剣の王
剣の王率いる大軍に守られて、無事に城塞へと辿り着いたネブラトゥムとメルセゲルは、それぞれ別の部屋に案内された。堅固な造りの城塞はなるほど確かに、この地を統べる者の根城に相応しい頑強さであった。
王城の召使いは、身形も風貌も、暁都とはまるで違った。
出される食事や飲み物にも、風土が表れていた。
剣の王より招かれた暁光の都の王妃、という一点が独り歩きしたのか、いつもに増して仰々しい扱いを受けた。
何より思うのは、どこにいても物騒な音に囲まれていると感じること。
メルセゲルは窓際に寄りかかり、いつもと違う夜空を見ていた。
「埃くせー空気だ」
「ん、そういえば前に、師匠が錆びついた風と言っていた」
「あ? なンだよ、来た事あったのか」
「あるよ。尤も、こんなに堂々と王城に入ったのは初めてだが」
「そらそーだろ。墓守がオウサマから招待なんざ、されるわきゃねーもんな」
星鑑から響く声は、ル・タのものだ。封じられてなお、人を小馬鹿にしたような口調は健在である。
メルセゲルは、自身と同じく窓辺に置いた星鑑へと視線を向けた。
「ル・タ。なぜわたしを墓守と呼ぶんだ」
それは彼女が、ル・タとの初対面からずっと抱いていた疑問だった。
星鑑から鼻で笑ったような音がした。メルセゲルの髪が夜風に揺れた。
「オマエだけをってわけじゃねー。オレ様はシンの谷の連中をそう呼ぶンだ」
「月影の隣人の生業は墓守じゃない」
「知ってるよンなこと」
「なら、なぜ?」
いつもはおしゃべりなル・タが何も返さない。毎夜、軽口を叩き合う関係となっている彼らの間では珍しい沈黙だった。
メルセゲルは脚を上げ、窓の縁に座った。
「ずっと不思議だったんだ。星は、月影の隣人を墓守と呼ぶ。勿論おまえも。どうしてなんだ?」
「さーな、知らねー」
黙った割にはあっさりとした答えだった。
「直感だよ。本能だ。赤子が快なら笑うみてーに、不快なら泣くみてーに。オマエの言う、他の星なんざ知ったこっちゃねーが……出逢った瞬間、あの瞬間にもう、オマエは墓守だったんだ、オレ様にとっちゃ」
「……そうか」
「納得いかねーだろ」
「そりゃな」
「安心しろ、オレ様もだよ。なんせオマエに訊かれるまで、考えたこともなかったもんでな。それくらい自然なことだったんだ」
「まあ、おまえがわたしの好奇心を満たさないってのが分かっただけでも収穫だ」
「ハッ。お口がわりーぞ、オウヒサマ」
心外だとでも言うように眉を上げてから、彼女は口角を上げた。
今夜も、夜色の瞳に無数の星が煌めく。
他愛のない話で唇を忙しなく動かしていても、メルセゲルの意識はしっかりと星空に向いていた。
「“祝福”というのは……難しい。あれをどう読むべきか、時を待てばもたらされるのか、あるいは」
扉をノックされる。メルセゲルは振り向いて、耳を欹てた。
星鑑からル・タが問う。
「オウサマか?」
返事の代わりに、メルセゲルがゆっくり首を振った。
厚い木製の扉の奥から、衣擦れに混じって聴こえる、甲冑の軋む音。
「剣の王だ」
窓辺から滑り下り、彼女は扉に向かう。
そしてノックを返した。それが戟塵の城塞における、入ってもいい、という合図なのだと、メルセゲルは知っていた。
程なくして扉が開かれる。立っていたのは、彼女の予想通りの人物だった。
「やあ、夜分にごめんね」
「構わない」
メルセゲルが招き入れると、剣の王は優美な所作で部屋を見渡した。
鎧の輝きも相まって、彼には夜が似合うと彼女は思った。
剣の王は、一箇所に固められた荷物を指差した。
「いいんだよ、もっと散らかして。どうか、君の過ごしやすいように過ごしてね」
「気遣いと、もてなしに感謝を」
「おや。さっきまで、こちらの言葉で話してなかったかい?」
「くだけてしまう、ので」
「気にしないで。君の故郷…シンの谷での言語に近いのはこちらだろう。畏まる必要はないよ、公の場でもないんだし」
「よかったじゃねーか」
メルセゲルは束の間、星鑑に視線を飛ばし、そしてまた剣の王に戻した。剣の王が首を傾げる。
逡巡したのち、彼女は膝を折った。
「では、お言葉に甘えて」
「気楽にどうぞ。王妃セプデト」
「……やっぱ気に入らねー」
星鑑に封じられた彼の声は、メルセゲルにしか届かない。
手振りで剣の王に椅子を示したものの、断られる。
「大丈夫、気にしないで」
「訪ねてきてもらって申し訳ないが、明けの王はここにはいない」
「謝る理由はないはずだよ、セプデト。僕は君を訪ねてきたんだから」
「わたしを?」
「そうとも」
にっこり顔を浮かべ、剣の王は壁にもたれた。
「君が、星を見るのが好きだと聞いて」
「食事の席でのわたしの話だろうか」
王宮で彼女たちに叩き込まれたテーブルマナーを披露する機会と意気込んでいたため、会話の内容はあまり覚えていなかった。
ネブラトゥムに失礼ではないと評されて満足して終わっただけだった。
「そうそう。それに君は月影の隣人だろう。一度、話をしてみたかったんだ、二人きりで」
最後に付け加えられた、二人きりで、というのが気にかかり、メルセゲルが眉を顰める。
「待って待って。他国の王妃をいきなり手籠にしたりはしないよ、さすがに!?」
自身の言い回しに、いらない含みを持たせてしまったことへ顔を赤らめた剣の王が、慌てた様子で訂正した。
常ににこやかで、感情の赴くままに表情をころころ変える彼は、ネブラトゥムとはまるで対照的だ。
「どうも君は、僕を怖がっている節があるみたいだから、少しでもそれを払拭できたらなと思って……僕は怖がられるのには慣れてるけど、怯えさせる気があるわけじゃないからさ」
「なる、ほど…?」
「つまるところ、仲良くなりたいんだ、君と」
「月影の隣人に裏切られておきながら?」
「君がそれを言うのかい」
「だからこそ」
「へえ?」
「ただの確認だ。わたしを害するつもりがおまえにあるなら、とっくにやれているだろうからな」
「否定はしないよ」
彼は肩をすくめた。
「しないけどさ」
剣の王が唇を尖らせたまま本気でしょんぼりとしてみせるので、メルセゲルは降参の意を込めた息を吐いた。
彼女は不意に剣の王に背を向け、積荷から書物を引っ張り出す。
「……星見を好むといっても、残念ながらロマンチックなやつじゃないぞ、星詠みは天文学を基盤とした学術だ」
めぼしい何冊かを手にしたメルセゲルは、剣の王の手甲をつついてそれらを持たせた。
「地味で、地道だ。読んで、編纂する、それだけ」
「これ全部、君が?」
彼は目を丸くした。
「すごいね」
「いいや、すごくはないよ。やりたくてやってることだ、わたしにとっては」
剣の王は夢中になって、彼女の渡した本をめくった。
「そうせずにはいられない、と言った方が正しいか」
食い入るように書面に見惚れていた剣の王が、ふと懐から巻物を取り出した。それを広げて、メルセゲルの物と見比べる。
視線を往復させる彼に倣って、メルセゲルもそれを覗き込んだ。
「
彼女が意外そうに声を上げた。
目を輝かせるメルセゲルに、剣の王が頬をかく。
「やあ、お恥ずかしい出来なんだけど。僕のこれは独学だし」
「興味深い記述だ」
「気象学から発展させたんだ、兵法のついででね」
「雲行きや風向きを見る学問だな」
「経験則も勿論あるけど、天候を制する者は戦を制す、だから。兵法や軍議の場においては、勉強しておいて損はない学術だよ、おすすめ。まあ、魔法でどうにかされちゃったら、どうしようもないんだけどね」
眉尻を下げて、彼は笑った。
「でも、知っておくことは重要なんだ。知っている、という差が、勝ちの一手を生むこともある。だから是非、君の知識も吸収できたらと思って。あはは、ごめんねー、年甲斐もなく必死になっちゃって」
「いや、立派だと思う」
剣の王の威光を垣間見た気がして、メルセゲルは目を伏せた。
「勝利へのこだわりが、おまえを突き動かしているんだな」
「強くなる為にはなんでもするよ」
彼の鎧に、不気味な光が宿る。
「失敗作の話、覚えてる? 僕が星を見るようになったのは、その時から」
「覚えているが…何か関係が?」
メルセゲルが訊くと、彼は笑顔で彼女を見下ろす。
言いようのない圧力にメルセゲルの全身の毛が粟立ち、彼女は後ずさった。
外から、ちりついた風が吹き込む。
「ネブラトゥムの星を還したのは君だね?」
「っ……」
メルセゲルの目が大きく見開かれる。
彼からさらに距離を取ろうと後ろへ傾けたメルセゲルの上体はしかし、剣の王が抱き留めてしまった。
迫る彼の蒼い瞳は、恐ろしいくらいに澄みきっていた。
苦しげに息を漏らしたメルセゲルは、顔を背けた。
「なぜ、それを」
「見れば分かる、生命力が目に見えて回復していたから。あの子の中に巣食っていた星を、誰かが抜いたということになる。あの子が結婚するなんて何か事情があるとは思った……そして君のこの優秀ぶりを見て確信したよ、王妃セプデト、君はなんて素晴らしいんだろう」
視線はメルセゲルに注がれていたが、彼女を見てはいなかった。
「どうしてネブラトゥムの中に星が宿っていたか、疑問に思わなかったかい」
狂気じみた笑みだった。
「僕の息子の一人、星宿しの失敗作。運命の日…あの儀式の夜、なんの因果か星は、ネブラトゥムを選んだ。儀式に失敗したあれは以降、感情も意思もない抜け殻と化した」
「星宿しの儀だと……!?」
メルセゲルの瞳に憎悪が滲んだ。
「愚かなことを。あれが禁忌とされているのは」
「そう、儀式を成功させる為に何が必要か、判明していないからだ」
「冗談だろ。ほとんど何も分かっていない状態で執り行ったのかよ」
「あれの母親は、僕を繋ぎとめておきたくて、秘術に手を出したんだ。僕も興味があった。人の体に星を宿すことで、どのような事が起きるのか」
「命を喰われるだけだ」
「でも少なくとも、ネブラトゥムはそうじゃなかった。昼は明けの王として、夜はル・タとして、暁都の象徴であり続けた。暁光の都という国家もその間、列強であり続けた」
「あいつの生命力と引き換えに、だ!」
メルセゲルが声を荒げ、蜘蛛足のような手で鎧に掴みかかる。
「おまえ、そこまで知っていてなぜ、ネブラトゥムを放っておいた」
「他国を侵略するならば、内内が消耗しきっている時が狙い目だもん、当然だろう。楽しみにしてたんだ、ネブラトゥムと死力を、国力を尽くして闘り合うの。でも、そうならなかった。君があの子を救ったから、そうだよね?」
「だったらなんだ」
「僕が君と、二人きりで話をしたかったのはそこさ、星詠み。あの日、どうして儀式が失敗に終わったのか、どうして星はネブラトゥムに宿ったのか。思いを馳せながら、毎晩のように僕は空を見上げるんだ」
絹糸のような髪と同じ色をした、彼の睫毛が弾んだ。
「星の力。本来は僕の息子に宿るはずだった、未知なる強さ。ネブラトゥムが、暁光の都が、それを手放したのなら」
剣の王の厳めしい腕がメルセゲルを締めつける。
「返してほしいんだよね」
メルセゲルの身体から、みしみしと軋む音がした。
朗らかに言った彼の顔は、やはり笑っていた。
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