隼の王

 指先をストレッチ。ぱきぱきと関節が鳴った。

 風音を吹かせる耳飾りに触れる。

 異形の眼を片側ずつウインクさせて。

 遠くへ行ける、おまじない。

 たちまちのうちに突風が起こり、視界が歪む。

 瞬きをする間に体は浮いて、そして目標地点に辿り着く。

 花の匂いに似た香が焚かれたような、心地の良い空気の中に降り立つと、近くで物音がした。

 仰天した青年が、傍で腰を抜かしている。

「悪ぃ悪ぃ、びっくりさせちまって!」

 身振り手振りを大きくさせて弁明を述べた。

「怪しいもんじゃねぇ、俺は隼の王。王妃セプデトの頼みで、代わりに探し物を承ったんだ」

「あ、あいつの……?」

「そうそう」

 笑顔を張りつけ、身なりを整える。

「忘れ物があったんだと」

「はあーっ!? 自分の忘れもんを隼の王に取りに来させてんの?」

「いやいや、俺から買って出たんだ」

 ざっと部屋を見回した限り、目当ての物はなさそうだった。呪いを使ってしまえば早いのだが、女の子の部屋にそれをするのは気が引けた。

 尻餅をついたっきりぽかんとしている青年に手を差し延べる。

「ところでキミは……王妃の守衛?」

「へっ…あ、ああ、はい。護衛のイアト。です」

「護衛か。この部屋にはよく?」

「はい、いつもここで。王妃が、部屋に篭りがちな人で」

「そうかそうか」

 先ほどよりも目を凝らして、よく見てみたが、やはり目につく場所には置いてないようだ。イアトは視線をあちこちに惑わせていた。

 意を決した様子で彼は俺に言う。

「待っててください。今、もっと偉い人、呼んできますから!」

「うわー! 待て待て」

 俺は大急ぎで出ていこうとするイアトの腕を掴み、巨体を引き留めた。

「落ち着けよ。公務じゃねえんだ、バレた方がまずいんだって」

「そ、そっか……?」

「ここでのことは内密に頼む」

 納得しきっていないイアトだったが、内密、という言葉を耳にした途端、勢いよく背筋を伸ばした。

「キミの力を貸してくれ。王妃のためにも」

「分かりました!」

 堪えきれずに吹き出した。若さっていいなあ。

 おっといけない、ジジイくせぇな。

 俺は腕の魔紋をなぞった。

「んで、イアトくん。王妃が大事にしていた物、どこにしまってるか分かる?」

「大事な物?」

 イアトは顔を顰めた。

「いやぁ…どうだったかなあ……多分、星詠みの道具ですよね」

「うん、その通り」

「無くて困るもんなんて持ってたかあ……?」

 彼の言動を見る限り、彼は星詠みに伴しているわけではなさそうだ。

「あいつ大体、そこにあるもんでどうにかすっからなあ」

 それにしては随分と親しそうだし、関係値が見えてこない。

「えーっと……なんか難しい本とか。星図は製本して本棚で、道具はそこら辺に転がってるやつらだし。服、とか宝飾品…高級なやつは……この部屋にはねえな。いやそもそもそんなん王様に頼んで持ってきてもらうような奴じゃねえし。うーん」

 ぶつぶつ言ったイアトはそこでパチンと手を打った。

「あ!」

「おっ、思い当たった?」

「明けの王からの贈り物は、別にしまってあるはず。そこの寝台の」

「あー…いや、違うな」

「そう、ですよね……」

 いよいよ手詰まりになったらしく、イアトの顔がしょぼくれる。

「すみません、おれ、役に立てないかも」

 大の男のくせして泣き出しそうになっていた。なんだか老婆心がくすぐられて、必死に慰めてやる。正確にはジジイ心なんだが。

「そんな気負うなよ、大丈夫! 隼の王が突然、竜巻と一緒に部屋に現れたら困っちまうよな。ごめんなあ」

「や、ほんと、すみません…おれ、いわゆるエリートじゃなくて、長いこと門番やってたんで、その。落ちこぼれ、っていうか頭、良くなくて……」

「オイオイ、気にすんなよ。過去は過去だろ。今のキミは王妃の護衛で……って、泣くな泣くな。そうだよな、びっくりしたよな、急に王妃の忘れ物を出せと言われたってな…キミだって王妃の全部を知ってるわけないもんな」

 責めているつもりは全くないのだが、イアトはどんどん縮こまっていく。

「ましてや大事な物の在処なんて、王妃がキミに明かすのも変な話だ。酷な質問をしてごめんな」

「ぐす、ごめんなさ、大事な物は…大体この部屋にはあると思うんですけど……っ」

 泣きじゃくっていたイアトが、息を呑む。

「大事な、物……は…大事なものは、抱えて、眠れ」

「うん?」

 イアトがぼろぼろ流していた涙も拭わずに寝台へ走る。そして、巻かれていた毛布を手に取ると、驚愕の表情を強張らせたまま、頷きながらこちらへ寄越した。

 受け取ってみる。ずしりと重かった。布だけの重量感ではない。

 ゆっくりと解いていくと、硬い感触が指先に当たった。

 美しい装飾の施された、真鍮の星時計。

「……ああ、でかした、イアトくん」

 感嘆の息と共に彼を褒めそやした。

「これだ、まさにこれだよ。俺が探していた物は!」

 にっかり笑って彼の肩を叩く。

「んじゃ、俺はこれで!」

「あ、はあ……よ、良かったです」

 星時計を抱いたのとは逆の手で、耳飾りを弾いた。

 異形の眼をウインクさせて、遠くへ行ける、おまじない。

 風に閉じ込められる直前、見えたのはイアトの呆然とした顔だった。

 竜巻の中で、星時計に視線を注ぐ。

「ああ、久々だな」

 思い出す。

 友を。

 彼奴は俺が出会った中で、一番の星詠みだった。夜にあって尚、眩しすぎるほどの青い髪を星空に、砂漠に揺らめかせていた。

 星鑑と。彼奴はそう呼んでいた。

「おまえはどうして、隼の冠をかぶっているの」

 誰もが心を許すような、落ち着いた声音で彼奴は問う。

 星空の下で、俺は答えた。

「鳥の眼は、人には見えない光を視る。それが、生命力を可視するこの眼と重なった」

「ふーん。それがおまえの、赤き導きってことね」

 彼奴の少年のごとき体躯が砂に転がった。

「この地が好きだ、ワタシ」

「変人だな」

「おまえもな!」

「異形の話をするなら、俺よりキミの方だろう」

「歪なだけだ、ワタシは」

「俺は?」

「ん?」

 彼奴がキラキラした目でこちらを指差す。

「イカしてる!」

 面と向かって言われてしまうと、何も返せないのだ。

 あの日。友は何処かへと姿を消した。星時計と、兄弟王子の因縁と、俺を残して。

 ネブラトゥムが星詠みを妻に迎えたと聞いた時は、さすがに運命とやらを疑った。

 久方ぶりに対面した星時計は、記憶していたよりも綺麗に見えた。王妃セプデトが手入れしていたのだろうか。

 大砂漠を渡って、目指すは西の、黄昏の洞。

 軽く深呼吸をする。

 役者は揃った。

 舞台も整えた。

 あとは俺が、脚光を。

 一陣を割るようにして、吹き荒れる竜巻の中に声が轟いた。

「お待ちなさい!!」

「い!?」

 キョロキョロ辺りを見回すと、戦斧が風の壁を叩き壊した。

 驚いて声もあげられない。

 なんとも信じ難いことに、風塵の中に入ってきたのは、見目麗しい女性たちだったのだ。

「見ましたわよ、セプデト様の部屋に巻き起こった風を!」

「短時間にあの精度の転移魔法テレポートが二度も可能なのは貴方様しかおりませんわ、隼の王」

 その転移魔法テレポートを邪魔できるのも、相当な使い手だと思うが。

「ふふ、女は宝物庫でも守っていろ、と頂いたのが活きましたわね」

 思い思いに手にしているであろう武器はどれも、強い魔力を有していた。全ての魔力量を測りたいところだったが、そんなことよりも彼女たちが一体何なのかという方が気になってしまって、集中が削がれる。

「戦うために生まれたんです、飾ってしまい込まれるよりも、使われた方が喜ぶに決まってますもの!」

 彼女たちが乗っている空鱏には見覚えがあった。俺の品だ。いっとう良いのが手に入ったんで、列強の誰かに……ネブラトゥムに。

「年寄りは思い出すのも時間がかからぁ、嫌んなるぜ」

 不安定となった竜巻何もない砂漠の上に着地する。

「お嬢さん方、何者だ?」

「あら、ただの名もなき自警団でしてよ」

「自警団? お嬢さん方が?」

「暗躍の噂は予々聞いておりましたが、まさか盗賊まがいの行動までなさるとは」

 珍妙な仮面を着けている一人が前に出る。

「視えますわ、貴方様の手にしているそれは、我が暁光の都の至宝、星時計」

「ははあ、海のずっと北の意匠だな。俺と同じ眼になる仮面だ」

「看過はできかねますわ、隼の王」

「暁都の宝、お返し頂きましょう」

 瞼がぴくりとひくついた。

 王妃が勝手に引き抜いた護衛がいるという話は聞いていた。手こずるならそいつの相手だろうと考えていた、そう、つまりはイアトは計画に織り込み済みだった。口を割らないようなら幻惑の術でもかければいい。女性だった場合はまた手段が変わるところだったが、力不足に涙する若い大男だったので、安堵していた。

 無事に星時計を手に入れて、二十年前に完遂出来なかった儀式への最後の鍵が揃ったという矢先にこの仕打ちとは。

 心にどす黒い感情が巻き起こる。

「力ずく、でもいいか?」

 表に怒りを、恨みを出さぬように、ゆっくりと訊いた。

「手加減はしねえよ、悪いけど」

「望むところです」

 一斉に戦闘態勢に入る。

「最初からそのつもりでしたわ!」

 奮い立たせるかのような雄叫びを上げながら、彼女たちは向かってくる。

 ちらりと空を見上げると、夜は西の空に傾いてきていた。

 セ・アクが首を長くして待っていることだろう。

「あー、まずいな。さっさと帰ってやらなきゃなのに」

 彼女たちからめらめらと湧き立つ闘志は、若くって、眩しくて。こっちまで若返った気分になって、どす黒い情なんて吹っ飛んだ。

 迎撃の準備を整える。

「凪いで涸れた老耄の心が、年甲斐もなく沸いてるよ!」

 もう流し切ったと思っていた、狩人の血が騒ぐ。

 放浪する翼、最も速く空を翔ける。

 こんな時に思い出す。俺の異名の元は、そういやそっちが先だった。

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