セ・アク

 殺風景な地平を望む。星に紛れて、砂漠の中に灯っているものがあった。恐らくあれが、暁都だろう。

 部屋まで持って来させた夕飯を済ませ、ようやく一息ついたところだった。ネブラトゥムにしては珍しく時間をかけた上に、食べきらずに残した。セ・アクの用意した食事は常に豪勢なもので、味も悪くない。ここで出される食事が体に合わないというほどではなかった。ただ単に、食指が動かなかったのである。

 腰掛けた岩地に、衣を気にしつつ、ごろりと寝転がる。星空を屋根にして、砂漠に夜が訪れようとしていた。彼は大あくびをした。就寝時間であることを悟った。

 ネブラトゥムの眉間は、いつもの通り顰められていた。セ・アクの側近が自分に着いた時、あれはこう言った。

「我が王はその慈悲を以て、セ・アク様をお守りしたのです」

 腹立たしい面だった。

 儀式前後の記憶があやふやというだけで、以前の記憶の全てを失っていたわけではなかった。だが周囲は勝手に、そう思い込んだ。

 暁光の都の玉座は、父が亡くなったのち数年、空席のままだった。次期王をセ・アクにするか、ネブラトゥムにするかで、臣下たちが揉めたからだ。王宮は二つに割れた。どちらを担ぎ上げるのか、長らく水面下の争いは続いていた。セ・アクが呪いやら運命やらに傾倒し始めたのはその頃である。

 兄弟は、少なくとも表向きには、互いに良い関係を築こうとはしていた。

 しかし今でも鮮明に思い起こせる。

「相争ったところで、都のためにはなるまい。都にとって、何がどういった形で最良の結果をもたらすのかを改めるべきだろう」

 そう言ったこちらを見る、セ・アクの表情を。畏敬と絶望の入り混じったような、あの表情を。

「道理だ」

 低く呟いた。

 セ・アクがネブラトゥムを疎んでいるのは明白。問題はなぜ、ネセトまでをも手中にしたいのかである。

 これまで、都を立て直すことに心血を注いできたが故、自身のことを省みるなど考えもしなかった。目下の大義に気を取られ、また気疲れを嫌って放置してきた範囲だ。

 自責もそこそこに朧げな記憶を必死にかき集める。

「セ・アク様にかけられる手筈だった傀儡の秘術を、我が王がお受けになられたのです」

 側近は言った。

「されど儀式は思わぬ方向へと転換し、我が王は呪いを跳ね除けた。その壮大な光景に、臣下の心は一つとなったのです。貴方様こそ、次代の王なのだと」

「傀儡の、秘術」

 脳裏をネセトがよぎろうとした。

「いや待て…待て。セ・アクに、かけられる手筈とは。一体、誰が、なんのために?」

 眠気が覚めた。勢いよく起き上がる。

 あの側近は、セ・アクの教育係でもあった。いわば、最もセ・アクに近しい存在だ。それが儀式を経てネブラトゥムを推したために、分断された臣下たちも悶着はあったものの、団結に至った。

 セ・アクにあの儀式をさせようとしていた者がいたとすれば、それはネブラトゥムの派閥の人間である。が。

 もっと適任へと思いが至ってしまった。

「なぜ、気がつかなかったのだ」

 驚きに満ちていた。

 自身の愚かしさに呆れ、笑いが溢れた。

 いるではないか。呪いやら運命やらに傾倒していた、セ・アク自身が。

「おのれ」

 全てが腑に落ちる。

 怒りも通り越して、ただただ笑いが込み上げてくる。

 何が身代わりか。元より贄はネブラトゥムだったのだ。それを、ネブラトゥム本人の望みかのようにこじつけて周囲を納得させ、儀式に及んだ。彼を傀儡に変え、裏から政を意のままにしようと謀った者こそ、セ・アクだったのだ。

 しかしセ・アクの目論見通りには事は運ばず、この儀式はネブラトゥムが王として認められる一助となってしまった。故に身を引く形で、暁光の都から姿を消した。そして玉座の亡霊となった。王の座を諦めてはいない。

「落ち延びたこの地に居座り、日没の一族と親交を深め、呪いの丘一帯や黄昏の洞の代表と名乗りをあげるほどになったあれは、新たな傀儡を探し求めた……そして、どういう経緯かは知らぬ、知りたくもないが…見つけたというわけだ。ネセトを」

 赤い土地デシエルトの西に位置する列強は、恵みの河の流域にしかない。それより西で国を建てるには、大きな功績と繋がりが必要不可欠である。

 セ・アクは隼の王との貿易を頻繁に行なっている様子だったことから、赤い土地デシエルトの外つ国との交流も積極的に持っていると思われる。いや、あれのことだ、そうに違いない。

 新たな国の王として斡旋する上で、剣の王の子であれば、血統は申し分ない。裏に回る自身とて暁光の都の王子なのだから、十分すぎるくらいだろう。

 そして、功績。

 外つ国の大軍と共に、明けの王が空けた暁光の都へ押し寄せ、侵略し、我が物とする。このネブラトゥムがセ・アクだったならそうする。暁都の明け渡しの際に、王の次に厄介な立場である側近がすでにこちら側だと分かりきっているのだから、煩わしいことなど何もない。

 むしろそのために長らく我が下にいたのだろう、あの側近は。この時を、主人の帰還を、心待ちにしながら。

 考えれば考えるほど、セ・アクの好みそうな筋書きであった。

 無力感に見舞われ、今度は雑に倒れ込んだ。背中を強かに打った。

「……愚か者め」

 手で顔を覆い、唸る。

 指と指の隙間から、星空が覗いた。

二十年はたとせもの年月を費やして、これか」

 ネブラトゥムに対してであり、セ・アクに対してであった。

 途端に全てがどうでもよくなってしまった。兄が上手うわてであったことへの苛立ちであるとか、謀略や画策に抱く馬鹿馬鹿しさであるとか、心で幅を利かせてはすぐに萎んでいった。

 激しい虚脱が襲い掛かる。

 ただ空しかった。

 列強に肩を並べる暁光の都の威光を、命を削ってその輝きを。

 初めから、翳る運命だったというのに。

「運命か」

 散々、鼻で笑ってきた言葉を口遊む。

「いよいよだな」

 参ってしまった。

 乾いた、乾いた笑いが喉を弾ませる。

 星を眺めていれば少しは気も休まるかとも考えたが、雄大な星空を見ていると余計に愚昧が際立つように思えてくるだけだった。

 かといって、部屋に戻るのも億劫だった。瞼が重たくなってくる。

 茫たる頭で、ネブラトゥムは幻覚を見た。

 彼の体は神殿の祭壇に横たわっていて。

 全身に刺すような痛みがあって。

 視界に映るのはセ・アクと隼の王。それから、青い、青い……その青がこちらに、手の届く距離に、星時計を。

「メルセゲル」

 吸気と共に唇を動かした。

 意識が途切れる。

 空が朝へと移り変わる頃まで、ネブラトゥムは眠っていた。あるいは、気を失っていたのかもしれない。

 太陽に照り映えた白い砂が、暗転した彼の視界を眩くする。

「……?」

 背中が痛い。のそのそと起き上がって、砂漠を一望した。暁光の都も、営み始める頃合いだ。赤い土地に住まう者は今日も、厳しい環境を耐え、糧として、逞しく生きるのだ。

 しかし思考に反して、彼の瞳には諦念が宿っていた。

 足下が騒がしい。見れば、セ・アクが近衛たちを連れて忙しなく動き回っている。

 彼の名を呼ぶ。

 セ・アクは驚いたようにこちらを見上げ、安堵の笑みを浮かべた。

「ネブラトゥム!」

 返事はせずに彼らの方へ跳び下りる。

「捜したぞ。暁都が恋しくなって逃げ出したかと」

「逃げるものか」

 近衛たちがネブラトゥムを取り囲む。

 セ・アクは彼の肩に手を置いた。

「今日はお前の誕生の日だな。めでたく思う」

 ほざけ、と言いたいところだったが、今や噛みつく気力もない。適当に頭を上下させた。

 彼の反応を見たセ・アクが目を見張り、そしてほくそ笑む。彼は手だけで、近衛たちに指示を出す。

 先導を始めた近衛たちに、ネブラトゥムは大人しく着いて行った。裸足に滑らかな岩肌が心地良かった。

 日差しが降り注ぐ広場から、洞穴の奥深くへ。

 ネブラトゥムはあの夢を忘れていた。

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