第三章 黄昏の洞
プロローグ
砂漠は、死の息づく地とも称される。乾燥し、灼熱と極寒を繰り返して消耗した大地である。そこに自然と形成される日陰というのは数少なく、この洞穴はその一つ。
砂漠を越えて赤い土地のさらに西へ向かうならば、ここが最後の骨休め。都市と呼ぶには憚られるが、独立した自治は存在している。
行商人が広げてみせた織物の上には、各地の品が並べられ、目に新しくないそれを眺めながら、幾重にも枝分かれした洞を通り抜ける風鳴りに頬を緩めた。
「セ・アクどの。昨日の流星群は、ご覧に?」
「ええ。見事なものでした。ご存知と思いますが、この近辺は開けているので」
「ははは、お上手だ」
あからさまな世辞に、鼻筋がひくと引き攣った。
「でしたら、こちらをお目にかけて頂きましょう」
「ほう?」
行商人が周囲を窺ってから、ある物を素早く袋から取り出した。鮮やかな織物に乗せた品々を薙ぎ倒して、それのみを鎮座させる。
そのただごとではなさそうな雰囲気に、好奇心から身を乗り出した。
「これは……見たところ、羅針盤のようだが」
「おお、さすがはセ・アクどの。仰る通りです」
古ぼけたようなそれを、まじまじと見る。装飾は凝っているものの、細かな傷に日焼けなど、使われてきたという年季は否めず、何か特別な物にはとても思えない。
肩透かしを食らった気分だ。
「あ、えーと、実は、これが手元にやってきた経緯が、なかなかに面白いもんでして」
行商人も私の向ける懐疑を察したらしく、声を上擦らせた。
「あのう、これをおいらのとこに持ってきた、薄汚い盗人によりますとね。これは、昨晩、暁光の都で拾った物らしいんです」
「拾った……」
「ええ、まあ、そうです、ははは。それで、これの元の持ち主がね、どうも妖女らしいってんで」
「妖女」
「あれ、ご存知ない? 暁光の都じゃあ、妖女の大捕物があったんでさぁ。流星群の夜が来るちょっと前に」
「それで、その妖女というのが、おたくの元締めの魔法使いの弟子だった、とかいうオチですか?」
「いやいやぁ、それが、親分はどうも関わりないみたいですよ。なんせ、その妖女は、シンの谷から来たってんですから」
行商人の言葉を聞き終わる前に、私は羅針盤を手に取っていた。
「ええっ!? ちょ、ちょっと」
手のひらにすっぽりと収まる大きさのそれを、くまなく確認する。
「返してください、何が起こるか分からねぇんだ!」
「買いましょう」
「へっ?」
「お好きな額を言いなさい」
「い、いやいや、いくらセ・アクどのでもそりゃ」
「私は大丈夫です。知っていますので」
「えっ、何を?」
行商人は目を白黒させた。
問いには答えず、私は控えていた護衛に告げる。
「彼を番台へ。話はこちらから通しておきます」
護衛は足を踏み鳴らし、行商人の背に手を当てた。行商人は納得がいっていなさそうだった。渋々といった調子で、こちらを睨んでくる。
「ほ、ほんとにいくらでもいいんですかい」
「ええ。構いません」
返すつもりはないという意を込めて、彼よりもさらに強く睨めつける。行商人は竦みあがってしまって、それ以上何も言い出さなくなった。
彼らの背中を見送っていると、入れ違いで軽やかな影が篝火に揺れる。するすると近づいてきて、足元に頭突きをしてくる彼女に、私はふと目を細めた。
「マウ」
名を呼んだ。三角の耳がぴくりと跳ねる。
彼女は美しい毛皮の模様を翻し、私の膝に落ち着いた。そして、手中の羅針盤に前足を延ばしてくる。
「こらこら」
やんわりと押さえて、羅針盤を見つめた。
「ようやく、星が巡ってきたようだ」
私が笑んでも、瞳孔をまん丸にしたマウは、首を傾げるばかりだった。
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