第31話 料理と買い物

 目の前の建物は、リシュラン料理専門学校と大きな看板が目に付く。

 この名前はケィティも知っていた。


 花嫁修業の娘さんだけではなくプロの料理人の育成も行っているハベロンでは有名な学校であるからだ。

 玄関ホールを入るとすぐに受付が有った。


 受付嬢がモデルと見間違うような二人を見ながら戸惑いがちに尋ねた。


「学校への入学希望でしょうか?」


「いいえ、そうではなく、学校長のイブ・リシュランさんにお会いしたいのですが、いらっしゃるでしょうか?」


「あの、学校長にアポイントがございましょうか?」


「いいえ、アポは取っておりません。

 もし、おいででしたなら、サルナ号でお会いしたスティーブ・ブレディが面会を願っているとお伝えいただけないでしょうか?」


「畏まりました。

 では、少々お待ちいただけますか。」


 受付嬢はどこかへ電話をかけていた。

 一旦電話が切られ、少しして電話が鳴った。


 受付嬢が出て、何事かを確認したようだった。

 電話を置いて、受付嬢が言った。


「学校長がお会いになるそうです。

 そちらのエレベーターで9階まで上がってください。

 秘書の者が学校長のところへご案内します。」


 二人がエレベーターで9階に上がると若い女性がエレベーターホールで待っていた。

 二人はすぐに学校長室に案内された。


 学校長室には二人の40代後半の女性がいた。

 スティーブの顔を見るなり、ソファに座っていた二人が立ちあがり、一人が言った。


「良くいらしたわね。

 丁度、マーシャと貴方の噂話をしていたところなのよ。」


 そう言われてケィティも気が付いた。

 マーシャと呼ばれた女性は、マーシャ・ペンライズという人で、ハーベイ界隈では良く知られた服飾デザイナーなのである。


 彼女がデザインをした衣装は、ハーベイのみならず共和国連合のかなりの星系で持てはやされているのである。

 そのマーシャがにこやかな笑みを浮かべて言った。


「スティーブ中尉、そちらの素敵な御嬢さんを紹介していただけるかしら?」


「はい、こちらはケィティ・クレッセンド嬢です。

 ケィティ、こちらはイブ・リシュランさん。

 ここの学校長をしておられる。

 そうしてそちらはマーシャ・ペンライズさん。

 服飾デザイナーとして有名な女性だけれど知っているかい?」

 

 ケィティは頷きながら言った。


「初めまして、ケィティ・クレッセンドと申します。

 お二方ともハーベイでは大変良く知られたお方と承知しております。」


 イブが言った。


「クレッセンドといえば、ムラディス・クレッセンド議員の所縁ゆかりの方かしら?」


「ムラディス議員は、父の従兄弟いとこに当たる方です。」


 イブが頷きながら言った。


「そう、ではあの旧家で有名なクレッセンド一族の御嬢さんなのね。」


 マーシャが言った。


「スティーブ、まだこのハベロンに来てさほど時間も経っていないだろうに、どうやってこの綺麗な御嬢さんと仲良くなれたの。」


「え?

 ええ、まぁ、運命のいたずらでしょうか、たまたまそのような機会が有っただけです。」


 イブが苦笑いをしながら言った。


「うーん、残念よね。

 折角、スティーブに良い御嬢さんを紹介しようと思っていたのに、・・・。

 でも、この二人ならお似合いだわ。

 ねぇ、マーシャ?」


「ええ、確かに。

 でも、一度、この二人をモデルに使ってみたいわね。

 スティーブだけじゃなく、この御嬢さんもモノになるわ。」


「あらあら、マーシャはすぐに仕事の話に持って行くんだから。

 船の中でも、スティーブに何度か迫って断られていたでしょう。」


「ええ、でも、何度断られても試す価値はあるものよ。

 それに、この御嬢さんまで加わったなら、倍の価値があるわ。」


「まぁまぁ、それは別な機会にでもスカウト話をして頂戴ね。

 スティーブ、二人してわざわざここに来たのは何か御用があっての事なの?」


「ええ、御用と言うほどの事は無いのですが、イブさんのお言葉に甘えて、趣味の料理をこちらで造らせていただけないかなと思いましてやってきました。

 先日、暇が出来たなら趣味の料理を作るために学校に来てごらんなさいと言われた言葉だけが拠り所よりどころです。」


「おや、まぁ、確かにそう申しましたね。

 料理学校がデートコースになるとは思ってもみなかったけれど、貴方の手料理をこの御嬢さんに食べさせるためかしら?」


「いえ、そうではなく、実は、今夜クレッセンド家の夕食に招かれているのですけれど、御惣菜おそうざいの一つでも造って持っていこうかなと思いまして。」


「なるほど、宿舎では大した調理道具も無いと言っていましたね。

 貴方、住むところはまだ決まってないのかしら?」


「いいえ、宿舎は頂いていますが、今のところ余り使ってはいません。

 ハベロンに来てからかれこれ2か月余りになりますが、宿舎で寝泊まりしたのはまだ二、三日だけなんです。」


「おやおや、やっぱり宙軍さんなのね。

 家で寝泊まりせずとも船に乗っていれば困ることは無いんだものね。

 いいわよ。

 貴方のキッチン代わりに学校の調理室を使わせてあげる。

 でも、今は、どの調理室も使っているの。

 共用で良ければ空いている場所を使いなさい。

 それでいいかしら?」


「はい、使わせていただけるならば、ほんの片隅で結構です。」


 イブは大きく頷いた。

 かくして、スティーブとケィティは学校のエプロンを借りた上で、花嫁修業中の娘さん達の料理教室に連れて行かれたのである。


 実習中のキッチンは、20人以上もの若い娘たちが先生の指導で実習に励んでいたが、二人が教室に入って行くと一斉にその視線が浴びせられた。

 そのほとんどがスティーブに向けられていたものだが、同時にケィティにもやっかみ半分の冷たい視線が注がれる。


 二人は実習とは違うので少し離れた片隅で、調理の準備を始めた。

 冷蔵庫に有る食材及び調理道具は自由に使ってよいとのお墨付きを頂いている。


 スティーブは、前菜と食後のデザートを造ると言って、準備を始めたのだった。

 前菜はエズモア小エビを軽くあぶって、ノルオレンジとバターで造ったソースをかけたもの、マリブレスの青菜あおなを炒めて、生ハムで巻いたものに白いソースをかけたもの、魚肉のテリーヌに薄緑のソースをかけたものの三種である。


 スティーブの料理は実に手際が良い。

 左程難しくない調理はケィティも手伝った。


 出来あがった前菜は、紙で造られた箱型容器に手際よく並べて行く。

 クレッセンド家はメイドを入れて6人、スティーブは9人分を造り、二人分は皿に盛ってそばに付いていてくれている秘書の方にお願いして学校長室に持って行ってもらったのである。


 残りは取り敢えず冷蔵庫に入れた。

 次にケーキ作りが始まった。


 スポンジケーキを作るところから始め、三層に分けたスポンジケーキの間に少し硬めのクリームを入れ、黄色大粒のハーベンベリーを散りばめている。

 そうして表面をチョコで覆い、レイズナー、ビレム、クロモーデの三種の果物を表面に飾った。


 最後に、七色のビーズの入った柔らかいクリームで表面の縁を綺麗な波型で飾り立てた。

 実に見栄えのいいケーキである。


 それも二個である。

 本職のパティシェが造ったと言っても誰も疑いはしないだろう。


 ふと気づくと、実習生と指導の先生が周囲に集まって、その出来栄えを見つめていた。

 そこにイブとマーシャがやって来た。


 イブが言った。


「前菜、とても美味しかったわよ。

 久しぶりに隠し味のアベザールを堪能したわ。

 アベザールは使い方が難しいのに、本当にぎりぎりのところを良く見切っているわ。

 それに、・・・。

 そのデザート、とても趣味の領域じゃないわね。

 スティーブ、貴方、調理人になれるわよ。」


 マーシャが付け加えた。


「それに、モデルにもね。」


「デザートも食べたいくらいだけれど、それは持って行くのよね?」


「ええ、一個は持って行きますけれど、ここを使わせていただいたお礼代わりに一個は置いて行きます。

 どうぞ、味見をしてみてください。」


「あら、本当に?

 じゃぁ、折角だから、遠慮なく戴くわね。」


 イブが自らケーキナイフを手にして二切れ切り取り、ケーキ皿にとって一つをマーシャに渡した。

 そうして自らもフォークで一口食べるとにんまりした。


「うーん、絶妙な味ね。

 スポンジに加えてあるブランディーの隠し味がよく生きているし、生クリームの程よい甘さとハーベイベリーの甘酸っぱさが絶妙よ。

 表面に綺麗に塗ったチョコにも細工がしてあるわねぇ。

 これは・・・。

 ラレーシュの香りかしら。

 うーん、このわずかな香りが全体を引き立てている。

 これは目抜き通りにあるバルディッシュでもそうそうは造れないわ。

 メリーヌ、全員に行き渡るかどうかわからないけれど生徒さんたちに分けてあげて。

 これは滅多に見られない職人技よ。」


 一斉に若い娘さんたちが歓声を上げた。

 皆がワイワイ言いながら食べている間に、スティーブは辞去の挨拶を交わした。


 最後にイブが言った。


「スティーブ、いつでも来てここのキッチンを使っていいわよ。

 貴方が作る料理なら、うちの生徒さんだけでなく教師にもいい影響を与えそうな気がするわ。」


「ありがとうございます。

 では、またの機会に。」


 二人は、前菜とケーキの入った紙の容器を持って、料理学校を出た。

 時刻は4時少し前だった。


 ケィティは、自宅に電話をかけた。

 今日の料理を確かめるためである。


「今日の料理のメインは、ハーベイカモ肉の煮込み料理だそうよ。

 お婆様の得意料理なの。

 我が家の伝統の味かしら。

 ワインはどうする?」


「カモ肉なんだね?

 じゃぁ、まだ時間があるから、一旦、宿舎へ行こうか。

 気温はさほど高くは無いけれど、ケーキも前菜も冷蔵庫に入れておいた方がいい。

 ワインは、お宅に行く前にPXとダーリアンで選ぼう。」


「ダーリアンはデパートだろうけれど、PXって?」


「基地の中の売店だよ。

 ハーベイだけではなく他の星系の食材も色々揃えてある。

 ワインも結構珍しいものが置いてあるんだ。」


「へぇ、それを見るのも面白そうね。

 でも一般人の私が入ってもいいのかしら。」


「うん、君が一人じゃ基地の中には入れてもらえない。

 でも基地内の誰かが一緒なら大丈夫。

 尤も、基地の警戒態勢が厳しくなるとそれもダメだけれどね。

 あ、身分証明書は何かある?」


「学生証でよければ、あるけれど。」


「うん、それでいい。」


 二人はエアタクシーで基地に向かった。

 ハベロンの宙軍基地では、ゲート前でエアタクシーを降りなければならない。


 ゲートから先は、基地内専用の走行浮上車を使って移動することになる。

 ケィティは宙軍基地を訪れたのは初めてであった。


 見るもの全てが目新しい。

 何よりも異人類種族の姿が方々に見られるのには驚いた。


 街中でもいないわけではないのだが、基地内はその頻度がかなり高いのである。

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