錯綜する情報

 現代人とスマホ、SNSは切っても切り離せないものとなっている。災害やトラブルが起こるたびに様々な情報が飛び交う。それは有益な内容であればよいのだが、例えばインプレッション(閲覧数)でインセンティブ(金銭的収入)が入ることを目的に、悪質なデマが飛び交う。

 倒壊した家に閉じ込められています。助けてください。といった投稿があったが、よく見ると架空の住所が記載されていた。レスには多くの励ましや、通報を告げる内容で埋まっていたが、中にはこの住所は実在しないと指摘する者もいる。


 流れてくるニュースは暗澹たるものが多かった。一面焼け野原になってしまった輪島の街並み、倒壊した家に巻き込まれて傾いてしまった生家、津波によって押し流されてしまった町並み。

 それこそすぐにでも能登へ走りたくなったけども、道路状況が分からない。物流も止まっていてさらにライフラインも寸断されている。それこそ、道を探している間にガソリンが切れて二次遭難すらあり得る。

 仕事をしていても焦燥感だけが募る。そもそも、自分にできることは無いかと自問自答が止まらない。

 そんなこんなで情緒がぐちゃぐちゃになっていた1月。まずは母が家にとどまると言い張っていたのを兄が説得し、金沢に避難してきた。これは一安心の出来事だった。なぜなら生家の被害状況の鑑定を依頼したところいわゆる危険を示す赤の紙が貼られてしまった。

 いつ崩れてもおかしくないというわけだ。原因は隣にあった空き家が倒壊してそのままがれきがうちの方に崩れてきた。その重量で傾いてしまい、柱などが重大なダメージを追ってしまったということだった。


 この年になると実家に顔を出すのは年数回で、生家といってもそこまで思い入れはないと思っていた。それでもいつでもあるはずの実家が失われると実感した時の喪失感は自分でも驚くほどだった。


 もちろんもっとひどいことになった方も大勢いる。家の倒壊に巻き込まれて亡くなった方や、土砂崩れに巻き込まれてしまったなど悲劇は枚挙にいとまがない。

 そう考えると、人的損害が無くて良かったというのがせめてもの慰めとなるのだった。


 様々な報道は春先まで続く。避難所の状況、ライフライン、余震、破壊されてしまった生活の様々な状況が目の当たりになっていた。

 奥能登は生まれ育った地で、輪島の高校に通っていたので、朝市のあたりは友人と歩いたり、買い食いをしたりと思い出が残っている場所で、それが失われてしまったのはとても悲しいことだ。

 

 さて、ここで様々な疑問が生じてきた。まず各社マスコミの報じ方について。


 はっきりといえば後出しじゃんけんで批判するようにしか見えない。同じく、現地の方へのインタビューについても違和感が多い。

 もちろん不自由な生活に不満は出るだろう。住処を奪われ、家族を失い、財産も無くなった。ショックを受けるのは当然で、その上でそこから現状を理解し、これからどうしようと考えても途方に暮れるであろうことは想像に難くない。

 その上で明らかに何らかのバイアスがかかっている報道が多いと感じられた。支援に関して、災害対応に関して、不平不満しか報道しない。では、救助に対して感謝の気持ちがないのか? となるとあるに決まっている。

 少なくとも自分が直接連絡を取った人々に関しては自衛隊の給水で助かった。お風呂に入れてよかった。といった言葉はよく耳にした。

 ただ、意図的にとしか思えない頻度で、それこそ、状況が見えない中で打った手立てに関しての批判は卑怯な物言いにしか見えない。

 もちろんミスや改善すべき点は出てくるし、それについて指摘するのは構わない。というか建設的な議論であると思う。

 その上で、県知事がー、総理がーとただ批判したいだけの言説が多く、SNSなどでも現地の実情をゆがめ、都合のいいように切り取った状況を広げる人々のなんと多いことか。


 6月になってもがれきの撤去ができていません。そりゃそうだろ。できるわけがない。それだけの人員とエネルギーを送り込む体制ができていない。水道の復旧が遅れているのも怠慢だと言う。では具体的にいついつまでにどこまでの復旧ができれば正常な対応なのか。

 それを示したうえでここをもっと詰めるべきだと言う言説にはトンと出会っていない。実に無責任である。

 非常に悲しく、空しいことであるが、震災という状況を利用して自分の利益だけを追求する人間はどこにでもいるということなのでしょう。

 もちろん自分が耳にした意見や話が全てではないと思いますが、明らかな印象操作を見ていると非常に気分が悪くなります。


 半面、SNSを利用して募金などを呼びかける人も多く、また公的支援の情報提供や被災者の利益になる情報を懸命に発信する人も多くいらっしゃいます。

 またチャリティでのイベントも開催され、クラウドファンディングなどの呼びかけも進んでいます。


 今後どのような形になるのかはわからないけども、いい形での復興がなされればよいなと思います。


 そしてここからは少し毒吐き。

 能登は見捨てられているというインタビューがありました。当たり前でしょう。限界集落を復興してそのコストに見合ったリターンがあるとでもいうのでしょうか。ありません。

 対費用効果、コストに対するリターンが無ければだれもお金は出しません。被害者だから無尽蔵に金がもらえるとでも思っているんですかね?

 予算は有限で、それを決める権限が皆さんが選挙で選んだ首長にあります。村長、町長、市長、はては国会議員から総理まで。それが民主主義です。

 仮設住宅の割り振りがどうこうと不満を漏らす方もいらっしゃいました。じゃあ意見出せよと。

 人に全部やってもらって文句だけ言うなと。まあ、それが切り取られた発現かどうかもわからないわけですが。

 7/7は東京都知事選が実施されます。なのでこのタイミングで言いますが、本来自分たちの代表者としての首長を選ぶということは、極論をいえば自分の生殺与奪の権限を預けるくらいの意味合いです。

 予算の配分で自分が不利益を被っても、あの人が言うならば仕方ない。それくらいの意味合いと考えた方がいいんじゃないですかね?

 だからこそ、自分の意見を反映させる選挙は大事なのです。

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