運命の日

「ついに、ですね。テラル王」

 喜びの表情を浮かべた、美しい女性が寄り添ってくる。

「お任せください。あの子は必ずや、成功、させます」

 妻の一人である彼女に笑みを返す。

 夜の城塞は、普段とは異なった様相を呈していた。石に反響するのは、呼吸音ばかりで。辺りは静まり返り、仰々しい雰囲気が漂っている。

 黒装束に身を包んだ人間たちに囲まれた、あの子を見た。僕の血を分けた子たちの中で、最も恵まれた子。背丈に頭脳、全ての潜在能力が整っている。

 この儀式が成功すれば、あの子が、そしてあの子が率いることになるであろうこの国は、より強くなれる。期待に胸が膨らんだ。

「ね、ねえ。マジで俺でいいの、名付け親」

 傍に立っていた隼の王が、ドギマギしたような表情を浮かべていた。

 僕は笑ってみせる。

「もちろん。友である君に名を授けてもらえるなら、こんなに光栄なことはないよ」

「……この世でいちばん短い呪いだ、名付けってのは。それを担うなんて、俺の悪名も上るとこまで上りつめたってことね」

「卑屈っぽくならないでよ、お祝いの席なんだから」

 困ったように咎めると、彼は子供みたいに舌を出した。僕の眉尻はまた下がった。

「もう八つになるんだ。長いようで短かった。あの子のセンスは本物だ。あの子が上に立つこの国の行末が、楽しみで仕方ないよ」

 僕と同じ、輝く砂浜の色をした髪に、蒼い瞳。妻に似た線の細さと褐色の肌。

 その子は今、将来の王として、強きを受け入れようとしている。

 誇らしいと同時に、寂しくもあった。

「八年も名無し!? 呼びづれぇだろそれじゃあ」

 隼の王が、異形の黒い目を揺らして仰天する。

「不便そぉ」

「そんなことないよ。名前が無ければ無いで、呼ばないだけだし」

「呼びかける時とかは?」

「うーん。僕を見つけると笑顔で走ってきてくれるから、あんまりこちらから呼ぶことはないな。おーい、とかぐらい」

「へぇ…俺んとこ、子供なんかいたことねぇから分からんが、そんなもんか。無きゃ無いでどうにかなんだな」

「なるなる。だから気負わないで、その時の直感でいいんだよ、名前なんて」

のろい屋ならまだしも、まじない師からいちばん遠いぞ、直感とか、出鱈目つぅのは」

「のっ、呪いだって直感でやってるわけじゃ、ありません……!」

 妻が食ってかかる。

「此度、執り行なう星宿しの儀は、日没の一族に伝わる秘術です。呪いの中でも、最高位の。でたらめじゃないです…っ」

 温厚で慎ましやかな彼女が珍しく気を動転させていた。

「わっ、私は、テラル王に見初めて頂いた。テラル王は私に愛を授けてくださった。そのご恩を返すためにも、私と私の子で叶えたいのです。テラル王の願いを。私は本気です」

「勘弁。怒らせるつもりはなかったんだって」

 隼の王は身軽な動きで僕からサッと離れ、彼女に謝罪を述べた。

「緊張しすぎて刺々しくなってんだよな、俺の悪い癖!」

「……いえ、私も…テラル王のご友人である隼の王に、出過ぎた真似を……どうかお許しください…テラル王」

 ああ、そこで謝る対象は彼でなく僕なんだと、心が冷えた。

 僕は少しばかり、窘めるような口調をとった。

「謝るべきは、君の夫よりも、流砂のキャラバンの王である彼に、だよ。肩を並べる列強として、無礼を働くことは赤い土地デシエルトの不均衡に繋がる。弁えなさい」

「もっ、申し訳、ございません!」

 妻は絶望したような表情で後ずさる。

 僕よりずっと若々しい、隼の王の顔を見つめた。彼は若干の驚きを表しつつも、気にしてない、という仕草で手を振ったので、僕は妻ともども胸を撫で下ろした。

「用意ができましてございます」

 黒装束の一人がしずしずと歩み出てきた。

 僕は隼の王と視線を交わし、それから黒装束を見た。

「分かった。始めてくれるかな」

 黒装束が腰を低くして退がっていく。承知の意を示しているのだろう。

 妻が再び僕の元に駆け寄って、甲冑にその小ぶりな手を置く。彼女とも数秒、見つめ合った。

 僕はあの子を見た。あの子もまた、僕を見ていた。不安そうで、でも笑っていた。

 頼もしくて、切なくて。僕は笑みを返すよりほかなかった。

 あの子が頷く。剣術大会で優勝した時と、同じ、潔い顔。

「星宿しの儀式を開始します」

 その声を合図に、王城じゅうの灯りが消えた。

 いよいよだ。

 僕はワクワクしていた。高鳴る鼓動が、砂漠に響き渡りそうなほど。

「大丈夫かよ?」

 耳元で、隼の王が囁いた。

「なんも分かってねぇんだろ、実際」

「可能性に賭けるくらいなんでもないさ」

 前を見据えたまま答える。

 するとそれきり、彼は追求を止めた。

 黒装束に囲まれたあの子の、身体に刻まれた紋様が、ぼうっと光りだす。生命力に呼応するように、光は増していく。

 はやる気持ちが、強くなったあの子の姿を思い浮かべた。抑えていたはずの笑顔がまた出てきてしまう。

 黒装束たちが何かを唱えながらあの子に歩み寄っていく。あの子をぐるりと囲んでいる輪がだんだんと小さくなっていく。

 紋様がさらに光り、部屋を照らし出すほどにまで明るくなった。

 妻から感嘆の吐息を聴く。僕もまた、目の前の光景に感動を覚えていた。

 人間離れした何かに、あの子が確実に近づいている。

 僕の築いた戟塵の城塞の、より強固な形が、すぐそこまで来ている。

 圧巻の威光に、この上ない幸福を感じた。

「戦が絡まねぇ賭け事は向いてねぇな、テラル」

 ハッとした。

 隼の王が、憐れむような視線を投げかけてきていた。

「それは、どういう」

 問いを続ける前に、勘が働いた。

 魔法への造詣が深い隼の王は、魔力と、その容量に直結する生命力を視ることができる。

 嫌な予感がした。

 あの子の方に顔を戻すと、様子が随分と違っていた。美しかった光の輝きは、いまや眩しすぎるくらいに明るくなって、その中心であるあの子の顔は苦しげに歪められていた。

 黒装束が徐々にあの子と距離をとり、ついには悲鳴をあげて逃げだした。

「お前達!」

 叱咤する妻の顔にも、慄きと絶望が混じっている。

「何をしているのです。儀式の中断など有り得ません!」

「あれを見て分かりませんか、姫!」

「儀式は失敗です!」

「何が起こるか分かりません、すぐに逃げてください!」

 口々に喚き散らしながら、蜘蛛の子を散らすように、黒装束たちは部屋を後にした。

 あの子はまだ苦しんでいる。

「テ、テラル王……」

 こちらを振り仰いだ妻が、愕然とする。

「ひっ…!」

 どうやら僕はその時、随分と酷い顔をしていたらしい。

 死に駆られ恐怖に満ちた彼女の、無様な逃げ方といったら。

 僕はとうに名すらも忘れた妻が走り去っていくのを見送った。

「お、父…様」

 あの子が眩い光の中で僕を呼ぶ。

 僕の足が自然と、あの子の方に。

 父として僕は、あの子の元に行くべきだったのだ。

「待った!」

 あの子に一歩近づいたところで、反対方向に手を引かれる。

「魔法の使えないキミにこれ以上は危ねぇ」

 いつになく真面目な、隼の王だった。

「こりゃどーにもやべぇぞ。ダチとして、キミを行かせるわけにゃいかねぇ」

「けれどあの子は僕の」

「見届け人なら引き受ける。だから行くな!」

 僕はあの子を見た。

 光は既に明るいというよりは白いというに相応しく。あの子を見ようにも、もはや勝手に目を瞑ってしまうほどだった。

 あの子に名前があったのなら、きっと何度も呼んだだろう。喉が潰れるのも構わず、出来うる限りの大声で。

 しかしあの子も僕も、それを持ちあわせてはいなかった。

 僕はただ、あの子がいた方向に、顔を向けることしか出来なかった。

「テラル」

 隼の王が、僕の体をぐいと引く。僕よりずっと小さいのに、僕より力強かった。悔しかった。

 背後に渦巻く砂の中に、僕は引きずり込まれていく。

「命だけはなんとしても繫ぎ留める、約束だ!」

 僕と同じ速度で、隼の王もまた光に取り込まれていった。おとぎ話の王子様のような、勇敢な笑顔を最後に。

 吸い込まれていく。

 有無を言わさず、されど温かい流砂が、嫌でも隼の王を彷彿とさせた。

 僕の視界は暗闇だけになった。

 砂が震えて、遠くで何か、轟音がしたのだと思った。

 あの子を失うと思うと怖かった。今のところ一番の出来のあの子を失うと思うと。僕を、誰が継ぐのだろう。それを僕は許せるだろうか。戟塵の城塞は、僕の望む高みへと至るのだろうか。僕が国を憂うのもおかしな話だが、ただ漠然とそんなようなことを思っていた。

 ざあざあと砂が引いていく。瞬きをした。

 甲冑の表面を払う。

「ひゃー、危ねぇところだった!」

 隼の王の声が響くと、不思議なことに、一粒たりとも、気配を感じなくなった。

 まだよく慣れない目で見渡す。あの子の部屋だった。

「無事か、テラル!」

「おかげさまで」

 声のする方に、おぼつかない足取りで向かっていく。

「あの子は」

 上手く喋れなかった。

 隼の王の影が見えた。彼はあの子を横向きに抱えていた。だらんと垂れ下がった手には力が入っていない。

 駆け寄ってみると、その異様さに目を見張る。

「これは……」

 僕は驚きのあまり、膝から崩れ落ちた。

 あの子の身体にびっしりと刻まれていた紋様は跡形もなく消え去り、それどころか、髪も肌も、何もかも真っ白で。あの子の姿形をした別物に成り果てていた。

「ネセト」

 隼の王は、そんな僕に告げた。意地の悪い笑みにも見えた。

「決めた。この子の名前だ」

 あの子から脱け落ちた色が、今も思い起こせるほどに鮮明に僕の脳裏に残っている。

 忘れることなどできはしない。まるで呪いみたいだと思わない?

 呪いの紋様は、あの子の代わりに僕を選んだのだ。

 あの日、あの夜、その強さに惹かれて、我が子に太陽を降ろそうとした僕への、天罰のごとく。

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