第42話 スパイ

 ハーデス人種族は、モーデスを中心とする人類種族とは異なるが、極めて人類種族に近い種族である。

 祖先を辿ると同じ類人猿ながら、ハーデス人はハーデス大猿と呼ばれる大柄な体躯たいくを持つ猿の分岐種であり、一方の人類種族はモーデス・ティミーと呼ばれるやや小柄な猿の分岐種から派生したものと考えられている。


 同じヒトに分類されるものの互いに血のつながりはないとされている。

 ハーデス人とモーデス人はDNAが異なり、血液型も明確に違うのである


 平均的なハーデス人とモーデス人を並べると、頭一つハーデス人が抜きん出るし、肩幅もかなりの差がある。

 しかしながら、ハーデス人で小柄な者は大柄なモーデス人でも通り、逆に大柄なモーデス人はやや小柄なハーデス人として通ることになる。


 それ故に、帝国と共和連合には互いにスパイが送り込んでいたし、互いの境界付近に住むバルモア人をスパイとして使うこともままあった。

 ためにバルモア人の軍の採用については、どちらも極めて厳格な審査を行っている。


 無論ヒト種族であっても、種族の異なる相手の軍内部に潜りこむことは、身体検査ですぐに露見してしまうことから、事実上不可能であった。

 それ故に、スパイの暗躍場所は、宙軍及び陸軍の出入り業者等一般人社会に限られていた。


 カスケロンに潜伏中のハーデス帝国のスパイは79名、全員がハーデス人であり、精緻な血液検査などを受けるとモーデス人ではないことが明らかになってしまうので、種々の工夫を凝らして誤魔化している。

 最初に辺境星系で裏社会の者を多額の金で吊り上げて、その者の協力で何とか送り込んだのが医師であり看護婦であった。


 本来の医師と看護婦は殺害されて、遺体は完全に灰まで焼却されて川に捨てられた。

 次にその家族が全て事故を装って殺害されたのである。


 送り込まれた者は整形手術を受けており、医師や看護婦本人と見分けがつかない筈である。

 次に、辺境星系政庁でのテロを画策、その騒ぎに便乗して、全ての登録データを書き換え、指紋、声紋、網膜なども新たに登録された。


 過去にさかのぼれば別のデータが出てくる可能性はゼロではないが、それらの危険性は無視された。

 そうしてから医師と看護師は相前後してカスケロンに移住し、小さな医院を開設したのである。


 全ては闇の中で遂行された。

 次の者からは、カスケロンに密入国し、闇ルートで偽のIDカードを得てからその医師による健康診断のみ受けることにすれば、身元の確認は余程のことが無い限りはなされない。


 万が一にでも血液等を採取されるような事態となった場合は速やかにその者が処分される。

 例えば事故で大怪我を負った場合などは、搬送先の病院で医療事故が生じて、患者が死亡するのである。


 入り込んだ者は皆慎重であり、かつ、愛想の良い人たらしと呼ばれるほどの悪賢い者ばかりであった。


 ◇◇◇◇


 ライトニング社の営業担当ラスクマンは、ハーデスのスパイとして潜入しているのだが、ひょんなことからあることに気づいた。

 公表される宙軍名簿は、職名も勤務先も記されないが名前と階級だけは記されている。


 その名をできるだけチェックし、記憶しておくことで何かの折に情報を得る切っ掛けが掴めるかも知れないからである。

 全てを見ることはできないから佐官クラス以上に留めている。


 この10月に入って、三人が昇任していた。

 一人は大尉から少佐、今一人は中佐から大佐であり、最後の一人は大佐から准将である。


 その内の二人の名に見覚えがあった。

 一人は調達部のエドモンド補佐官であり、今一人は調達部ゲーリック参事官であったはずであり、どちらも融通の利かない人物として、ライトニング社の軍担当者の間では要注意人物とされていた。


 今一人のジョーダンなる中佐から大佐に昇任した人物は知らない。

 だが艦隊装備技術本部が、異例の装備換装を始めた時期と符合する。


 二人の所属は調達部であるからこれらの人物が改装そのものに直接関わった可能性は少ないが、装備品の部品調達で功績が有ったのかもしれない。

 そこで同時期に昇任したものを調べると二等兵装から中尉まで12人の名前が挙がったのである。


 ほぼ3カ月の間に15人である。

 さほど珍しいというわけではないが、何となく気になったので、保険屋から入手した宙軍大卒業生の名簿を調べてみた。


 ゲーリック、ジョーダン、エドモンドについては昇進時期が少し早いものの左程おかしくは無い。

 ネリス中尉も少し早いが、まぁ許容範囲であろう。


 だが、ペテロという中尉は僅かに1年余りで大尉になっている。

 さらに驚くべきことに、スティーブ少尉は、宙軍大を卒業して任官されたばかりの筈なのに三か月余りで中尉になっている。


 通常少尉は2年が相場であり、中尉は3年で有る筈だからこれはどうみても不自然である。

 余程の戦功が無ければペテロもスティーブも昇任できない筈である。


 銀鵄惑星賞であれば1階級特進が付いて回る。

 金鵄恒星賞ならば2階級特進であるが、これは滅多になく、通常は名誉の戦死でかなりの戦功が有った場合に限られると聞いている。


 従って、銀鵄惑星賞を授与された可能性が高いが、生憎と、勲章の授与について宙軍は一切公表していないし、その表彰基準も不明である。

 ペテロ・ロマノ・ウィズリーなる人物、そうしてスティーブ・ロンド・ブレディなる人物があるいは鍵を握っているかもしれない。


 ラスクマンは、ネットに名前を打ち込んでみたが、カスケロン市内でのネット検索には全く引っかからなかった。

 スティーブはこの3月までは宙軍大に在籍していたのだから何らかの痕跡があってもおかしくはないのだが、「スティーブ」だけでは数十万件がヒットしてしまって、意味が無く、正式名で入力すると皆無であった。


 元々宙軍はそうした情報漏洩に気を使っているはずであるから、それほど情報があるものではないのだが、皆無というのも珍しかった。

 ペテロについては既に3年以上前のことであり、ネットの中で廃棄処理されている可能性が高い。


 そうして恐らくは二人共に、現在は別の星系にいるのだろう。

 仮に居場所を確認したところで今の段階では仲間を集中させるだけの根拠がない。


 とても星系外の組織に調査を頼むような段階ではなかった。

 それでも、ラスクマンの脳裏にペテロとスティーブの名は印象付けられたのである。


 ◇◇◇◇


 11月下旬、ハベロンは酷暑の夏場を迎えていた。

 ハーベイのリングが陽光を反射して白く輝いている。


 その中で、スティーブとケィティは基地内をジョギングしている。

 最新式のインナースーツが多少の汗は吸い取り蒸発させてくれるし、日光もさえぎってはくれるがそれでも暑い。


 ここの所、スティーブとのデートは午前中にジョギングなどの体力増強、特に熱くなる午後は室内で超能力の訓練である。

 市内にも出かけることはあるが、炎暑の中での外歩きはできるだけ避けるようにしている。


 そのお蔭でケィティは随分と身体が締まって来た。

 もともと結構運動神経が発達していた所為せいもあって、すぐに順応できたことがケィティに自信となった。


 護身術は、朝起きると陽がまだ登らないうちに庭先で一通りの型を練習し、陽が落ちてから再度の練習を行っている。

 その所為か、脚の振り上げ、腕の振りがびしっと決まるようになっていた。


 そんなケィティを最初の内は呆れて見ていたジュリエットも感化されて、時々朝の稽古けいこに付き合うようになっていた。

 一つにはケィティの贅肉ぜいにくが取れて身体の均整がとれてきた上に肌艶はだつやの良い美人になって来たからである。


 超能力の方もいくつかの能力が発芽していた。

 テレキネシスは小さなものならば動かせるようになり、同時にテレポートもわずかな距離ならば可能となった。


 今のところは、自分自身をテレポートするまでには至っていない。

 スティーブからは焦る必要は無いと言われている。


 基地内のいつものジョギング順路をひとまわりして宿舎に入り、交互にシャワーを浴びてくつろいだ。

 今日と明日は、スティーブも地上に居る予定である。


「ところで、前に話していたと思うけれど、ジュリエットに僕の友人を紹介したいのだけれどいいかなぁ。」


「えぇ、私は構わないけれど、ジュリエットが乗ってくれるかどうかまでは判らないわよ。」


「ああ、まぁ、僕の役目は二人を会わせるだけだ。

 後をどうするかはそれぞれに任せるしかない。」


「どんな方、ひょっとして軍人さん?」


「いや、今のところは軍人じゃないし、多分、これまでの言動からすると軍人にはならないと思うよ。

 ハベロン大学の大学院生でこの10月からハベロンに住んでいる。」


「まぁ、ジュリエットと同じ大学じゃない。

 じゃぁ知っているかも。」


「いや、ジュリエットは確か電子工学部だろう?

 彼は応用物理専攻だから、そもそも学舎が違う。

 ジュリエットはサルマ街区で、サイモンはナスカル街区の筈だ。」


「10月から大学院なら、ひょっとして私と同期生?」


「うん、まぁ、理屈上はそうだけれど、彼の年齢は20歳だからね。

 ジュリエットより一つ年上の大学院生だ。」


「あら、まぁ、飛び級なの?

 でもそんな人が居るなんて知らなかったわ。」


「大学は、マケドアンのカンブリオ大学だからね。

 ケィティが知らないのも無理はない。」


「じゃぁ、スティーブの後輩なのね。

 昔から親しい人なの?」


「うん、まぁ、歳は離れているけれど、昔から兄弟同然に付き合ってきた。

 僕が言うのも何だけれど、いい奴だと思うよ。」


「そんな人なら、彼女だっているんじゃないの?」


「いや、目下募集中と言っていた。

 彼の基準に合う良いがいないそうだ。」


「で、ジュリエットがその基準に合いそうなの?」


「さて、それは判らないけれど、ジュリエットも良い娘だと思うから推薦したい。」


「確かに会うだけならジュリエットも文句は言わないと思うわ。

 いつ、どこがいい?」


「今日は週末で明日は休みだろう。

 レストランで雰囲気のいいお店があるから、そこにしようか。」


「へぇ、何処なの?」


「マーシャさんがデートに使いなさいと紹介してくれたベルグラッシュという店だ。」


「あ、それ、名前は聞いたことがあるわ。

 何でもとても厳格な会員制のお店で一見の客は門前払いだとか・・・。

 そんなお店に入れるの?」


「マーシャさんが支配人に紹介してくれて、会員になったからね。

 僕が一緒なら大丈夫。

 但し、服装はフォーマルじゃなければ駄目だよ。」


「うーん、ジュリエットは、フォーマルな衣装持っていたかしら。

 あの子、いつもカジュアルだから。」


「なければ、マーシャさんに頼んで急いで仕立ててもらうしかないな。

 彼女なら2時間もあれば作ってくれる。

 その代り代償を求められるかもね。」


「代償?

 あ、ひょっとしてモデル?」

 

 スティーブは頷いた。

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