225°の街

「……気に入らねー」

 踵を返したル・タは、二人が捕らえられていた部屋へ消えていったかと思うと、また外へふらふら出てくる。

 その手にはズタ袋が握られていた。

 とても上等とはいえない、つぎはぎのそれは、扉の前でのびている大男が担いでいた物だ。彼がメルセゲルの抱えていた物品を放り込んでいたのを、スェスは覚えている。

 ル・タがメルセゲルの左肩を揺さぶった。

「おい」

 ぐらぐらされ視界が安定しなくなったので、さすがに彼女も意識をそちらに向ける。

「聞こえてんだろ」

 暁都の言葉を口にするル・タの目は据わっていた。随分と飲んだようだ。顔を覆う布の隙間から、獣のように獰猛に、瞳をぎらつかせていた。

「まぶしい」

 メルセゲルは素直にそう言った。

「まぶしいな、おまえの目」

 咎めるような、羨むような、微妙な言い方を彼女はした。

 ル・タは面食らった。

 メルセゲルの視線が麻袋に移動する。

「売るのか、それ」

「そりゃそーだろ」

「だ、駄目ですよ! 何言ってるんですか!」

 スェスが割って入った。

「絶対駄目です、許しません。それは全部、セプデトさんの大事な……」

「いいよ」

「そうですよねぇセプデトさん、セプデトさんからも何か言ってやってくださ…ってええっ!?」

「その代わり。こいつを、解放してやってくれ」

 メルセゲルはスェスの脇腹を小突いた。

「金に、ならないんだろ。おまえの目利きじゃ」

「な、なななな何言いだすんですセプデトさん!」

「おまえを、無事に、帰す。約束した」

「しましたけど、でも、それじゃあセプデトさんは……」

 先を続けられないスェスを躱し、メルセゲルはル・タに顔を向けた。

 ル・タの眉間には皺が刻まれていた。

「金にならないと分かってそれでも時間をかけて身代金を請うか、それを売って少しでも今夜の酒代を稼ぐか。決まりきってるだろ、どっちを選ぶかなんて」

「あっちょっと、その何語か分かんないやつやめてくださいよぉ!! 何言ってるか分かんないんだから! ずるい!」

 メルセゲルはスェスの抗議を聞き流す。

 ル・タは目を細め、彼女の言葉に傾聴していた。メルセゲルを推し計っているようでもあった。

「暁都の神官を攫ったなんて噂が流れたら、間違いなく民の心象は悪くなる。神官は政治に関わってない。都のため、神に身を捧げる人格者だろ。それを攫って金をせびろうなんて英雄の考えることじゃない、堕ちたものだと嘲笑われるだけだぞ。風抜かざぬきの頭領として、そいつぁ避けたい事態なんじゃないのか」

 ル・タがぐるりと上を見た。酔っ払った頭で必死に考えを巡らせているようだった。

「こいつを見逃すだけだ、簡単だろ。袋の中身はそこらの闇屋に売りつけて、わたしは奴隷商人にでもなんでも売り飛ばせばいい。安心しろよ、わたしのことなんて気にも留めないさ、やつらは神官さえ戻ればそれでいいんだ。そいつさえ戻っていれば、おまえらの行いにも、宮殿はいつも通り見て見ぬふりするだけだろう」

「……よし」

 じっと聴いていたル・タの手が、ぬっとスェスに延びた。

「ひとりでお家に帰れるな、神官サマ?」

「ヒッ!!」

 首根っこを掴まれた彼はル・タから逃れようと暴れた。

「放してください!」

「へーへー」

 ル・タの手がすんなりと離れ、スェスの体はそのまま地べたに落ちる。

「帰り道はあっちだ。この時間ならみんな呑んだくれてて襲われる心配もねー」

 とっとと行け、とばかりにル・タは手をひらひらさせた。

 慌てて立ったスェスは、砂埃を払いながら憤る。

「納得できないですよ! セプデトさん!!」

「大丈夫。おまえを、助けられるのは、今だけなんだ。わたしはいつでもいい」

 メルセゲルはいつになく真剣に言った。

「逃げろ、スェス。逃げてくれ。わたしを、助けると、思って」

「……っ」

 スェスは彼女を見た。

 心なしか、メルセゲルが微笑んだような気がした。

「巻き込んでしまって、悪かった」

「……!」

 スェスは、走りだした。

 彼の目から涙が溢れていたのを、ル・タは瞳で追っていた。

 後ろを振り返ることなど一度もせず、スェスの背中が小さくなっていく。あのまま進めば、大通りに出るのも時間の問題だろう。日付が変わる頃までには、彼自身の寝室に戻れているはずだ。

 メルセゲルは安堵の息を吐いた。

「そーすると思ったよ」

 ル・タの声には軽蔑が込もっていた。

「いつだってそうだ、お偉いサマってのは。保身、保身」

「背負ってるもんが別だからな。何も失わない身とはわけが違う」

「ハッハァ、喧嘩か。買うぜ」

「売ってもないものを勝手に買うな。わたしのことを言っただけだ。おまえは風抜かざぬきを背負ってるだろ」

「んじゃテメーは自由を背負ってるっての?」

 彼らが操っているのは、暁光の都より遥かに東、戟塵の城塞圏の言語だった。

「笑わせるね、これからどこの誰とも知れねーヤツの奴隷になるのによ」

「わたしの背負うそれは宿命だ。失うもののない自由」

 含みのある言い方に、ル・タが眉根を寄せる。

「それより」

 メルセゲルは彼の手にある麻袋を指した。

「売りに行くんだろ、そいつ。立ち会う」

「なんでだよ」

「何に使うか説明できる奴がいた方が買い値が上がるんじゃないか」

 ル・タは手元とメルセゲルとを交互に見やった。

 確かに先ほどちらりと覗いた限りでは、彼には中に入っている物品がなんなのかはさっぱり理解できなかった。

 彼女の言うことも尤もだ。

「……チッ」

ル・タは面白くなさそうにそっぽを向いて、口早に言った。

「ついてこい」

 落日街の少し湿った地面は、裸足で過ごすル・タには心地の良いものだった。後ろをひたひた着いてくるメルセゲルにとってもそうだろう。

 落日街は、外壁と櫓の影になっている関係で、暁都で最も日照時間が少ない場所だ。都へ出られる道も限られているため、風通しも良いとは言えない。

 きょろきょろと見回すと、酒場の外で何人かがこちらを凝視しているのと目が合う。

 メルセゲルを見る。彼女もまた、同じ方向を見つめていた。

「助けてと言ったところで誰も聞いちゃくれねーぞ」

「そんな無駄なことはしない」

「よく分かってンな」

 ル・タは鼻先を少し上げた。

「オレ様もさっさとオマエら売っ払って、酒でも買いに行かねーとな」

 手下の不手際と人質との不愉快な会話で随分と時間を無駄にした。酒の回った体で殴ったり蹴ったりしたせいで身体的疲労もかなり来ている。もう十分すぎるくらい疲れた。

 行きつけの闇商人の門戸を叩く。

 盗賊の間だけで通じるテンポで数回。

 ゆっくりと扉が開いた。

 ル・タは拳を緩めて呟く。

「早いところご機嫌な夜を取り戻さねーとな」

 ところが、である。

 店主はル・タを目にした途端、ピシャリと扉を閉めたのだ。

「は?」

 突然の事態に頭が追いつかず、ル・タはまた扉を叩いた。

「オイ?」

 返事はない。ル・タはわずかに声を荒げた。

「なんだよ、オイ!」

「冗談はよしてくれ!」

「何が!」

「とにかく無理だ、よそへ行ってくれ!」

「はあ?」

 さっぱり分からない。

 メルセゲルがル・タの背中に問いかけた。

「どうした?」

「……チッ。なんでもねー」

 ふいと扉から離れ、つま先を彼女の方に向ける。

「まーいい、行くぞ」

 ル・タは気を取り直し、また別の露店へと進んでいった。

 特に反抗もなく、メルセゲルも彼の後ろを着いていく。時折空を見上げては、しきりに何かを口ずさんでいた。

 ここは落日の街。

 売人のアテなんていくらでもある。

 そう思い、ル・タは老婆に向かって手を振った。

「よお」

「ケッ。なんてもの見せるんだ、よそを当たっとくんな、帰った帰った! 帰らないなら、あたしが帰るよ!!」

 老婆は厳しい声音で言うと、路地の奥へと消えていく。

 ル・タは長く目を瞑って、怒りを鎮めることに努めた。

「ウチにゃあ荷が重すぎる! 抱えきれないから!」

「いくらアンタからの頼みだって聞けねえ!」

「悪いけど、そいつは買い取れないわ!」

「あんたには感謝してるけど、引き取るわけにはいかないんだ!」

「そんなもん持ってどうしようってんだい、ル・タ!?」

「っだあ〜〜〜、クソッ! 一体どうなってやがる!?」

 行く店行く店で手酷い歓迎を受けたル・タにもとうとう限界が訪れる。

 彼は闇商人の首を掴んだ。

 苦しげにその女性が息を絞り出したのを、メルセゲルが見つめていた。

 ル・タは激しい剣幕で商人に食ってかかる。

「どーゆーことだ、どいつもこいつも、どうしてコレの買取を拒む!?」

「だって妖女まじょのだろ、それ!」

 ル・タの太い腕に爪を立て、商人は半狂乱になっていた。

「そんな得体の知れないもん買い取っちまって、もし呪われでもしたら堪ったもんじゃあないよ! 金は命だが、金より命だ! 売り捌きたいなら、他に行って!」

 必死にもがいてル・タの手から逃れた商人が、悲鳴をあげながら走り去っていく。

 ル・タは目を見開いた。

妖女まじょ?」

 振り返った彼が、メルセゲルを見る。

妖女まじょ?」

 ル・タが繰り返す。彼女は答えない。

「……じゃあなんだ、オマエは、テメーの持ちモンが売れねーと分かってて、オレ様を唆したってのか」

 メルセゲルは肯定も否定もしなかった。

「持ちモンがこうなんだ、テメーの身だって売れねーだろう。それを分かっててオマエ、あの神官を逃がしたな?」

 ル・タは息を荒げ、地団駄を踏んだ。

「クソ、クソッ! 何もかもが損じゃねーか、気に入らねー!」

 怒りを抑えきれなくなったル・タが、メルセゲルに掴みかかる。その刹那、ズタ袋は手放され、露店の並ぶ広い路地に落下しようとした。

 それまで大人しかったメルセゲルが颯爽と身を翻す。

 彼女はなんと、地面に落ちた袋を細腕でなんとか持ち上げ、それを抱きかかえたまま、路地裏に駆け込んだのだ。

 呂律の回らない悪態を並べ、ル・タもすかさずそれを追う。

 彼女の姿は、瞬きをしようものなら簡単に夜の闇に紛れてしまう。ル・タはメルセゲルが狭い路地を進んでいくのを、屋根から屋根に飛び移りながら追った。

「あークソ」

 あばらやの屋上に飛び上がって、目を凝らす。

「見えづれー」

 ル・タは力強い指をパキパキと鳴らした。

 メルセゲルの動向には迷うそぶりこそないものの、土地勘のない彼女にとっては落日街の街並みを抜けるのは至難の業なはずだ。街の住民ですら道を間違えるような入り組んだ地形をしているのだから。

 落日街の夜空を、巨体が駆ける。黒い影のごときメルセゲルを追うル・タの身のこなしは流石のものであった。

 だが、あと一歩のところでメルセゲルが方向転換をし、彼女を取り逃してしまう。

「埒あかねー」

 ル・タは彼女の行く先を見据えた。メルセゲルはめちゃくちゃに道順をとっているようでいて、着実に街の外へ向かっている。

 追いついても躱されるのならば、先回りをするしかない。

 壁を一気に駆け上りながら、ル・タは彼女が空を見つめていたのを思い出す。

「星を見てたか、そーいや」

 路上を埋める人混みをすり抜けてメルセゲルが走っていくのを眼下に見た。

「方角に不安がないのもトーゼンだな、めんどくせー」

 あのまま行けば、彼女は南の大門に辿り着くだろう。暁光の都でも指折りの、人の往来が盛んな箇所だ。そちらに目をやると、あかあかとした松明が、都への入り口としては最も大きな門構えを荘厳に照らしていた。日付を跨ごうとしているこの時間帯でも、それなりに賑やかだ。

 メルセゲルが蛇行と遠回りをしつつも目指しているのが、その門であることは明らかだった。

「まさか外へ逃げようとしてンのか?」

 彼女の狙いが読めなかった。

 ル・タは足を緩めることなく思案に耽った。

 暁光の都を出て、ル・タから逃げおおせたとして、だとしてもそこには果てしない砂の大地が広がっているだけである。都に留まっている方がよっぽど命の保証があるはずだ。

 追手を振り切るためだけに都を出るのは、手段としていささか不自然なのだ。

 それとも妖女まじょには妖女まじょの逃げ道があるのだろうか。盗賊にもそれがあるように。

 だとしても、ル・タにとってそれは、彼女を諦める理由にはならなかった。

 衛兵たちの目を盗んで、櫓の梯子を登る。南門はすぐそこだ。

 夜の都の賑わいの中、必死の形相でメルセゲルを探す。

「……いた」

 呼吸を整えるル・タの口の端は吊り上がっていた。まだ門には到達していない。彼の方が一足早かった。

 メルセゲルは落日の街から大通りへ出て、まっすぐ走っているところだった。人の波をするすると避けていく様は本当に影のようだ。

 扉番をさせていたあの二人であれば、とうに撒けているだろう。

 ル・タは殴りつけた感覚を思い起こして、遠い目をした。どうしても風抜かざぬきに入りたいというから迎え入れたが、デカいのは図体ばかりで、誇らしげに持ってくるのは決まって面倒事。

 彼らをのびるまで痛めつけたのは、積もり積もった日頃の鬱憤を晴らしたかったからでもある。

 自分を労わるように、胸に手を当てた。

「ピンキリだな、戟塵の城塞出身はホント、アテになんねー」

「な、なんだ」

 門兵が声をあげた。にわかに南門がざわつく。

 瞬時にそちらに意識を戻すと、メルセゲルが門の手前までやって来ていた。

 ル・タは何度か屈伸運動をして膝を温めた。

 そして、四階建て相当はある櫓から、跳んだ。

 門に向かって、前方に跳躍してみせたのだ。彼の頭部をくるんでいる質の良い布がはためいて、風を切る。

 その体躯は弧を描き、一直線で、メルセゲルの元へ。

「つかまえた」

 体格の割には静かに砂へ着地する。周囲のざわめきが大きくなった。

 砂をはたくこともなく立ち上がったル・タは、メルセゲルの行く手を塞いだ。

 225°より、ぐちゃぐちゃに進路をとって、現在は暁光の都の180°、それがここ。

 もはや彼女に、逃げ場はない。

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