かりやすくすれば、下位の者が上位の者に萎縮して物を言えなくなる場面が減るのではないか。これは陛下がお考えになられたことなのですよ」

「有竣が……」


 大臣、と一括りに言っても、管轄部署が持つ権限の大きさや自身の出自によって、大臣達の中でも身分に優劣が生まれる。三省六部それぞれの長まで登り詰めても、その先でまだ争いは続くのだ。


 そして貴族達が列席する場というのは、何かと『身分』が物を言う。国政の頂点で行われる会議も、それは例外ではないということなのだろう。


 ──有竣も、その点から言うと『弱者』なのよね。


 本来ならば帝位継承権がないに等しい庶子。


 先帝時代はほぼ存在を認知されていなかった有竣が『皇帝の一族に連なる者である』と認められたのは、ひとえに有竣の容貌が若い頃の先々帝に瓜二つであったからだという話だ。


 ──つまり有竣は、王宮側から『皇帝一族の人間である』と認知されて王宮に招かれた存在じゃない。


 王宮側が自発的に存在を認めたわけではない。好意的に迎え入れられたわけでもない。


 今でこそその圧倒的な存在感で臣下をひれ伏させている有竣だが、王宮に入った当初はきっと苦労したのだろう。この『緑衣袍』という制度も、そんな有竣自身の経験から生まれた案なのかもしれない。


 ──有竣の後ろ盾は、宰相様なんだっけ?


 有竣の王宮での立ち位置を脳裏に思い浮かべた春華は、ついでに有竣周辺の関係性も改めて思い起こした。これも妃教育の一環で桃桃に叩き込まれた知識である。


 ──そもそも有竣を先々帝の遺児として擁立させたのが宰相様で、内乱平定後もそのまま後見に収まったって。ただ、長いこと患っているから、いざという時のために他の地盤を有竣は作りたくて……


 現状、三省六部で一番強い権力を握る吏部尚書は有竣に否定的だという話だ。宰相の次に権力を持つ中書省内史令は中立派。三省六部から完全に独立した機関を統治している御史台大夫は沈黙を貫いているという。


 ──そうやって思うと、有竣の立場も完全に盤石とは言えないのよね。


「緑衣袍に使われる布地は、織も染も特殊で、王宮の外へは流通しておりません」

「なので、春華様。陛下にそれとなく話を振って、本日の雲上御前会議の内容を聞き出してくださいませっ!」

「……はい?」


 そんな他事を思っていたせいか、春華は一瞬何を言われたのかが理解できなかった。


「偽の緑衣袍を用意することも、緑衣袍を誰かから借りることも、現状では大変難しいのです。ですから、春華様が目撃した『翡翠の装束』が緑衣袍であるならば、扉の前を通りかかったのは本日の雲上御前会議に議題を持ち込んでいた大臣のうちのどなたか、ということになります」

「会議はもう終わっちゃってますからねぇ。あたし達では今から議事録を盗み見に行くことも難しいですし」

「杏杏、間違いなく緑衣袍だったのよね?」


 梅梅は不意に杏杏に問いを向けた。『そうよ、そもそも前提はそこじゃない』と気付いた春華が視線を向ければ、杏杏はコクリと重々しく頷く。どうやら『翡翠の装束』は間違いなく誰かが着ていた緑衣袍であるらしい。


「議題の内容が分かれば、おおよそどの部署が上げてきた議題なのかが分かります。発言者が分かれば、集まった大臣の中でどなたが本日緑衣袍を纏っていたかが分かります」

「で、その誰かが直近で陛下に献上品を持ち込んでいたら、そこに毒が仕込まれているってことですね」


 梅梅と桃桃が交互にしてくれる説明のおかげで、春華も何となく事件解決の糸口が掴めてきた。


 だが同時に重要なことにも気付いてしまった春華は、慌てて顔を跳ね上げる。


「献上品に毒が仕込まれてるってことは分かってるわけよね? 有竣の身を守るためにも、直近のものを片っ端から改めるってことはできないの?」

「それは……」

「ちょーっと、難しいですねぇ」


 春華の発言に二人は揃って眉をひそめた。


「結局、献上品はただのモノじゃなくて、それを寄越してきた人間の思惑が絡みついたモノ、ですからねぇ」


 臣下からの献上品には、皇帝からの見返りを望む思惑がベッタリと纏わりついている。その品に皇帝が手を触れる、ということは、すなわち『その思惑を受け入れ、見返りを約束する』と相手に捉えられかねない行動なのだという。


 それだけの思惑が絡むものだから、他人が勝手に手を触れることもそう簡単にはできない。


 下手に手を出せば、横槍を入れたと見なされかねない。ましてや何かしらの嫌疑をそこにかけようものならば、贈り主へ間接的に喧嘩を吹っ掛けるようなものだという。


「近日中に陛下が献上品を改める予定は入っておりません。数日ならば、陛下が献上品に触れるまで猶予がございます」

「でも、情報を抜き出して、陛下がお手を触れるまでに対処まで終えようって思うと、決してのんびり構えていられる感じでもないですねぇ」


『行けますか? 春華様』『やれますよね? 春華様』という圧を同時に感じた春華は、思わずヒクリと頬を引きらせる。


 有竣に暗殺の危機が迫っている。もちろん春華はそれを阻止し、有竣を守りたい。その気持ちは強くある。


 しかし。しかしだ。


 ──妃が皇帝陛下からまつりごとの内容を聞き出そうだなんて、褒められたことじゃない……わよね?


 妃が政に直接首を突っ込めば国が乱れるのは必至。ましてや有竣から話を聞き出そうとしている春華は『女狐』と評されている悪女だ。その実態が無害極まりなくても、そういう評判がついていることは事実である。


 ──もし万が一、有竣が私との会話を誰かに漏らしたら……


 有竣暗殺は防げても、春華の首は物理的に飛ぶかもしれない。


 その事実に春華の背筋はプルリと震えるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る