エピローグ
「セプデト様」
行く手を阻む女性たちに、スェスが怯えて息を呑む。
瞼を閉じたくなるような鮮やかさと煌びやかさで己を飾る彼女たちは、咄嗟にメルセゲルの後ろに隠れた彼にも、たおやかな視線を送った。
「神官様も。ご機嫌麗しゅう」
「あぁ、お、おはようございますう」
スェスは苦笑いを浮かべると、不安げな眼差しでメルセゲルをうかがった。
そんな彼女はにこりともせず全員を見渡し、会釈をする。
「おはよう」
「ええ、おはようございます」
進み出たのは、大人びた雰囲気の女性だった。
「本日は、お礼を申し上げに参りました」
「いいよ。詫びを、もらった。あれでおあいこ」
「いえ、そういうわけにはいきませんわ」
強気な女性も歩み出てきて、彼女に食い下がる。
「第二王妃に選ばれれば、セプデト様との関係もより重要になってきますもの」
「お姉様方の言う通り。それに、あなたの振る舞い如何は、暁都の威信にかかるのよ」
「こら、慎みなさい」
「だって!」
「失礼をお赦しください、セプデト様。しかし、彼女の言い分も尤もです」
「うん、そうだな」
「そうなのです。煩わしくても、そういうものなのです」
「戦いを、している。おまえたちは、おまえたちの。分かってる」
「はい。ご承知おき頂けて何よりですわ」
「家を、名を、生き残りを、賭けている」
「左様です」
「立派な戦士だと、思う。都の、誇りだ」
「まあ、お上手ですこと」
彼女らは口に手を添え、上品に笑った。
差し込んだ朝日が、艶やかな彼女たちを照らす。
恵まれた肉体と、逞しい心を持ちあわせる。故に好戦的と捉えられがちだが、こうしていると本当に淑やかな女の子たちである。
「けれど、それはセプデト様も同じことと存じます」
「いや。わたしは非力だよ。星詠みは戦士じゃない」
「うふふ、ご謙遜を」
体格の小さなメルセゲルに対して、女性たちが一斉に膝を折ったので、スェスは思わず跳び退いてしまった。
常日頃、王宮の女性がその場から下がる際に行なっている礼で、彼も見慣れているのだが、こうも揃った動きをされると否が応でも驚いてしまう。
大人びた雰囲気の女性が頭を上げる。
「それでは、私たちはそろそろ」
「ああ。良い日を」
「ありがとうございます。セプデト様も、どうぞ良い一日をお過ごしください」
「また遊びにいらしてね」
「ご機嫌よう」
思い思いの別れを口にしながら、女性たちは宮殿の方へと去っていった。
彼女らの姿が見えなくなったところで、ようやくスェスは胸を撫で下ろす。
花と油の香りがまだ辺りに残っている。
「よ、よかったぁ、何事もなく済んで」
妃の座を争っていた彼女たちのことだ、突如現れ、それを奪っていったメルセゲルを快くは思っていないだろう。実際、メルセゲルがやって来た当初は、彼女を疎むような陰口を王宮内でよく耳にしていた。だから、何か物騒なことでも始まるのではないかと、スェスは内心気が気ではなかったのだ。
メルセゲルが眩しいものを見るような目をしていた。
「あれが陽光の恩寵なんだろう」
それから呼吸をおいて、続けた。
「もっと醜いのを、知っている」
そう言う彼女に翳りが増して、スェスは言い知れない恐怖に身を震わせた。
含みのある言い草には、ただの冗談ではない、真実の重みが感じられた。
ゾッとする彼を、メルセゲルはおいていく。
「知りたいか」
「へ?」
スェスが追いついたのを気配で察したのか、彼女が問いかけた。
少し後ろを歩く彼から間の抜けた声が出る。
メルセゲルは前を向いたままだった。
「何を。してたか、あの十日」
「し、知りたくないですぅ! 結構です!! この話の流れでそんなこと聞きます!? 怖いじゃないですか、絶対やめてください!」
スェスの、顔の前で勢いよく両腕を振る仕草に、彼女の口が弧を描いた。不均整ともとれるくらいに大きな彼女の双眸は、メルセゲルの笑顔をぎこちないものにさせる。
その様にスェスは再び、ヒイと肩を縮こまらせた。
彼女の笑みは、社交辞令で浮かべるそれに似ているのだ。スェスにとって、多くの嫌な思い出が詰まった表情。宮殿でよく目にする、あの仮面の笑みに。
スェスがしきりに袖口を引っ張ったり、手をさすったりするので、メルセゲルは彼に顔を向けた。
スェスの足取りが重くなる。
「あのう……申し訳ございませんでした、セプデトさん」
「なんで?」
「だってだって、ボクだけ先に逃げてしまいましたしぃ……」
「おまえを、巻き込んだのは、わたし」
「でででですが、あまりにも…そのう、不義理じゃないですかぁ」
「そうかな?」
メルセゲルは天井を見上げた。曲面だというのに、見事な装飾がなされている。
「義理を、果たしてると、思うが。逃げろ、と言った。おまえは逃げた」
「そうですけど…」
スェスが言葉を続けようとして、前方から近づいてくる気配に気がつく。
よく磨かれた石貼りの床を、ネブラトゥムが歩いてきていた。
「あ、あっ……ではっ!」
スェスはろくに別れの挨拶もせずメルセゲルに頭を下げると、進行方向とは逆に、ぱたぱたと走っていってしまった。
メルセゲルがそれをぼうと見送る。律儀なやつだ、と彼女は感心した。
スェスの小さくなっていく背中を眺めていると、視界が変わる。
熱い手に抱えあげられるのにも慣れてきた。
「おはよう、ネブラトゥム」
背後にいるであろう人物の名を呼ぶと、メルセゲルが感じていた浮遊感が薄れ、床にそっと下ろされる。
振り向くとやはり、そこにはネブラトゥムが立っていた。
「朝食は?」
「とった」
「ならばよし」
ネブラトゥムの調子は、あの一件など無かったことのように以前と変わらない。驚くべき回復機能であった。生まれ持った、類稀なる肉体の力によるものだろうとメルセゲルは推測している。
「睡眠を、とったか、ネブラトゥム?」
「ああ。腹立たしいことに体が軽い」
変わったことといえば、流星群の夜以降、彼の目の下のクマが徐々にマシになってきていることくらいか。
それだけでもメルセゲルには十分だった。
「ならば、よし」
彼女が言うと、ネブラトゥムが意外そうに眉根を上げた。
あのままル・タを放置していたら、近いうちにネブラトゥムの身体は限界を迎えていただろう。それほど事態は逼迫していた。一つの体で、昼間は王として執務をこなし、夜になれば盗賊として都を駆ける。それを長年続けていたのだ。疲労が溜まって当然だ。
というかここまで身体がもっていたのも相当である。
まじまじと巨体を見るメルセゲルに、ネブラトゥムが問いかける。
「星時計は?」
「部屋に」
彼は緩慢な動作で顎を上下させた。
メルセゲルはしきりに星鑑というのだったか。
輝きの増したそれを目にした時、従来のように宝物庫へ戻すことも考えた。だが星を封じている物をただしまいこんでおくというのもどうかと思い、管理をするようメルセゲルに命じたのだ。
「民に危険が及ばぬのならなんでもいい」
「おまえにも、な。あと、暁光の都にも」
「……」
口をつぐみ、メルセゲルを見下ろす彼は、顔を顰めていた。
「形容のし難い女だ、お前は」
「単純だよ、わたしは」
ネブラトゥムは顎をさする。
婚儀を挙げた翌日のことを思い出していた。
結婚の祝いにと、どれだけ華やかな衣装を贈られようとも、どれだけ煌びやかな宝飾品を贈られようとも、呆気にとられたように、はあ、と戸惑いのままに言うだけだった。後日、王宮に届けさせるので欲しいものはないかと問われれば、消耗品である筆記具ばかりを列挙するメルセゲルを。
彼女の所望品に唖然とする者らの表情を眺めていると、なんだかおかしくなってきて、ネブラトゥムは奥歯を噛んで口の端を引き結んでいたのだった。
さらに思えば、彼女とは、顔を合わせれば周辺勢力の情勢や暁都の政を主とする話ばかりを交わし、夫婦らしい会話など、一つもしていない。
ネブラトゥムが言った意味の答えとして、果たしてそれを単純というのが正しいのかどうかはさておき、メルセゲルの反応が、どうあれ彼の心を波立たせないことは確かだ。
王宮のあちらこちらで人々の活発な声が飛び交う。
「じきに、営みの朝が来る」
「……そう、だな」
彼女が半ば上の空のような受け答えをした。
見ると、少々落ち着かない様子で睫毛を伏せている。
ネブラトゥムは先ほどから気になっていたことを口にした。
「その召し物、初めて目にする」
「あ、うん」
「その金細工も」
メルセゲルの足首から甲にかけてを飾る、見事な装飾を示す。
「誰からの贈り物だ。礼の手紙をしたためなくては」
こういったことを怠ると、のちのち外交に響く。
しかしネブラトゥムの予想とは裏腹に、彼女から打ち明けられた贈り主は、なんとも言い難い相手だった。
「婚約者たちだよ、おまえの」
彼女は平然と言ってのける。
ネブラトゥムの耳がぴくりと動いた。
「お前以外と婚儀を挙げた覚えはないが」
「そうだったか」
「今後もだ。婚約を交わすつもりもない」
「そうか」
メルセゲルは纏っている衣をするりと撫でる。
「王妃としてふさわしくありなさい、と」
「あれらのことは分からん」
「美しい女だ、みんな」
「女のことは分からん」
「いいやつだ、みんな」
ネブラトゥムは何も言えなくなってしまった。
王宮内のざわめきが大きくなる。
南門の鐘楼から反響を繰り返し、鐘の音が二人のいる廊下にもこだました。
「そういえば今朝は、王妃としての執務があるんだったな」
「ああ」
「護衛の任命だったか」
「公務のときくらい、着ようかと」
「まあ、良い心がけではある」
彼女らしくない衣装にも合点がいったネブラトゥムは、元来た方向へと彼女を誘なう。
「では行くぞ」
「行く所、あったんじゃないのか」
「ない。お前を迎えに来ただけだ」
彼が首を振ってさっさと先を行くのに合わせ、メルセゲルも足早に石床を蹴った。
こうして連れ立って歩いたのすら、数えるほどしかない。ネブラトゥムは背後の彼女を思い、歩く速度を落とした。
「謁見の場に既に待たせてある」
メルセゲルの視線は、進行方向とネブラトゥムとを何回か往復した。
「謝罪の必要はない。奴が、畏れのあまり早く来すぎたと申し開きをしていた」
ネブラトゥムが額に皺を寄せる。
「全く、誰が、何をしたというのだろうな?」
彼のついた悪戯っぽいため息に、メルセゲルは鼻から笑いを漏らした。
廊下を通るすがら、従者たちは皆、二人を目にするや否や素早く壁際に寄って、頭を深く下げた。朝の挨拶を口にする者もいた。
「東の情勢は芳しくない」
ネブラトゥムの重い声が、穏やかな朝の時の流れを堰き止める。
「戟塵の城塞では内部の緊迫感が随分と高まってきている。剣の王が、いつ侵犯領域を破ってもおかしくない程に」
「……別の脅威を、表している可能性が、ある。わたしの詠んだ“圧倒”と、スェスの云う“東より来たる侵略者”」
メルセゲルの声音も真剣さを帯びていた。
「全てを、伝えてくるのが、星。伝えたいことを、伝えるのが、神」
「ならば我が体に宿りし、あれはなんだったのだ」
「太陽。けど、これは星詠みの答え。ル・タを、他の誰かがなんとするのかは、わたしには分からない」
今言えることは全て言ったとばかりに、彼女は黙る。
険しい表情をしたネブラトゥムは、眉間を指でほぐした。
「我が王」
落ち着いた呼びかけで我に返る。
ある扉の前に、側近が控えていた。
色々と話し込むうち、謁見の場まで歩いたようだ。
ネブラトゥムが気を取り直して、メルセゲルに向かい合う。
「まずは当座の務めからだ、セプデト」
「ああ」
側近に合図すると、扉が重々しく開かれる。
メルセゲルは扉に向き直り、着慣れない衣装の袖をさすった。
「我らが王。王妃。共にいらっしゃいました」
扉が完全に開くのを待って、ネブラトゥムが入場した。
「セプデト様」
落ち着き払った側近が、メルセゲルに進むよう促す。
頷いて扉の奥へと歩いていくと、彼女の思い描いていた通りの人物が視界に映る。
謁見の場の中央に、大柄な兵が一人、姿勢も崩さず立っていた。
狼狽を必死に押し殺そうと腕を組んだ、イアトが。
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