謀略
「なりませんぞ、断じて!」
「父様!」
「お前は黙っていなさい……良いですかな、いくら勅命だとしても、決して認めるわけにはゆきませぬ。手塩にかけて育てた大事な大事な愛娘を、
王の間に響き渡る怒号から逃げるように、イアトは顔を逸らした。
街は今日も賑わっていた。青空の下、鮮やかで煌びやかな、いつもの暁都だ。
「彼に同意せざるを得ませぬ、王妃様。我が娘も含まれている以上は」
「そんな、どうしてお父様」
「当たり前だろう。恐ろしい噂の絶えない危険な場所に、喜び勇んで行く娘がどこにいる。王妃セプデトの策略やもと疑うのは至極真っ当な判断だ」
「その通りだ、現に我らが王がここにいないというのが確たる証拠」
「やめてください父上。セプデト様を貶めるのは。我らが王は、剣の王との共同戦線を組む上で、都にいられないのだと。剣の王が勅宣なさったでしょう」
一向に着地点の見えてこない押し問答にはうんざりだった。しかし、王妃の護衛であるイアトに、この場を去るという選択肢はない。
「おまえたちの、娘を、想う気持ちは尤もだ。だが、ネブラトゥムを、救うにはわたしだけでは足りない。彼女たちの力を、借りたい」
「ですが」
「もうやめて父上。わたくし達はみな、自らの意思で、セプデト様のお力になりたいと考えているのです」
「そうですわ。我らが王が、王妃が、私共に力を貸してほしいと仰っているのです。何を迷うことがありますの?」
「ならぬ、ならぬ! あの地は死を呼ぶと言われておる!! そのような所に行かせてなるか!」
怒りに任せた絶叫に耳が痺れる。
イアトは口をへの字にした。頭上の太陽がじりじりと照っていた。
朝からずっとこれである。
「なぜ、娘たちが同行せねばならないのです!」
「おなごが一人で旅しているよりも、集団で行脚している踊り子とでも偽った方が、受け入れられやすいでしょう」
「ならば、その辺の娘でも勝手に連れて行けば良い!!」
「なんてことを! 父様、家格を下げるような発言は控えてください」
「私共でなければならないのです」
「なぜだ!」
「セプデト様おひとりでは、王妃たる振る舞いに欠け、暁光の都の権威を落とす恐れがあるからですわ」
「そもそもどうして呪いの丘など目指そうとしている?」
「ずっと言ってるじゃない、我らが王の手助けになるからよ!」
「元より王に捧げる身。命の覚悟など、皆とうにできております」
「ええ、そうね…それに、神官様もそう仰せだったではありませんか、お父様」
彼らの視線が一斉にスェスに集中する。
「“王の凱旋は西より始まる”……でしたわよね」
「ヒェ……は、はい。ボクの受けた神託はそれで間違いないですぅ」
かたかたと震えながら、スェスは小刻みに頷いた。
「神託における東とは煉瓦の國、西とは呪いの丘を指すことが多いので……今回もそうかと」
「そのような曖昧な答えで、我が娘を送りつけようというのか!!」
「ヒイィーッ! そこまでは分からないですぅ、すみませぇん!」
彼は半べそをかいて、イアトの背後に回り込む。
「神託はその文言で全てですしぃ、お嬢様たちを向かわせろなんて、ボクは言ってませんからぁ!」
「おれを盾にするな!」
娘たちは真剣な表情で、それぞれの父と向き合う。
必死に説得を試みていた。
「これは都のために必要なことなのです、ご理解ください父上」
「そうよ、命の危険があるって決まってるわけでもないのに」
「わたくしを想ってくださるのは、とても嬉しいことですわ。しかし父様、わたくし達は」
「駄目だ!!!」
「父様!」
「どうして認めることなどできようか! か弱い娘たちが、死にに行くようなものだ! 認めぬぞ、断固として!」
怒髪天といった様子の彼が、そう捲し立てて去っていく。
「認めん、認めん! 都のためだと!? 若い女ごときに何が出来るというのだ!」
「……右に同じ、ということで。失礼する」
「王妃よ、念のため言っておくが。彼女たちを都の外へ連れ出すことは許さない……それからお前たち。最も傍にいるのなら、しっかりと監視しておくことだ。この…王妃が、余計なことをしでかさぬようにな」
「都から出ずとも、都のために出来ることなら、他にもいくらでもあるからな。そちらに精を出したまえ」
男たちは頷きを交わした。
怒りを抑えられなかった彼に続くように、男たちは足早に王の間を後にする。
王宮の遠くで罵声がこだました。
「……」
メルセゲルは眉を上げ、ゆっくりと細い息を吐いた。
久方ぶりに訪れた静寂に、イアトが体をほぐす。
「ようやく耳が休まるな」
背後で縮こまっているスェスを引っ張りだす。小さく引き攣った嗚咽が聞こえた。
「大失敗って感じか」
誰に言うでもなく、イアトが呟く。
扉の方を向いていた娘が、ゆっくりと振り返った。したり顔をしていた。
「いいえ、イアトさん……大成功、ですわ!」
娘たちが顔を見合わせ、きゃっきゃと喜び、互いを讃え合う。緊張感に溢れていた王の間の空気は途絶え、和気藹々としたものに変わった。
健闘を称える彼女たちに、イアトは目を丸くした。
「え、ええ?」
「はあ」
一際大きなため息を吐いたのは、王の間の床に、どかりと胡座をかいたメルセゲルだった。首を回して、体を落ち着ける。
彼女に倣うように、娘たちも床にしなだれた。
メルセゲルが彼女たちを見渡す。
「みんな、ご苦労。辛い思いを、強いてしまって、すまない」
「もう、頭を下げるのはおよしになって。王妃の頭は軽くないわよ」
「お安い御用ですわ、セプデト様。貴女様の発案がなければ、父たちからの言質など一生かかっても頂けなかったでしょうから」
「わたくし達のために、矢面に立ってくださったセプデト様には、感謝してもしきれません」
「明けの王とはそういうものだ」
メルセゲルの声音とは裏腹に、表情は重かった。
心配した娘が励ましを口にする。
「お気を強く持って。我らが王のご不在の間、玉座を守れるのはセプデト様だけ……そして。セプデト様の守る玉座の在るこの都を、私共が守ります」
「ええ、そうね。そのために一芝居打ったんだもの。人生で一番わくわくしたわ、柄にもなく!」
くすくすと笑い合う彼女たち。イアトとスェスは状況が分からず、混乱するばかりだった。
気がつくと、こちらを夜色の双眸が見つめていた。
「何か大きなことを。しでかす時は、もっと大きなことを、しでかしておくんだ」
「はあ?」
「彼女たちを、連れていくつもりは。元からない」
「はあ!?」
イアトが素っ頓狂な声をあげた。
「じゃあ、朝っぱらからやってたあれはなんだったんだ」
「……あのう、セプデトさん。もしかして。彼女たちが都にいる限り、セプデトさんも都にいる、という意識づけを彼らにするために?」
「それもある。条件を、限定すれば、わたしの不在を秘匿しやすくなるから」
「どういうこった」
「セプデトさんは彼女たちがいなければ外出もままならない、ということにしておくんです。もしくは、そういう関係に見せる。すると、彼らの中では、セプデトさんが都の外に出る際は、彼女たち全員を連れて行くのだということになる。つまり、彼女たちの誰か一人でも都にいることを知っていた場合」
「…あんたが都の外にいるとは、夢にも思わねえ……?」
「そういうことだ」
指をさされたメルセゲルが膝を叩いた。
「けど、それだけじゃない」
メルセゲルの意味ありげな目配せに応じたのは、娘たちだ。
彼女たちはすくと立ち上がる。
「わたくし達、自警団をつくりたいのです」
言い放った彼女には強い意志が感じられた。
イアトが首を捻る。
「自警団?」
「王宮直属の衛兵は、もう十全にいらっしゃると思いますがぁ……それとはまた別に、ということですよねえ?」
「ええ。今の衛兵の皆様に不満があるわけではございません。門での番に始まり、都全体の警備、王宮の警護。それらに日々真摯に取り組む皆様を、貶したいわけでは、決して」
彼女の言葉には深い敬意が感じられた。
「ですが。衛兵の皆様の取り組みは、わたくし達の目指すものとはまた違うのです」
「私共には私共の目的がございますので」
「その許可をお父様から頂戴したくて、どうすればいいか王妃様にお話ししていたの」
「セプデト様のお力添えのおかげで、言質を取ることができました」
「あれほど苛烈な会議だったんですもの。セプデト様がいらっしゃらなければ、あの発言を引き出すことすら難しかったでしょうね」
「えーっと、最後のやつ? 都から出なくても、都のために出来ることは、ある」
「はい。あの一言のためだけに、朝早くから舌戦を繰り広げたわけです」
「セプデト様は眠い目を擦って我々に与してくださったのですわ」
「おかげでようやく、面白くなってまいりました」
「いい女を、燻らせるのは、もったいない」
メルセゲルの肯定は確かに重たかった。
「イアト。留守番を、頼む」
「またかよお。全然護衛してねえじゃん」
「イアトさんがいないと、セプデトさんがいないことに気づきやすくなりますもんね。今回ばかりは、仕方ないと思いますう」
スェスは眉尻を下げた。
「でもでもぉ、セプデトさんお一人で行かれるのも心配です」
「平気。旅は慣れてる」
メルセゲルの身が床を滑るように移動する。
「信頼を、置ける者が多くて、幸運に思う。都に動乱を招くのは避けたい、わたしや、ネブラトゥムのせいで」
「お任せください、セプデト様」
「微力ながら、ボクも頑張りますねぇ」
「……飯はちゃんと食えよ」
イアトが手を振ると、メルセゲルはわずかに微笑んだ。
彼女の姿が扉の向こうに消える。
「皆様には、大変なご労力をお願いしてしまい、申し訳ありません」
お馴染みの位置に立ち尽くす、側近の謝罪が低く響いた。
娘たちがまたくすくす笑う。
「あら、よくってよ。このくらい、今更なんでもないわ!」
日中の眩しさにも負けない、輝かしい彼女らに、イアトは目を細めた。メルセゲルが、いいやつだ、と言っていたのを、スェスは思い出していた。
王の間の扉が完全に閉められる。
「我が王妃」
彼女を呼び止めたのは側近であった。メルセゲルの足が止まる。
「ご尽力、痛み入ります」
「……すまなかった」
「貴女様が謝る必要など、どこにありましょう」
「ネブラトゥムを……」
言い淀むメルセゲルの、装束が揺れる。金属製の装飾品の、音が揃う。
側近は頭を振った。
「良いのです、我が王妃。これこそが、我が
メルセゲルが首を傾げた。
「我が主人もお喜びのことでしょう。貴女様は素晴らしい働きをなさった」
「…………ネブラトゥムを、我が王と…誰だ、その、我が主人というのは」
側近は後ずさる。
「命の始まりと同じくして定められた、我が仕える主人はただ一人」
彼との距離を詰めたメルセゲルに、鈍痛が襲いかかる。彼女が気づいた時には既に、その体は床石に伏していた。
背後を窺い知ることも叶わなかった。眼前が揺らいで騒がしい。
「っ……」
「全てはこの時のため。全ては我が主人のため」
暗転する視界の中で、大きな瞳をギロリと動かし、側近を睨み上げた。普段どんな時でも仏頂面であった彼が、見たことのない恍惚した表情を浮かべている。
「舞台は整いましたぞ…我が主人」
安定しない意識はどんどん遠のいていく。
メルセゲルは苦しげに目を閉じた。
側近の、彼の顔が、族長のそれに似ていると思った。嫌いだと思った。
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