第33話 クレッセンド家 その二

 ジュリエットは、多分詳細な話を聞いていなかったのだろう。

 クレモナが笑みを浮かべながら言った。


「この年寄からもお礼を申し上げます。

 ケィティは可愛い大事な孫の一人でございます。

 それが危難にでもあったなら私ども家族はきっと大きな心の傷を受けたでしょう。

 すぐにでもお礼に伺うべきところ、お仕事の関係でお会いするのが難しいと聞いておりましたので遠慮申し上げておりました。

 本日は突然の私どものお招きに応じて頂きまして誠にありがとうございます。

 生憎とケィティの父親は仕事で遅くなっておりますが、後ほど帰って参りましたなら、改めてお礼を申し上げると思います。

 恐れ入りますが、会食の後も、どうか父親のディビッドが戻るまで、この屋敷にお留まり下さるようお願い申します。」


「はい、お婆様の仰せに従い、お父様がお帰りなるまで逗留させていただきます。

 それと会食ですが、お父様がお帰りになるまで待っては如何でしょうか?

 僕の方は、遅くなっても構いませんが・・・。」


 セシリアが首を横に振った。


「いいえ、それはできかねます。

 実は、昨日も帰宅したのが10時近い時間でございました。

 先ほども電話をかけて、ディビッドには、貴方がいらしたこと、帰りを待たずに会食を始めることを伝えました。

 ここの所ディビッドだけが遅い食事をることが慣例のようになってしまいました。

 余り良いことではございませんが、おそらくはディビッドの部下の方達も同様に遅くまで頑張っていることでしょうから、責任者たる者が帰宅できない事情は重々承知でございます。」


「なるほど、それは止むを得ないと思います。

 ではこちらの家のご都合の宜しいように。

 私はそれに従います。」


「デリラが食卓の用意をしておりますから、今少しお待ちくださいな。」


 3人がそれぞれ空いた席に座った。

 ケィティは当然のようにスティーブの左に座った。


 ジュリエットが、むすっとした表情で言った。


「ねぇ、お姉さまが危ないところをスティーブさんが助けたって話、私は何も聞いていないけれど、一体何が有ったの?」


 ケィティが慌てて言った。


「ジュリエットには黙っているように私がお母様たちに頼んだの。

 だって、ジュリエットは好奇心旺盛だから、きっと現場を確認するぐらいのことはしかねないし、周囲にき回ったりすると、変な噂がたってしまうからね。

 事情は説明するけれど、セントラルパークも安全じゃないみたいだから、一人では絶対に行かないようにしてね。」


 一息ついてケィティは事件のあらましを説明した。

 その説明でジュリエットは納得したようだ。


「ふーん、それがスティーブさんの言うひょんなことでお姉さまと知り合った経緯なのね。

 嘘はついていないけれど、ずるいわね。

 中身を誤魔化ごまかしているもの。」


 苦笑いしながらスティーブが言った。


「誤魔化したわけじゃないんだよ。

 僕がケィティを助けたお礼で招待されているのに、妹の君が事情を知らないのは何か理由があると思ってね。

 詳細の説明を省いたんだ。」


「まぁ、事情が事情だから許してあげちゃう。

 何せ、お姉さまにとっては憧れの白馬の騎士だもんね。」


 セシリアが訊いた。


「なぁに?

 その白馬の騎士って?」


「ゲームよ。

『妖精物語花乱舞』って、5年前から女生徒や女子学生の間でとても流行っているシミュレーション・ゲーム。

 その中に出てくる登場人物に白馬の騎士がいるの。

 その人が出て来たならそのステージは9割がたクリアできるの。

 何かでトラぶっているときは、お姉さまがいつもぼやいていたわ。

 ゲームじゃなく、実際に白馬の騎士が居たらいいのにって。」


 ケィティがにこやかに微笑んで言った。


「事件のことをジュリエットに内緒にしていたおびに、一つ秘密を教えてあげる。

 ジュリエット、今から言う秘密を誰にも言わないと約束できる?」


「うん、約束するよ。

 どんなこと?」


「『妖精物語花乱舞』のプログラムを造ったのは、スティーブなの。」


「わぉっ、それって・・・。」


 ジュリエットは、じっとケィティの顔を見つめた。

 それから大きく頷いた。


「本当なのね。

 お姉さまが嘘をつくときは私にはわかるけれど・・・。

 驚いたわ。

 5年も前のシミュレーションゲームだけれど、今でも女生徒の間ではトップクラスの人気ゲームなのよ。

 普通ならば半年、いいえ、最近は2、3か月もすれば店頭から無くなるのに、5年経っても店頭から消えない伝説のゲームなんだから。

 ねぇ、スティーブさん、改訂版は出ないの?」


「さぁて、改訂版が必要かな?

 ステージを全部クリアした人はいないはずだけれど・・・。」


「うーん、確かに24ステージまで行った人が、今までの最高記録みたいだけれど、一体いくつまであるの。」


「一応64ステージまで作ってある。」


「64なの?

 じゃぁ、寄ってたかってゲームやってても、まだ半分までたどり着いていない訳?

 それに、・・・。

 ゲームを造ったのは18の時なの?」

 

 スティーブが頷きながら言った。


「うん、そうだね。

 大学卒業の年に造った。」


「へぇーっ、女性の心理を良く知った人が作っているから、作成者は絶対に女性だと思っていたのに・・・。

 お姉さま、気を付けた方が良いわよ。

 若い女性の心理を知り尽くしている人みたいだから、どうにでも操られてしまうわよ。」


「そんなこと心配しても始まらないわ。

 それに、スティーブは若い人だけじゃなく年配の女性心理も良く知っていそうよ。

 知っている?

 我が家に男性の手で花束がもたらされたのは20年ぶりのことだって。

 お蔭で、お母様もお婆様もメロメロよ。」


 二人の年配の女性が、にこにこと微笑んでいた。

 デリラが居間に顔をだし、食事の用意が出来た旨を告げた。


 夕食は最初にスティーブが持ち込んだ食前酒を皮切りに、スティーブとケィティが造った前菜、クレッセンド家自慢のスープ、季節野菜の蒸し煮、カモ肉の煮込み、自家製のプレオ・マフィンに麺料理と多彩であり、程よい味付けは格別であった。

 そうして大きな薔薇の花束はテーブル中央に置かれて爽やかな香りを放っていた。


 スティーブが持ち込んだベルディック産の12年物の白ワインであるシェルーベは、殊の外ことのほかカモ肉の煮込み料理に合っていたし、今一つのハーベイ産の15年物ロゼワインのボレドックは麺料理と季節野菜の蒸し煮の味を引き立てた。

 最後に出て来たデザートのケーキは、特に賞賛を浴びた。


 形、いろどり、味の全てが、ハベロンの有名菓子店のケーキですら凌駕りょうがするように思えたからである。

 ゆっくりと歓談しながら食べる食事は、夕刻6時過ぎから8時近くになってようやく終わり、後片付けをメイドに任せて、クレッセンド家の4人の女性とスティーブは食堂から居間に移って、歓談を続けることにした。


 その後30分程してようやくクレッセンド家当主であるディビッドが帰宅した。

 ひとしきり挨拶を交わして、ディビッドは着替えのために寝室へ行き、その後、食事を済ませてから居間へ現れた。


「折角見えられたのに、不在で申し訳ないことをしましたな。

 何はともあれ、娘ケィティの危難を救って戴いたことについて、遅ればせながらお礼を申し上げます。

 本当にありがとうございました。」


「いいえ、至極当たり前のことをなしたまでのことです。

 それよりもお招きを受けたとはいえ、ご当主不在の家で心づくしの夕食を先にいただいたご無礼こそお許しください。

 仕事柄なかなか予定が立てづらく、今ある機会でしか、お目に掛かるのは難しいかと判断したものですから。」


「いや、それは私の方も同じこと。

 知らせを受けても簡単には帰れない事情を抱えておりましたもので、失礼をいたしました。」


「ところで、その仕事の件で、或いは、私にお手伝いできることが有るかもしれませせん。

 詳細は伺っては居りませんが、新工場でのトラブルでここのところ毎日遅い帰宅と聞いております。

 あるいは、FL1046901の特許に関わる工程でのトラブルではと推測しておりますが、如何でしょう。」


 表面上にこやかに接していたディビッドの顔が急に強張り、驚きの表情を見せた。


「はて、宙軍の中尉である貴方が、なぜそのようなことを御存じか?

 そもそも、社外には絶対の機密事項として扱っているはずなのに・・・。」


「御不審はごもっともでございます。

 ただ、FL1046901の特許は、私が取得しているものですので、委託している管理会社より私の元へは当該特許の使用者名が適宜通知されるようになっております。

 調べたところ、クレッセンド電子機器の使用権が半年前から出ておりました。

 ですからもしかすると当該特許に関わる工場のトラブルではないかと思いまして申し上げた次第です。」


 ディビッドの顔に明らかに安堵感が滲み出た。


「何と、4年も前に特許を出されたのが貴方でしたか・・・。

 宙軍と関わりがあるとは思えない技術ですが、何故に貴方が関わっているのでしょう。

 貴方は技術将校なのですか?」


「いいえ、私は宙軍艦艇の乗組員です。

 ただ、特許自体は、私が大学院時代に申請を行ったものなのです。」


「確か、貴方は23歳の中尉と伺っております。

 中尉としては極めて異例の若さだと思いますが、では19歳の時に大学院に居られた。

 そうして、その時に考案されたということでしょうか?」


「はい、その通りです。」


「何ともあきれた人ですな。

 時代の最先端を行く特許を4年も前に取得されているとは・・・。

 私どもの技師がたまたま貴方の特許を目にし、懸案事項であった集積回路の道筋が見えたので半年前に特許の使用権を申請し、同時に工場を新設したのですが、なぜか工場の作業工程が上手く機能してくれないのです。

 実のところ、我が社のライバル会社がこれまでの集積回路の5割増しの速度を有するチップをこの年末にも発売する予定なのです。

 これまでの集積回路は、我が社と同等、むしろ発熱量と価格の点で我が社の製品の方が若干優位に立っていたのですが、ライバル社が新製品を売り出せば、明らかに我が社が劣勢に立たされます。

 ですから何としても来年早々には、我が社も新製品で対抗しなければならないのですが、・・・。

 いかんせん、新工場が稼働できなくてはどうにもならない。」


「なるほど、御事情は分かりました。

 では、明日にでも私を工場へ同道願えませんでしょうか?

 開発者としての目から、工場の製造プラントに不具合が有れば、何か助言できるかもしれません。」


「貴方が?

 しかし、宙軍の士官がそのようなことをされても宜しいのでしょうか?」


「宙軍の将兵は、兼業が禁止されております。

 これは副業を持つことで、宙軍の任務をおろそかにすることを禁止するためのものです。

 私は、単に私の友人のお父様へアドバイスをするだけで、会社の経営に関わるつもりは毛頭有りませんし、また、一切の報酬を受けるつもりもございません。

 であれば、兼業でも副業でもない筈です。」


 ディビッドは、初めて心からの笑みを返した。


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