──いやぁ、内乱を平定して、近々で必要な手回しを終えた足で、御本人おんみずかれん家まで私を迎えに来た時には、みんな揃って腰を抜かしたわよねぇ……


 三年前から今までの怒涛の日々を思い返した春華しゅんかは、思わず遠くを見つめた。


 ちなみに今は、宴の翌日のお昼過ぎである。昼食にかこつけて後宮に戻ってきた有竣ゆうしゅんを再び政務に送り出すという大仕事を終えた春華は、茶杯を手に少しだけ意識を過去に飛ばしていた。


「いやいや、誰に分かるっていうのよ。『春華が何にも、誰にも脅かされずに生きていける世界をあげる』っていうのが『僕が皇帝になって春華を妃にする。春華をイジメるヤツは僕の権限で皆殺しにするから安心してね』なんて意味だなんて」

「相変わらずぶっ飛んでますわよね」

「いやぁ、熱烈っ! 憧れますっ!」

「……」


 そんな春華のボヤきに、今は声が返る。


 その声の主達……同じ卓につき、揃いの杯で春華と同じ茶を口にしている腹心の侍女達へ、春華はジトリとした視線を向けた。


梅梅メイメイ桃桃トウトウ、他人事だからって面白がらないで。杏杏シンシン、せめて内心は口に出して言って」


 春華を支える三つ子の侍女は、春華の苦言を意に介さず変わらずニマニマと春華を見つめている。唯一三女にして護衛官を兼ねている杏杏だけが無表情だが、その瞳に姉二人と同じ光が宿っていることに春華はきちんと気付いていた。きっと杏杏も内心ではニマニマしているに違いない。


「そもそも、何で皇帝一族の血を引く人間が、あんな片田舎の郷長の家で下男なんてしてたのよ。誰にも想像できないでしょうよ、こんな展開」

「春華様の御父君は御存知だったはずなのですが。有竣様が先々帝の庶子であったということは」

「先々帝のお妃様の一人に、春華様のおばあ様がお仕えされておりましてっ! 先々帝と春華様のおばあ様は、何かとお話が合ったそうで、春華様のおばあ様がご実家のご都合で後宮を辞し、廉家に輿入れされた後も、文や物のやりをなさっていたそうですよっ!」

「植物栽培愛好家同士」


 侍女兼侍医の長女・梅梅がおっとりと喋れば、重ねるように侍女兼教育係の次女・桃桃が言葉を続ける。最後に侍女兼護衛官の三女・杏杏が補足を入れるか頷くか、といった感じで四人でいる時の会話は回っていく。春華がこの宮……今上帝唯一の後宮であるこうきゅうにやってきてから、ここではそれが日常となっていた。


 ──初めてここに連れてこられた時、目の前に同じ顔がみっつも並んだ時はビックリしたけども。


 顔立ちは見分けがつかないくらいにそっくりな三つ子侍女達だが、衣と髪型の違い以上に、特徴的な性格が表情にもにじみ出ているおかげで今のところ呼び間違いを起こしたことはない。それなりの時間をともにした今ならば、恐らく揃いの衣裳を着ていても何となく見分けられるだろうと思っている。


 ちなみに梅梅は赤紫を基本色にした衣に流し髪のおっとりお色気美女。桃桃は桃色を基本色にした衣に左右お団子髪の元気ハツラツ美女。杏杏は白を基本色にした衣に後頭部でひとつ結び髪の冷静沈着無口無表情美女だ。三人とも方向性は違うが、美女であることに違いはない。春華がこの中にいると埋もれている自覚があるくらいには。


 ──って! 今はそんなことどうでもいいのよっ!


「とにかく、今のこの状況、良くないと思うのっ!」


 一瞬他事に流れた思考を引き戻し、春華は力強く卓を叩きながら立ち上がった。そんな春華に三人はキョトンと目をしばたたかせる。


「何かご不満があるのですか?」

「皇帝の寵愛を一身に受ける唯一の妃! 他の妃方からイジメられることもなく、陛下の視線は春華様に釘付け! 春華様が願えば大臣達の首も跳ばしたい放題! 現状考えうる限り、この上なく最上の環境じゃないですか?」

「……」

「それが! 良くないって言ってるのっ!!」


 首を傾げる梅梅と桃桃、さらに姉二人に深く頷いた杏杏に向かって、春華は思わず指を突きつけた。


「私の軽い一言で宰相の首が飛ぶ危険性も、隣国が攻め落とされる危険性もあるのよっ!? 私の言動のひとつひとつに大量の命と国の存亡がかかってるなんて、荷が重すぎるっ!!」


 そう、現状のさい国の命運は春華に握られていると言っても過言ではない。


 何せ有竣が国の平定に乗り出した理由が春華にあるのだ。有竣の視線も思考もハナから春華にしか向けられていない。


 春華がさらなる富や名声を求めれば有竣は周辺国家の平定に乗り出すだろし、逆に国を捨ててともに駆け落ちしてほしいと願えばその場で即刻玉座を放り出しかねない。


 香華宮に入ってから春華が見てきたおう有竣とはそういう男だ。そういう意味では確かに春華は『皇帝を手玉に取る悪女』で間違いない。


「私、この状況を何とかしたいの! こんなの、絶対に良くないもの」


 国の状況としてもだが、何より『汪有竣』という一個人にとっても良くないはずだ。


 ──拠り所が一点にしかないなんて、脆弱もいいところじゃない。


 そう、自分に寄り掛かられて重たいというよりも、春華は純粋に有竣を案じている。


 有竣が『廉春華』という存在にどっぷり依存していることも心配だし、こんな状況を長く続ければ臣下から不満の声だって上がるだろう。恐怖で押さえつける暴政は長くは続かないものだ。今は有竣の圧倒的な強さで率いられている臣下達だって、いつ反旗を翻すか分からない。


 そもそも、今の状況で春華の身に何かが起きたらどうなるのか。


 ──最悪の場合、斎国が滅ぶ……!


 春華が病なり何なりで自然死した場合、恐らく有竣は悲嘆に暮れて後を追うだろう。


 それだけだったらまだ『悲恋』で終わるかもしれないが、万が一春華が誰かに目をつけられて殺されたりしたら厄介だ。


 恐らく有竣のことだ。ろくに捜査などせず、疑わしい人間を片っ端から殺して王宮を血の海に沈めるに違いない。そうなれば待っているのは国の滅亡だ。これが春華の思い上がりの妄想などではないのだから厄介極まりない。


 そんな悲劇を生まないためにも、有竣にはもう少し……いや、欲を言えばもっとガッツリ、春華以外に興味を示してもらう必要性があると春華は常々考えていた。


「とはいえ、具体的にどうすれば良いものなのでしょうかねぇ?」


 春華が訴えたいことは梅梅達にも伝わっているのだろう。同意をしてくれた気配はないが、それでも一応梅梅はおっとりと小首を傾げて春華との会話を広げてくれる。


「興味を抱かせる、というのは、陛下の場合は難しいのでは?」

「何せ春華様にゾッコンですから!」

「そこなのよ。ねぇ、みんなは有竣が何が好きなのか知らない?」


 梅梅が広げ、桃桃が乗ってくれたところに、春華はすかさず食い付いた。杏杏は相変わらず口を開かないが、きちんと話を聞いてくれていることは瞬かされた目の動きで分かる。


「私、有竣が『廉春華』以外に何に興味を抱くのか、何を好んでいるのか、思い返してみても知らないことに気付いたの」


 趣味を広げるにしても、新たに親しい人を作るにしても、まずは当人が何を好み、何に興味を抱くかが問題だ。そこを足がかりに興味の深さと幅を広げていくのがいいとは考えたのだが、いかんせん皇帝をやっている有竣は『好きなもの:春華 趣味:春華を甘やかすこと』しか分からない。


 ──里にいた頃も、仕事ばっかりしていて趣味らしきものはなかったし……


 食事にも着る物にもこだわりがあるようには見えなかった。唯一、剣の鍛錬は楽しそうにしていた記憶があるのだが、今から思い返せばそれだって必要に迫られたから励んでいただけであって『趣味』と言われると少し違う気がする。


 ──今でも何かとすぐに剣を持ち出してくるけど……。多分あれは道具を欲しているだけで、好きってわけじゃないと思うのよね。


 ちなみに道具というのは『邪魔者を即刻消せる道具』という意味だ。自分で思っておいて、春華はその事実にプルリと体を震わせる。


「みんなは何か知らない? 有竣の好きなものとか、興味のあることとか」

「陛下の好きなもの……」

「興味のあること、ですか?」

「……」


 春華の問いに視線を宙に遊ばせた三人は、しばらくするとヒタリと春華に視線を据える。


 その意味が言葉を発せられなくても分かった春華は、思わずガクリとうなれた。


「だから、私以外で」

「……と、言われましてもねぇ」


 梅梅達はそのままそれぞれに首をひねり始めた。大抵のことは微笑みとともに片付けてしまう三つ子侍女が眉間にシワまで寄せて考え込んでいる様は、中々お目にかかれるものではない。


「……数日前、胃に優しい胃薬について御下問をいただきましたわ。春華様がよくお飲みになられるから、常飲しても問題がない物を処方しているのかと」

「それは薬に興味を抱いたわけじゃないと思うの、梅梅」

「そう言えば昨日、一昨日の夜にお出ししたお茶のことでご質問をいただきました! 春華様がその茶葉を気に入ったようだから、どこの物か知りたいと!」

「それも茶葉に興味を抱いたわけじゃ……」

「剣術鍛錬のお相手に指名していただきました」

「え」

「春華様の護衛官として相応しいか、定期的に試験を」


 ──結局私に戻ってきてるっ!!


 四人揃ってここまで悩んでこれなのだ。春華の計画は着想から間違っているのかもしれない。


 ──いや、まだ諦めるには早いわよ、廉春華っ!!


「後宮に閉じこもってるだけじゃ、道は開かれない」


 春華は己を奮い立たせると、キッと侍女達を見据えた。それだけで春華がよからぬことを企んでいると読めたのか、三つ子侍女達に緊張が走る。


「私、有竣を知るために、王宮に出仕するわっ!!」

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