凶兆

 今宵も都は大騒ぎだった。

 東門の柱に寄りかかり、イアトは暁都の喧騒に苦笑を浮かべた。

 大騒ぎどころではない。これではお祭り騒ぎだ。

「それにしてもすげえな」

 門兵が口々に上を見上げては頷き合う。

「あるんだなあ、こんなこと」

「流星ってのは話には聞いてたが、こんなにすげぇとはなぁ」

「えっ。知ってたのか、イアト!」

「なんだ、知らねぇのかよ。よく聞くだろ、海とか、川の向こうから来たやつとかからさ」

「門番と違って俺らは忙しいからなあ」

「なにを」

 イアトが肩を怒らせると、門兵たちが豪快に笑った。門を挟んで都の内を警護する門兵と都の外を監視する門番とで、確かに駆けずり回っている時間は門兵の方が多いだろうが。

 ひとしきり笑った後、誰からともなく空を見つめ、なんとなく、胸がいっぱいになって何も言わなくなる。

 星が降り始めてから何度も繰り返されたやり取りだった。

 イアトもまた、彼らに倣って夜空を見た。

「けど、こんなの、生まれて初めて見るなぁ、ほんと」

 見惚れる彼の吐息に、河からの風が混じる。

 砂漠に向かって星が降り注ぐその様は、誰が見ても圧巻の光景だ。

 門兵らをからかい、平静を装っているふうなイアトだったが、実のところ、彼自身も浮き足立っているのだった。

 寧ろこれを前にして、冷静でいられるだろうかとまで思う。暁光の都に生きていて、そうそうお目にかかれるものではないと、容易に理解のできる壮観なのだ。

「羨ましいな、今晩呑める奴らはつまみに困らなさそうだ」

 イアトが冗談めかして言うと、門兵たちは違いないと頷いて盾を叩いた。

 すると突然、都がカッと明るくなる。

「な、なんだ今の」

 目も眩むような白い光が一瞬、暁都全体を包んだのだ。

 イアトは目を擦る。

「敵襲か!?」

「南の方角じゃなかったか!」

「兵長殿に斥候を送れ!」

 門兵らがにわかに慌ただしくなった。

「住民に被害がないか確認を」

「町に混乱があれば沈静を」

 ガチャガチャと鎧を鳴らしながら彼らは走り去る。

「じゃあなイアト!」

「あっ、おい!」

 話し相手がいなくなってしまったのを初めは残念がったが、ああいった事態に対応するのが門兵や衛兵の仕事であるとイアトは思い直し、彼らの健闘を祈った。

 櫓から彼を呼ぶ声が飛んでくる。

 そういえばまだ物見がいた。

 あまり言葉を交わしたことはないが、退屈な仕事の暇つぶしになってくれるなら、この際、誰でもよかった。

 イアトは門をくぐって、都の外、門番の定位置に戻る。

「なんだぁ?」

「南に何か見える」

「何かって……川の方か?」

「南門の側だ」

 イアトは物見の言う方向に目を凝らしてみたが、星々の明滅でよくは見えない。

「外壁に沿って、まっすぐ」

「砂鯨じゃねぇか?」

 壁に体を預けたイアトが軽くあしらう。

「日も跨いだし、係留所の連中が泳がせてんだろ」

 あちらは南門自体の大きさもさることながら、都に入るための機関や設備類も充実している。砂鯨の係留所もまたその一つだ。

 夜が更け砂が冷めた頃に、係留されている砂鯨たちを遊泳させるのも、係留所の日頃の役割であった。

 しかし物見が否定を口にする。

「いいや、それにしちゃあ動きが速すぎる」

「なら野生なんじゃねぇの?」

 イアトは腕を組んだ。

 大らかで懐っこい砂鯨は人間が移動手段として飼い慣らした種だが、砂漠を渡る道すがら、野生の砂鯨に出会うことはよくある。

 だがそれでも物見は不満げだった。

「都のあんな近くに野生の砂鯨は来ないだろ」

「……何が言いてぇんだ?」

「心配なんだ、イアト。お前が妖女まじょに魅入られた夜よりも少し前に、大きな流星を見た。こんなのの比じゃない、でっけぇのが、ひとつだった。そんで今夜がこれときたもんだ。たくさんの流星に、さっきのあの光。俺には不吉に思えて仕方ねぇ」

 物見が不安げに遠くを見つめる。

「なんもなきゃいいが」

 空恐ろしくなったイアトは身震いした。物見は目が良い。しょうもない嘘を言う奴でもない。

 それまで美しいと思っていた流星群が、途端に何か得体の知れない恐怖の顕われのように思えてきて。

「なあ、あれ、こっちに向かってきてるぞ!」

 物見が弾かれたように叫ぶ。

「間違いない、来ている、こっちに来ている!」

 イアトが見ると、確かに、いる。影のような大きな何かが。

 それは見ている間にも巨大化していく。

 違う、大きくなっているのではない。そう錯覚してしまうほどの速度で、イアトの方に近づいてきているのだ。

「砂鯨だ、イアト、お前の言う通り。だけど速すぎる、それに数も多いぞ! 本当に野生が暴走してるってのかよ、あんな群れで!?」

 物見は慌てふためいて、イアトの方を向いた。

「イアト逃げろ! あんなのにぶつかったらひとたまりもないぞ!」

 分かってる。

 渇いた喉からはしかし声は出ず、自慢の逞しい脚も竦んでしまって動かない。

 影はどんどん迫ってくる。地響きが、彼の頭にまで届いていた。

「イアト!」

 彼の名前を叫び続ける物見も、それ以外にどうすることもできなかった。飛び降りて彼を庇ったとて、被害者が一人から二人になるだけだ。

「門の陰に隠れろ、早く!」

 イアトは動けなかった。

「盾だ、盾を構えろ!」

 影がイアトを呑み込まんとする。物見は思わず目を固く瞑った。

 しかし、地鳴りはそこでぴたりと止んだ。

 おそるおそる、物見が目線を眼下にやると、なんとイアトは無事だった。

 イアトとほんの数人分の距離をとって、砂鯨は止まったらしかった。

「大丈夫か!?」

 物見の問いかけに、頭を何度も縦に振る。

 砂鯨の巻き上げた砂を一身に受け止めたイアトは、尻もちをついただけで特に怪我もしていなかった。

 口に入った砂を吐き出す。

 軽い足音が近づいていた。

「入れてくれ。急いでる」

 放心状態のイアトの元にやって来たのは、メルセゲルだった。息を切らした彼女は、大きな何かを引きずっていて、門に取りつけられた松明がそれを照らした。

「ひっ」

 紛れもない、明けの王の姿をしたそれに、イアトはギョッとした。

「そ、それは一体」

「待て!」

 砂鯨の影から声がした。

「本性を現したな、妖女まじょ!」

「なぜ英雄が王の姿をしているのだ!」

「ル・タにかけた術を解け!」

 続々と衛兵たちがやって来る。

 メルセゲルの後を追ってきたようだった。肩で息をする彼らはどれも、イアトの見知った顔ぶれだった。

 彼女をとり囲んだ彼らだったが、誰一人として捕らえようと近づく者はいない。メルセゲルが妃であることが影響しているのか、衛兵たちは躊躇している様子だった。

 膠着状態の中、イアトが上擦った声をあげた。

「待て待て、待ってくれ」

 時間をかけて立ち上がる彼に、皆の視線が集まる。

「まず、南門の警護はどうしたんだお前ら」

「していられるか!」

 まあそうなのだが、とイアトは眉を上げる。

妖女まじょがル・タに術をかけ、王の姿に変えたと思ったら、引きずって門の外へ出ようとしたのだ! そして係留所で最も大きな砂鯨を盗み、逃げたのだぞ!!」

「わたしは星詠み、盗賊じゃない。借りただけ。返す、ちゃんと」

「立派な犯罪だ馬鹿者! 我々は間違っていない! こんなこと言ってるんだぞ、追うだろう、都の衛兵なら誰だって!」

「そりゃそうだ」

 頭上から、物見の同意が降ってくる。

「けどよ、お妃さまが止まらなかったら、お前ら、イアトを轢き殺してたんだぞ!」

「それはこの女の責だろう!」

「いいや、違うね。お前らが総出で砂鯨を引っ張り出してまで死に物狂いで追っかける必要があったのかって言ってんだよ」

 周囲のあまりの取り乱しぶりに、物見はすっかり冷静さを取り戻していた。

「さっきの光で町は大混乱に陥ってる。現に東門の連中は住民を落ち着けるために繰り出してったぜ。あいつらみたいに、そっちを優先するとか、そっちに多く人員を割くとか、考えなかったか?」

「我々は見ていたんだ! 元凶はこの女だ!」

「だからって、本当に追っかけ回す以外に策はなかったのか?」

「逃げるということは、やましいことがあるということだろう。捕らえて、事情を聞かねばなるまい」

「それも怪しいな」

「何がだ!!」

「お前らが血相変えて追っかけ始めたから逃げたんじゃあないのか、お妃さまは」

 衛兵たちが押し黙る。

 イアトはメルセゲルを見た。

「どうなんだ?」

「後を。追われたので、逃げた」

 そう言う彼女のヴェールは砂埃にまみれ、ちらちらと細かな輝きを放っていた。

「髪を、また掴まれるのは、ごめんだ」

「ほらな!」

 勝ち誇った物見がうんうんと頷いたのを、衛兵たちが恨めしそうに見上げる。

 イアトは、彼女の足元に転がされた屈強な男を見つめた。

 衛兵らによれば王の姿をしているル・タだというが、何故そんなことを彼女がしたのかは誰にも見当がついていないようである。

 深い眠りの中にいるのか、起きる気配は全くない。

 櫓の上から、物見が問うた。

「お妃さまはなんでここに来たんだ?」

「そ、そうだぞ。なぜ東門へ逃げ込もうと目論んだのだ!」

 口を挟んだ衛兵をイアトがじとりと睨む。

 メルセゲルはしばし考えるように俯き、目の前のイアトを指差して言った。

「手を。貸してくれると思った」

「へっ、おれ?」

 彼は目をぱちくりとした。

「な、なんで」

 確かに彼女を暁都に入れたのはイアトだが、それだけの関係だ。彼女は捕らえられ、イアトも神官の元へ連れて行かれた。以降、なんの関わりも持っていない。

 心当たりがなかった彼は腕を組んだ。

「……」

 メルセゲルが指で風を掬う。顔を近づけろ、という仕草だ。

 素直にイアトは従った。身を屈め、耳を彼女の目の前に持っていく。

 彼女がヴェールの奥の唇をかすかに動かして、告げた。

「お前の名を覚えているぞ、ケア」

 ひゅ、とイアトの喉が鳴った。

 怒気の込もった、悪意ある声音だった。

 メルセゲルの口角が上がっているのが、より彼の恐怖を増幅させた。意地の悪い笑みだ。そう、まさに、誰もが思い描く魔女のような。

 彼女は本気だ、とイアトは思った。逆らおうものならきっと、どんな手を使ってでも災いを自分にもたらすつもりだ、と。

 妖女まじょではないとしきりに彼女自身は言うが、本当に彼女が妖女まじょじゃないかどうかなんて、誰も知り得ない。

 少なくとも、この暁都に、それを知っている者はいない。

 そうだ、そもそも何故、王は妖女まじょと呼ばれる女と婚約したんだ?

 イアトの額を冷や汗が伝う。

 神官どのの託宣が彼女を指していたのならば。彼女が本当に、暁都ごと変貌させられるような、強力な妖女まじょであるならば。こうも自信に満ちた顔で自分を脅せるということは。ル・タという暁都の英雄が倒されたというのならば。流星群の夜、今ここに、王が横たえられている理由は。

 何もかもが不明瞭で、謎めいている。それでいてなぜか、彼女が答えを持っているのだという確信はある。

 考えるのも悍ましい憶測が、イアトの脳内で氾濫していた。

 彼はごくりと唾を呑んだ。

「手を」

 メルセゲルの瞳を、流星が横切る。

「貸してくれるな?」

 彼女が首を傾げると、鈍い金属音が響いた。

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